市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類 (4) 市町村の名称変更 つかの間のコザ村

『市町村の名称変更に関する書類 1956年度以降 越来村からコザ村への名称変更』琉球政府内政局行政課(R00002668B)

総務局行政部 地方課の「市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類」から、コザ村についての資料を紹介します。

「コザ市」という名称には馴染みはあっても、「コザ村」については聞きなれないという方も多いかもしれません。コザ村は、越来(ごえく)村から名称変更した1956年6月から、コザ市へと昇格する同年7月までのわずか1ヶ月足らずの間のみ存在していた自治体です。『市町村の名称変更に関する書類 1956年度以降 越来村からコザ村への名称変更』(資料コードR00002668B)には、越来村からコザ村への名称変更に関する文書が収められています。

 

「コザ」という名称をめぐって-越来村議会会議録

戦後、「コザ」という名称が定着していた越来村では、自治体の名称を「コザ」に変更しようという動きが議会の中で生まれていました。1956年4月9日の村議会では、越来村からコザ村への名称変更が議題をとして取り上げられました。

 

「越来村議会定例議会会議録」の冒頭では、出席議員から「村民多数の世論を徴してから名称を決めたい」、「村の主体として公聴会を催してもらいたい」といった、「コザ」への名称変更に慎重な発言が見られます。

しかし、「今から当局で世論を徴すると云うと時期的におくれる」、「当局としては出来るだけ早く申請したい」との発言に押されるように、沖縄だけではなく、「他国の人々」にも知られているであろう「コザ」への名称変更が「立派な世論」であるという方向に審議が傾いていきました。

この日の議会はひとまず休会し、その間、村内の官公署長、各団体長、区長を交えた懇談会が開かれました。午後になって再開された審議では、休会中の「慎重審議」の結果、コザ村への名称変更が満場一致で原案可決されました。

 

「コザ」という名称をめぐって-認可申請書

議会での可決を受けて、越来村は琉球政府行政主席宛に「越来村の名称変更についての認可申請」(1956年5月11日)を送付しました。

 

その添付文書「名称変更の理由及び名称の拠点」には、「越来」から「コザ」への名称変更の理由がより詳しく記されています。

ここでは、「1945年9月15日、既にコザ市制が施かれコザ市の名称があった」、「今日では越来村という名称よりコザという名称が一般に知られている」など、「コザ」という名称がすでに定着していることが名称変更の理由として説明されています。その定着の度合いについては、「コザという名称は軍の地図にも記入されて世界的な名称となっている」と、「世界的」であることがアピールされています。

他方で、「越来」という名称については、「エツライ」、「コシキ」、「コエキ」と誤読される、あるいは漢字表記の「胡差」についても「コサ」、「コサシ」と誤読されるとしています。また、カタカナの「コザ」という字の書きやすさも「名称の拠点」として挙げられています。

 

つかの間のコザ村

「越来村の名称変更についての認可申請」に対し、行政主席は1956年6月12日「指令第930号」をもってコザ村への名称変更を許可、同日付の「公報」を通じて告示しました。

こうして誕生したコザ村ですが、1956年7月1日にはコザ市へと昇格しました。「コザ村」という自治体が存在していた期間は、1956年6月12日から同年7月1日までのわずか1ヶ月足らずの間のみとなります。

なお、コザ村からコザ市への市昇格に関する一連の文書は、『コザ市昇格に関する書類 1956年06月』(資料コードR00002660B)に収められています。

 

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