水は生活の基盤です~琉球水道公社の概要

琉球水道公社のシリーズ「公聴・広報に関する書類」から『琉球水道公社の概要』を紹介します。

米軍は1950年、各軍の水道を統合して、米軍施設のみを対象とした「全島統合上水道」を敷設していましたが、住民向けの水道施設の整備が求められるようになり、1958年9月、高等弁務官布令第8号「Establishment of the Ryukyu Domestic Water Corporation/琉球水道公社の設立」が公布されます。

同布令によって、「琉球住民の需要と利益、産業の発展その他の用途に必要な水の集取、処理、送水、配水及び販売にあたる施設を取得、維持及び運営するために」、琉球列島米国民政府(USCAR)の「一機関として」琉球水道公社が設立されました。

 

この琉球水道公社について、平易に解説した小冊子が『琉球水道公社の概要』(U99005877B)です。

琉球水道公社は米軍が管理する全島統合上水道からの「分水」を各市町村に給水(販売)しました。「水道公社の市町村への水の卸料金は、浄水1,000ガロンあたり21.94セント、原水8セント」と記されています。

 

また、「全島統合上水道1日平均使用水量」というグラフによると、軍と民の使用水量は、1964年以降、民が軍を上回っています。

琉球水道公社は、「沖縄における水需要の増大に見合った施設の拡充強化ならびに水源を確保する」ため、1967年以降、「ばく大な資金を投じて水道施設の拡張強化、河川の開発、本島中部地域における地下水源の開発」などの諸計画を推進してきたことが紹介されています。

『琉球水道公社の概要』は1970年8月の作成ですが、当時建設中だった福地ダムについては、「沖縄の歴史にかつてない規模で行われる大事業」で、「住民の生活向上や産業の発展に多大の効果をもたらすものと期待がよせられています」と記されています。

 

<参考> 沖縄県企業局の歴史 > ② 琉球水道公社

 

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