儀式及び褒章に関する書類(2)「慰霊の日」

『渉外(慰霊祭挙行)に関する書類』琉球政府総務局渉外広報部渉外課(R00000537B)

総務局渉外広報部 渉外課「儀式及び褒章に関する書類」から、「慰霊の日」に関する資料を紹介します。

琉球政府は、1961年7月24日に「住民の祝祭日に関する立法」を公布し、「沖縄戦の戦没者の霊を慰め、平和を祈る」ための「慰霊の日」として、6月22日を休日としました。その後、1965年4月21日公布の「住民の祝祭日に関する立法の一部を改正する立法」で、「慰霊の日」を6月23日に改めました。

1966年と67年の「慰霊の日」に関する文書をまとめた『渉外(慰霊祭挙行)に関する書類』(資料コードR00000537B)を紹介します。

 

1966年の「慰霊の日」

1966年の「慰霊の日」の行事実施要領(案)を見てみましょう。

「趣旨」では、6月23日は「沖縄戦が終った日」であり、今日の「発展」のかげには、「多数の犠牲者があつたことを思い犠牲者に対して追悼の誠をささげ年を追うて忘れ去らんとする戦争の悲劇を反省し世界恒久の平和を祈念して平和社会の建設に尽すことが私共の責務であります」などと述べられています。

「慰霊の日」の行事実施機関は、主催が琉球政府、後援が各市町村、沖縄遺族連合会、沖縄戦没者慰霊奉賛会、沖縄外地引揚者協会、沖縄傷痍軍人会となっています。

「実施行事」として、「広報宣伝」「沖縄戦戦没者追悼式」「正午の黙祷」「弔旗の掲揚」「慰霊塔、納骨所の清掃」の5つが記載されています。

このうち「広報宣伝」については、「官公庁、学校、団体に対し趣旨の徹底を呼びかける」、行政主席談話の発表、広報車を使った趣旨と行事の周知徹底、「小、中、高校生徒に対する学校長の講話を依頼する」などが「実施方法」として記されています。

「沖縄戦戦没者追悼式」については、琉球政府主催で、6月23日の午後3時半から4時半まで「摩文仁丘広場」で実施されることとなっています。

遺族会青年部主催の「慰霊行進」にも追悼式に参列してもらうこと、各市町村、学校、団体関係の慰霊祭・巡拝も早めにすませて追悼式に参列してもらうことなどが記されています。

現在の「慰霊の日」の行事としては、摩文仁での沖縄全戦没者追悼式がまずイメージされますが、1966年度の行事実施要領(案)では、「広報宣伝」が実施行事の最初に記載されていることが注目されます。1966年は第5回目の「慰霊の日」にあたりますが、その意義についてはまだ周知が必要な状況だったのかもしれません。

「広報宣伝」の方法では、広報車を使った宣伝や、「 チラシ2万枚を各市町村に配布する」、「横断幕、懸垂幕を掲揚する」など、「慰霊の日」の趣旨の周知徹底が目指されています。これは、各市町村に配布されたチラシ案と思われるものと、横断幕・懸垂幕の案です。

  

 

1967年の「慰霊の日」

1967年の「慰霊の日」の実施要領は、1966年とほぼ同じ内容となっています。

ここでは、来沖した衆参両議院の様子を見てみましょう。衆議院から5名、参議院から4名が参加したようです。

 

議員団のメッセージです。「九十万沖縄同胞の祖国復帰に対する熱意は胸の痛くなる程よく存じており私共もこれに応える決意でいることは申すまでもありません。同じ民族が二つに別れたままという状態は一日も早く改めるべきであります」などと記されています。

 

衆参両院議員が回った「南部遺跡参拝コース」(6月22日)と「慰霊祭参列及び参拝コース」(6月23日)です。

 

 

このほか、1968年から70年までの「慰霊の日」については、『慰霊祭に関する資料』(資料コードR00000535B)をご覧ください。

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