1966年の慰霊祭と「慰霊のことば」

厚生局援護課の「庶務に関する書類」から、1966年に摩文仁で行われた各種慰霊祭における「慰霊(追悼)のことば」を紹介します。

『慶弔辞挨拶 1966年 雑書02R00084129B)には、1966年に行われた沖縄戦の戦没者の慰霊祭における行政主席や厚生局長の挨拶に関する文書がまとめられています。

 

1966116日に行われた、山口県の慰霊塔「防長英霊の塔」の除幕式ならびに慰霊祭における松岡行政主席の「慰霊のことば」です。

「最愛の肉親を祖国に捧げられた御遺族も戦後の混乱から強く生きぬいてこられ、立派に一家を再建され、ここに、はるばる本土から御出になり御前に故里の香りを添えて合掌を捧げておられます。精霊もさぞ心安まることでありましょう」と述べています。

 

除幕式ならびに慰霊祭に参列するために来沖した、山口県知事と遺族団の渡航日程もわかります。遺族団の日程は、福岡から飛行機を利用するケースと、鹿児島から船を利用するケースの2種類があります。

 

飛行機の場合は、114日に福岡の板付空港を出発して那覇空港に到着、6日の式典に参加後、南部戦跡を巡拝して、7日に帰途につきました。

 

船の場合、まず、113日の夜行列車で、門司から鹿児島に向かいます。4日の昼に鹿児島港を出港し、5日の朝に那覇港に到着。船上では「慰霊花束海上投下」が行われたようです。

6日の式典参列後、7日に南部・中部戦跡巡拝。8日の昼に那覇港から乗船し、9日の朝に鹿児島に到着。再び夜行列車に乗って、10日にようやく山口に到着するという大変な長旅でした。

 

摩文仁における各県の慰霊塔(碑)は、1960年代半ばに数多く建立されましたが、1966年は特に建立が相次いだ年でした。この簿冊では、山口県のほかにも、山梨、長崎、栃木、高知、埼玉、福岡の各県の慰霊塔(碑)の除幕式ならびに慰霊祭における主席の「慰霊(追悼)のことば」をみることができます。

山梨「甲斐の塔」
長崎「鎮魂長崎の碑」
栃木「栃木の塔」
高知「土佐の塔」
埼玉「埼玉の塔」
福岡「福岡の慰霊の塔」
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