1950年(昭和25年)4月
琉球復興金融基金(復金)が設立される

 

1950年4月、琉球復興金融基金(復金)が設立されました。

 

軍政府布令第4号「Establishment of the Ryukyus Reconstruction Finance Fund」に基づくもので、琉球列島の経済復興のために重要な商工業施設や住宅の建設に対し、長期にわたる財政的援助を行うことを目的としていました。

 

『守礼の光』1959年9月号の「琉球産業を伸ばす道 琉球復興金融基金について」は、同基金を取り上げた記事です。

 

琉球復興金融基金は、「琉球の人たちにとって長期の借入れができる一番大きな資金源」であり、「長期低利という好条件」がそろっているとして、「もしどなたでも―実業人であろうと、ただの個人であろうと―正当な復金融資申請書を用意して琉球銀行の本支店へ行かれるなら、親切に相談にのってもらえることはまちがいありません」と記されています。

守礼の光 1959年09月

 

琉球復興金融基金(復金)は琉球開発金融公社の設立によって解消されました。

 

【関連記事】歴史年表 > 1959年10月:琉球開発金融公社が設立される

 

1950年(昭和25年)5月
琉球大学が開学する

 

1950年5月22日、琉球大学が開学しました。開学当初は、英語学部、教育学部、社会科学部、理学部、農学部、応用学芸学部の6学部が置かれました。

 

翌1951年1月10日には、琉球大学に関する基本法である米国民政府布令第30号「University of the Ryukyu / 琉球大学」が公布されました。第一条「総論」の「三、目的」は、次のようになっています。

「大学設立の主要なる目的は男女学生に芸術、科学及その他の専門職業に関する高等教育を施す事にある。

又大学は琉球列島の成人に占領軍の政策に反せざる限り言論、集会、請願、宗教、出版の自由をふくむ民主国の自由を促進し一般情報教育に関する事項を普及する。」

『米国民政府布令/Civil Administration Ordinance 1950年~1952年 第029号~第091号』(RDAP000028)

 

 

 

1950年(昭和25年)9月
沖縄・宮古・八重山で群島知事選挙、群島議会議員選挙が実施される

 

1950年9月17日、沖縄・宮古・八重山で群島知事選挙が行われ、沖縄群島知事に平良辰雄、宮古群島知事に西原雅一、八重山群島知事に安里積千代が当選しました。

 

また、9月24日には、沖縄・宮古・八重山で群島議会議員選挙が行われました。沖縄では10の選挙区で議員定数は20名、宮古では6選挙区で議員定数は9名、八重山では7選挙区で議員定数は7名でした。

 

これらの選挙は、1950年7月10日に公布された軍政府布令第19号「Election Law for Governors and Assemblymen of the Gunto Governments/群島知事及議会議員選挙法」によって規定されたものでした。

『選挙結果調 1969年 立法院議員 行政主席 群島知事 群島議会議員』(R00000621B)

 

 

1950年(昭和25年)10月
奄美で群島知事選挙、群島議会議員選挙が実施される

 

1950年10月15日、奄美で群島知事選挙が行われ、中江実孝が当選しました。

 

また、10月22日には奄美群島議会議員選挙が実施されました。選挙区は10、議員定数13名でした。

 

これらの選挙は、沖縄・宮古・八重山における群島知事選挙、群島議会議員選挙と同様、1950年7月10日に公布された軍政府布令第19号「Election Law for Governors and Assemblymen of the Gunto Governments/群島知事及議会議員選挙法」によって規定されたものでした。

『選挙結果調 1969年 立法院議員 行政主席 群島知事 群島議会議員』(R00000621B)

 

 

 

1950年(昭和25年)10月
共和党が結成される

 

1950年10月、共和党が結成されました。

 

右は、共和党の結成を報告する群島知事宛ての文書です。総裁は未決定、幹事長は新里銀三となっています。

 

共和党は、1950年9月の群島知事選挙で平良辰雄に敗れた松岡政保派の群島議会議員や沖縄民主同盟の幹部らによって結成されましたが、1952年2月に解散します。

『共和党に関する書類 1950年11月06日以降』(R00000472B)

 

 

 

1950年(昭和25年)10月
沖縄社会大衆党が結成される

 

1950年10月、沖縄社会大衆党(社大党)が結成されました。

 

右は結成届です。委員長は、1950年9月の沖縄知事選挙で当選した平良辰雄でした。

 

沖縄社会大衆党は、沖縄の地域政党として、現在も活動を続けています。

『琉球社会大衆党に関する件 1950年11月20日~』(R00000473B)

 

 

 

1950年(昭和25年)11月
沖縄群島政府、奄美群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府が設立される

 

1950年11月、米国軍政府布令第22号「群島政府組織法 / The Law Concerning the Organization of the Gunto Governments」により、沖縄群島政府、奄美群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府が設立されました。
同布令では、各群島政府は、法人として、布告・布令・指令などに基いて管轄権内の公務を施行するとしています。

 

軍政府布令第22号「群島政府機構に関する法」『軍政府布令/Military Government Ordinance 1950年 第001号~第028号』(RDAP000027)
※この布令は「群島政府組織法」とも訳されますが、右画像の日本語訳は「群島政府機構に関する法」となっています。

 

【関連記事】資料紹介 > 布告・布令・指令等(2)住民の行政機構の設置

 

1950年(昭和25年)12月
戦後初の国勢調査が実施される

 

1950年12月、沖縄における戦後初めての国勢調査が行われました。

 

この国勢調査は、軍政府布令第25号「Population Census of the Ryukyu Islands/琉球列島の国勢調査」によって実施されたものです。

同布令の第3章「調査の対象」では、「連合軍の軍人軍属、琉球軍政府軍政長官の認可せる外国政府の外交官、米国政府職員及びその家族を除く外、全琉球に在住する者は総べて調査を受ける」と定められていました。

『軍政府布令/Military Government Ordinance 1950年 第001号~第028号』(RDAP000027)

 

 

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