§3-3
布告26号 ~ 黙契
1953年12月5日、米国民政府は布告第26号「軍用地域内における不動産の使用に対する補償」を公布し、土地の使用料支払いの最大遡及日とされた50年7月1日から講和条約発効までの期間について、当事者間に事実上の黙認による使用関係があるとして、「黙契」による賃借権の成立を宣言しました。
同布令では、52年4月28日またはそれ以前の収用の翌日から、米国は土地の使用・占有に対する権利を有するとし、所轄の土地登記事務所に使用確認証と賃借料供託の登記ができるとしました。この賃借料は、米国側が定めたもので、これを不満とする者は訴願することができました。軍用地所有者の大半は、この賃借料を不満として訴願を提起しました。
軍用地の所有者の承諾を得ることなく、一方的に「黙契」の成立を宣言した布告26号は、それまでの土地収用を正当化するものであり、布令109号による強制収用という措置に追いうちをかけるものでした。さらに、54年3月、米国民政府から軍用地料の一括払いの方針が発表され、ワシントン折衝、プライス勧告、「島ぐるみ闘争」 という一連のうねりへとつながっていきます。
1955年10月23日 メルビン・M・プライスを団長とする米下院軍事委軍用地問題調査団7名が来沖した | 『沖縄タイムス』1955年10月25日
プライス調査団の現地調査による軍用地問題の解決に期待がかかった |
1956年6月 那覇の国映館前
「四原則貫徹、土地を守り郷土を売るな、一括払絶対反対、プライス勧告を粉砕せよ」と書かれた横断幕 |