公有水面埋立申請~軍施設隣接地で不認可に

建設局土木課「公有水面埋立に関する書類」から、軍施設隣接地の公有水面埋立に関する文書を紹介します。

 

『豊見城村瀬長 不認可』R00073645B)には、1967年10月に豊見城村瀬長区長が行った、公有水面埋立申請に関する文書が綴られています。

この申請は、豊見城村字瀬長の144,736㎡を埋め立てたいというもので、「公有水面埋立免許申請書」の埋立の目的には、「宅地農地だった瀬長島が軍用地となったのでこれにかわる農地の造成」と記されています。
豊見城村長による「公有水面埋立免許申請に対する副申」もあります。

豊見城村は、「比較的軍用地が少なく純農村として農耕面に大きく発展をとげて」いるが、「瀬長部落のみが終戦20年後の今日、いまだに部落に復旧することもできず取りのこされて舟無小原一帯に住居を建築、12,000坪余りの低位農耕地を耕作、貧困な生活をしいられている」こと、瀬長部落の農耕地は豊見城村の平均耕作面積の約3分の1しかなく、「しかも海岸線の湿地帯が多く、潮害、水害と被害も受け易く、農耕地として最悪の条件」であるとしたうえで、「部落の発展は農耕地の拡大を図り基盤整備をなす以外に方法がない」と述べています。

 

しかし、この申請については、埋立地が軍用地である那覇空港の近隣であることから、米国民政府(USCAR)との意見調整が必要とされました。

「埋立地が軍用地那覇空港の近隣であるので」、1962年2月16付の米国民政府書簡第4項に基づいて、USCARとの意見調整を行うとする文書です。

「民政府書簡抜すい」も付されており、「第4項:軍施設隣地におけるすべての埋立申請については当埋立地が同施設の運営に抵触するか、又は、軍用地を侵害するかについては本府と調整しなければならないことを了解してもらいたい」とあります。

 

 

埋立申請に対するUSCARからの回答は、「好意的に考慮できない」というものでした。その結果、米軍の「飛行場施設の将来の拡張計画に加えて、着陸侵入地域、滑走勾配地、航空機具の適切な働き及び那覇飛行場からの航空機の安全な離着陸のための飛行場基準を保持する必要がある」として、1968年6月21日、この公有水面埋立申請は不認可となりました。

 

これらの文書からは、 軍用地そのものに加えて、軍用地の隣接地においても、その活用について制限を受けていたことがわかります。

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