利用者の声

2020/1/20-24 沖縄県庁ロビーでのデジタルアーカイブ展

2020年2月10日

2020年1月20日から24日にかけて、沖縄県庁ロビーでデジタルアーカイブ展「琉球政府の時代」を開催しました。タッチパネルやタブレットを使いながら、琉球政府文書デジタルアーカイブサイト「琉球政府の時代」の使い方をご案内するとともに、デジタルアーカイブでご覧いただける資料の展示も行いました。その際に寄せられた声を一部紹介します。

 

 

■県内男性

琉球政府の頃の公文書をはじめてみました。うちのおばさんは、「ユースカー(USCAR)で働いているよ」って言っていたけれど、それが何なのかよくわからなかった。今回の展示でUSCARが何なのかよくわかりました。

 

■看護師3名のグループ

公衆衛生の記事を興味深くみました。アメリカ占領下にあった沖縄は、看護の技術もアメリカから指導されていたから、最新の公衆衛生が導入され、「戦後の日本本土より最先端の技術よ。自信をもって働きなさい」と私たちは教わった。USCAR看護顧問のワニタ・ワーターワースや沖縄看護に貢献した真玉橋ノブ先生などの記録もあるかもしれない。ぜひ調べてみたいです。毒ガス輸送があった頃、私は小学生で嘉手納に住んでいました。おじいちゃんが「何が起こるかわからんから、那覇の親戚家に避難しなさい」と、避難区域ではなかったけれど母に手を引かれ避難した記憶があります。

 

■県内女性

新聞広告をみて、松岡政保さんのことが知りたくて見に来ました。昨日ぐるっと一周して、家でサイトを検索しました。今日は2回目です。松岡政保さんのお孫さんが私の友達なので、どういう方だったのか、その時代がどんな時代だったのか知りたくてきました。もっとサイトを検索してみたいと思います。

 

 

■県庁職員・男性

『琉球政府の時代』の検索で、豚コレラの記事を見せてもらいました。1949年から豚コレラの対応がなされていたことに驚きました。行政の仕事で日々作成している文書が、歴史をつくるということが実感できた気がします。

 

■県外出身・ご夫婦で

沖縄を旅行中で、新聞広告を見てきました。アメリカ統治にあった沖縄の歴史を垣間見ることができました。「ニミッツ布告」や「猫と鼠論」、「毒ガス輸送」の文書など、どれも知らないことばかりで驚きでした。帰宅したら、検索して読んでみたいと思います。 

 

■県内男性

「ニミッツ布告」、「島ぐるみ闘争」などこんな古い公文書が保存されていることに驚きました。とても貴重な資料だと思います。青年会議所のメンバーの一人として、復帰運動に興味があります。先輩たちが辿った歴史を知るきっかけになるかもしれない。検索してみたいと思います。

 

■県内女性

私は若いころ、国際通りにある紳士服の店で働いていました。店は国際通り沿いだったから、アイゼンハワーの来沖や、佐藤総理、興南高校のパレードも店の窓から全部見たので、写真をみると当時のことを鮮明に思い出します。

 

■県内男性・久米島出身

ドルから円への切り換えを子どもの頃に経験しました。久米島出身なので、『文書だより』の「久米島で石材みつかる」の記事にひかれて見ました。久米島にはいい石材があるけど、沖縄県庁表札や、守礼の門の門柱の支え石や首里城の龍頭にも使われていたとは驚いたし、とても誇りに思う。こんな発見ができてうれしい。

 

■県内女性

沖縄市泡瀬あたりに住んでいました。アメリカ占領下にあった沖縄はとても物騒だったと記憶しています。そんな現実をかえようと、私も復帰運動に参加した一人なので、琉球政府文書にはとても興味があります。当時の文書をみると、いろんな思いがこみ上げて、若かった頃の自分を思い出します。

 

■県庁職員・男性

沖縄は小学校の敷地内に幼稚園があって、幼稚園で教育を受けて小学校へ入学というエスカレーター式なのは、どういう経緯があったのか、琉球政府の公文書や立法院議事録などでいろいろ調べたことがあります。その事実を検証するためにも公文書は大切な資料ですね。

 

30代男性(韓国出身)

韓国で日本の漫画や雑誌を翻訳する仕事をしています。アメリカ統治下にあった沖縄の資料をはじめてみました。仕事柄、刊行物にとても関心があります。琉球政府の時代を韓国の人たちも知ることができれば、もっと理解しあって仲良くできるはずと思いました。

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