1966年(昭和41年)6月
裁判移送問題(友利・サンマ事件)が起こる

 

1966年6月、米国民政府(USCAR)のワトソン高等弁務官は、琉球政府の司法府である琉球民裁判所に係属中の通称、友利裁判およびサンマ裁判について、琉球民裁判所の裁判権を取り消し、米国民政府(USCAR)の裁判所に移送しました。

 

 

友利裁判とは、1965年11月の第7回立法院議員選挙において、第29区で最多得票を得た友利隆彪の被選挙権が失格となったことをめぐるものです。

 

また、サンマ裁判とは、物品税法で課税品目外であったサンマなどへの課税をめぐるものでした。

『友利・サンマ事件の経過報告 1966年10月22日現在 法務局法制室』(R00001245B)

 

裁判移送問題(友利・サンマ事件)は、米国民政府が制限してきた琉球政府の司法権や沖縄住民の自治権について、大きな関心を呼び起こしました。

 

1966年(昭和41年)11月
第5代高等弁務官にアンガー中将が就任する

 

1966年11月、第5代高等弁務官にフェルディナンド・T・アンガーが就任しました。

 

琉球政府の広報誌『琉球のあゆみ』では、「効果的な基地維持と住民の福祉向上に努力」などと題して、アンガー高等弁務官就任について詳しく報じています。

  『琉球のあゆみ 通巻80号(第9巻10号) 1966年11・12月号』

 

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