利用者の声
琉球政府文書の魅力(沖縄国際大学・小濱武)
琉球政府の食糧米政策について研究されている小濱武さんに、琉球政府文書の魅力やお気に入りの資料をご紹介いただきます。
琉球政府文書の魅力
沖縄国際大学経済学部経済学科の小濱です。沖縄経済史や日本経済史が専門で、具体的には、終戦後~日本復帰までのアメリカ統治時代の沖縄経済を研究しています。2019年7月には、『琉球政府の食糧米政策 沖縄の自立性と食糧安全保障』(東京大学出版会)を出版しました。主食であるコメをいかに安定的に確保しようとしたのか(輸入か、自給か)という点から、沖縄の主体性(自律性)やその限界を論じています。よろしければご覧ください。
さて、私の研究では、(著書のタイトルからも察せられるように)沖縄県公文書館所蔵の琉球政府文書をふんだんに利用しています。ここでは、その中からお気に入りの資料の一つを紹介させてください。
・琉球政府経済局『米穀需給審議会提出資料』1963年度(R00053549B)128・131-134頁
戦後、沖縄では主食であるコメを、一部を自給しつつ、残りをアジア各国・地域からの輸入米を中心に賄っていましたが、1960年代に入ると、アメリカから、自国のカリフォルニア米の輸入を増やすよう求められるようになりました。こうしたアメリカの圧力を背景として、琉球政府は、1963年から、カリフォルニア米の輸入が有利になるような輸入制度に変更します。しかし、カリフォルニア米のような良質安価な外米が大量に入ってくると、今度は、沖縄内で作っていたコメ(島産米)がダメージを受けてしまう。そこで、琉球政府は、島産米への価格補助を実施します。ただし、琉球政府は十分なお金(予算)を持っているわけではありませんでした。そこで、産地別に、例えば羽地産ならいくら、八重山産ならいくらというように価格を設定し、費用を抑えながら、沖縄内の稲作農家へのダメージをできるだけ緩和しようとしました。その際、どこの産地のコメをいくらにするかについて4つの案を出し、検討していたことを示すのが、先の資料です。
この資料の魅力は、第1に、琉球政府が何を重視して島産米の価格補助の水準を決めていたのかがわかることです。第1~第4案の中から第4案が採用された結果からは、琉球政府が、沖縄内の食糧の供給・流通を担った指定業者という企業の経営を安定化させることや、価格補助にかかる費用をできるだけ抑えることを重視した一方、農家のことを配慮する余裕はあまりなかったことが読み取れます。
第2に、琉球政府が自ら、島産米の価格補助の水準を検討することができたということです。琉球政府は、沖縄住民の自治政府であると同時に、アメリカの沖縄統治機関であるUSCARの下部組織でもありました。当時USCARは、自由競争によって沖縄のコメの価格を低く抑えようとしていました。一方、琉球政府は、コメの供給を安定化させるために一定程度の自給が必要だと考え、島産米の価格補助を実施していた。これは、USCARの方針に反することになってしまいます。結果から見れば、琉球政府による島産米への価格補助は、結果的には十分な水準ではありませんでしたが、それでもなお、琉球政府が、必ずしもUSCARの方針に沿うばかりではなく、主体的(自律的)に島産米の保護政策を実施していたというのは重要だと思います。
まとめます。統計書などを探せば、1960年代初めから沖縄でカリフォルニア米の輸入が増えていったことを見つけることができるでしょう。さらに調べれば、そうした良質安価な外米から島産米を保護するため、琉球政府が価格補助を行っていたことにたどり着くことができるかもしれません。しかし、その背景にある、琉球政府が主食であるコメの価格や輸入量などについて―アメリカによる輸入圧力、政府の財政事情、稲作農家の保護などの中で―どのように管理するべきか葛藤していた姿というのは、琉球政府文書を調べることによってしか分かりません。そうやって沖縄の目線から歴史を検証していくことが、これから先の沖縄について考える上で欠かせないと考えていますし、そのために今後も琉球政府に注目しながら、沖縄経済史研究に邁進していきたいと思っています。
小濱武(沖縄国際大学 経済学部経済学科 講師)