1957年(昭和32年)2月
米国民政府布令第164号「米合衆国土地収用令」が公布される

 

1957223日、米国民政府布令第164号「米合衆国土地収用令」が公布されました。

 

土地収用の手続きを定めたこの布令で、米国は「限定付土地保有権」を取得できるとされました。

 

公報に登載するための同布令の和訳です。

 

「限定付土地保有権」の説明として、土地の所有権は「収用された土地の所有者にある」ものの、米国がその土地を必要とする期間、「関係土地の上空・地下・地上の完全排他的な使用・占有及び収益をなす権利」と記されています。

『布告布令関係書類 米合衆国土地収用令 所有者不明土地の登記 他』(R00024413B)

 

1957年(昭和32年)3月
園比屋武御嶽石門が復元される

 

1957年3月、園比屋武御嶽石門が復元されました。

 

首里城の守礼門と歓会門の間に位置し、琉球国王が外出の際、その前で道中の安全を祈願した園比屋武御嶽石門の復元工事は、1956年にはじまり、1957年3月に竣工しました。

 

『文化財要覧 1958年度版』に掲載された「園比屋武御嶽石門復元工事報告」には、「復元工事は現存する建築遺片等を精細に調査し又埋没したものは発掘して各部材の寸法形状等を調査して、復元図を作成し、それに基づいて工事に着手した」などと記されています。

『文化財要覧 1958年度版』

 

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1957年(昭和32年)7月
初代高等弁務官にムーア中将が就任する

 

1957年7月4日、初代高等弁務官にジェームズ・E・ムーアが就任しました。

 

大統領行政命令10713号「琉球列島の管理に関する行政命令」(1957年6月5日)で導入された高等弁務官制によって、琉球列島の最高責任者は、それまでの民政副長官に代わって高等弁務官となりました。高等弁務官は、琉球政府行政主席の任命権をはじめとする絶大な権限をもっていました。

 
  米国民政府布告第1号「[高等弁務官の就任(ゼイムス・E・ムーア)]」 『米国民政府布告/Civil Administration Proclamation 1957年~1972年 第001号~第027号』(RDAP000034)

 

1957年(昭和32年)12月
真和志市が那覇市に合併される

 

1957年12月17日、真和志市が那覇市に合併されました。

 

同日発行の『琉球政府公報』号外第54号です。告示第242号「市の廃置分合」によって、「真和志市を廃し、その区域を那覇市に編入する」ことになりました。

 

これに先立つ1954年9月1日には、首里市と小禄村が那覇市に合併されています。このときは、真和志市の合併は見送られましたが、約3年後、真和志市も那覇市へと合併され、現在の那覇市が誕生しました。

 

 

『市町村合併に関する書類 真和志市・那覇市 1957年12月17日』(R00002622B)

 

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