1953年(昭和28年)1月
市町村自治法が公布される

 

1953年1月12日、琉球政府立法院が制定した市町村自治法(1953年立法第1号)が公布・施行されました。

それまで戦後沖縄の地方行政は、軍政府指令第26号「Organization of Cities, Town’s and Villages / 市町村制」(1948年7月21日)によって行われていましたが、市町村自治法がそれにかわるものとなりました。

 

市町村自治法の公布にあたって、行政主席から地方庁長宛てに送られた文書には、「自治の本旨に基いてその自主性を重んじ、自立を尊び、行政の公正と能率を確保するとともに政府の統制は、極力これを避けて市町村住民の総意によってこれをなさしめることを趣旨として制定された」と法の趣旨が述べられています。
『市町村自治法立法関係書類 1953年~1954年』(R00002599B)

 

 

1953年(昭和28年)4月
琉球政府法務局の支分部局として土地事務所が置かれる

 

1953年4月1日、琉球政府法務局支分部局として沖縄土地事務所が置かれました。

 

「行政主席の統括する行政事務部局の機構及び所掌事務の範囲を定めること」を目的とする行政事務部局組織法(1953年立法第9号)が1953年4月1日に公布され、その第7条で、「各局に、その所掌事務を分掌させるため、別表第三に掲げる支分部局を置く」と定められました。

 

別表第三では、法務局の支分部局として、支局、登記所、土地事務所、刑務所を置くこととなっています。

 

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1953年(昭和28年)4月
米国民政府布令第109号「土地収用令」が公布される

 

1953年4月3日、軍用地の強制収用の手続きを定めた米国民政府布令第109号「土地収用令 / Land Aquisition Procedure」が公布されました。

これによって、真和志村、伊江島真謝、宜野湾村伊佐浜などでは、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的な土地接収が行われました。

米国民政府布令第109号「土地収用令」『米国民政府布令/Civil Administration Ordinance 1953年~1957年 第093号~第171号』( RDAP000029)

【関連記事】資料紹介 > 布告・布令・指令等(3)土地接収

 

1953年(昭和28年)5月
ペルリ(ペリー)来琉百年祭が行われる

 

1953年5月、ペリー提督の来琉100周年を記念して、米琉親善の各種行事が行われました。

 

「ペルリ百年祭記録」と題された『情報特集』第27号(琉球政府行政主席官房)によると、普天間飛行場での閲兵式、泊湊での親善展覧会、米琉親善体育大会、琉球工芸品展覧会などが行われました。

 

なかでも「最大の行事」とされているのは、5月24日の琉米合同の仮装行列です。

その様子は、「旭橋を出発、参加人員約2万2千名、延々2哩にわたる假装行列と児童の打振る日米両国旗の行列が続き、豪華な親善絵巻を全市にくりひろげた。行進は降りみ降らずみの五月雨に悩まされたが沿道にはGIやアメリカさんを交えて数万の市民が黒山の人垣を造り、空にはポンポンと花火が打揚げられてお祭り気分に景気をそえた」と記されています。

『情報 1952年12月以降』(R00085423B)

 

【関連記事】

資料紹介 > 布告・布令・指令等(5)米琉親善

沖縄県公文書館 > あの日の沖縄 > 1950年5月26日 「琉米親善の日」制定

 

1953年(昭和28年)10月
真和志村が真和志市となる

 

1953年10月1日、真和志村が真和志市となりました。

 

真和志村が市に昇格する諸要件を備えているとする「調書」です。

真和志村の人口は、1953年4月30日現在、50,465人で、市の要件である3万人以上をはるかに超えている、また、中心の市街地を形成している区域内にある戸数は7,953戸で、全戸数10,113戸の7割8分にあたり、全戸数の6割以上との基準を満たしているなどと記されています。

『市昇格に関する書類 1953年 真和志村』(R00002661B)

 

1953年(昭和28年)11月
戸籍整備法が公布される

 

1953年11月16日、戸籍整備法(1953年立法第86号)が公布されました。

 

『情報』1954年度第6号(琉球政府行政主席官房)に掲載された「戸籍整備法について」によると、戸籍整備法は「徹底的に戦災を被った沖縄の特殊な事情に即応するように考案」されました。

 

具体的には、戸籍の記載が事実と適合するか調査するために各市町村に戸籍調査委員を置くこと、縦覧期間中であれば裁判所の許可を得ることなく、市町村長が一定の訂正ができることなどが挙げられています。

また、「戸籍再製の申告は、その滅失した戸籍の戸主及び同籍者であるが、この法では全滅した家の戸籍や申告の能力のないものの家の戸籍については、その申告者の巾を広げて親族の者にまでその義務を負わしめた」との説明もあり、一家全滅をはじめとして、沖縄戦で多くの命が失われたことをあらためて思いおこさせます。

『情報 1952年12月以降』(R00085423B)

 

 

1953年(昭和28年)11月
計量法が施行される

 

1953年11月27日、計量法(1953年立法第89号)が公布・施行されました。

 

計量法は、「計量の基準を定め適正な計量の実施を確保し、もつて経済の発展及び文化の向上に寄与する」ことを目的としており、長さの計量単位はメートル、質量の計量単位はキログラムと定められました。

 

これにより、尺や貫といった単位で長さや質量をはかっていた従来の方式からの転換が求められました。

 

『計量法 1 立法 け-11』(R00160548B)

 

 

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1953年(昭和28年)12月
奄美群島が日本に復帰する

 

1953年12月25日、琉球列島の一部として米国統治下におかれていた旧鹿児島県大島郡の奄美群島が、日本に復帰しました。

 

それにともない、米国民政府指令第15号「奄美大島に戸籍を有する者の臨時登録」が公布され、奄美籍者に対する「臨時登録」が義務づけられました。

 

米国民政府指令第15号「奄美大島に戸籍を有する者の臨時登録」『米国民政府指令/Civil Administration Directive 1953年 第001号~第015号』(RDAP000011)

 

【関連記事】資料紹介 > 布告・布令・指令等(4)奄美返還と奄美出身者

 

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