1956年(昭和31年)3月
第3回琉球立法院議員選挙が実施される
1956年3月11日、琉球立法院議員の第3回総選挙が行われました。
1952年3月の第1回総選挙と1954年3月の第2回総選挙は、米国民政府布令第57号「Election Law for Legislature of the Government of the Ryukyu Islands/琉球政府立法院議員選挙法」(1951年12月18日公布)で規定されたものでしたが、1956年1月31日、沖縄側の琉球政府立法(民立法)として「立法院議員選挙法」が公布され、同日付で米国民政府布令第57号は廃止されました。
ただし、選挙区と議員定数は米国民政府布令第57号で規定されたとおりで、29選挙区からそれぞれ1人の議員を選出しました。第3回立法院議員選挙の有権者数は320,892人、投票者数は254,429人で、投票率は78.98%でした。 |
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『選挙結果調 1969年 立法院議員 行政主席 群島知事 群島議会議員』(R00000621B) |
1956年(昭和31年)6月
プライス勧告を契機に軍用地問題が島ぐるみ闘争へ発展する
1956年6月、米国下院軍事委員会は、沖縄の軍用地問題に関する報告書を発表しました。これは、前年10月に来沖した同委員会調査団の調査結果をもとに作成されたもので、団長のM・プライス議員にちなんで「プライス勧告」と呼ばれます。
「プライス勧告」は、軍用地料の一括払い反対をはじめとする沖縄側の要望の大部分を退けていたため、その内容に住民は失望し、軍用地問題は沖縄全島をまきこむ島ぐるみ闘争に発展しました。 |
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『プライス勧告とその反論 沖縄軍用地問題 四原則貫徹実践本部編集発行』(R00020577B) |
【関連記事】沖縄県公文書館 > あの日の沖縄 > 1956年6月9日 USCAR、「プライス勧告」を沖縄住民に伝える
1956年(昭和31年)7月
コザ村がコザ市となる
1956年7月1日、コザ村がコザ市となりました。
1956年5月10日付で越来村長から行政主席にあてた「コザ村をコザ市とすることについて申請」です。市町村自治法第5条で規定する市となるべき要件をそなえていると記されています。
この5月10日の段階では「越来村」だった村名は、6月12日に「コザ村」へと変わりました。それからわずか3週間足らずの7月1日、コザ村はコザ市となったのです。 |
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『市昇格に関する書類 1956年06月 コザ市』(R00002660B) |
【関連記事】 資料紹介 > 市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類 (4) 市町村の名称変更 つかの間のコザ村
1956年(昭和31年)7月
軍用地関係事務所が設置される
1956年7月13日、琉球政府法務局の支分部局として軍用地関係事務所が置かれました。
行政事務部局組織法の一部を改正する立法(1956年立法第16号)が公布され、法務局の支分部局として、新たに軍用地関係事務所が置かれました。
軍用地関係業務の増加にともない、沖縄土地事務所から軍用地事務を独立させたものです。
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軍用地関係事務所の所掌事務は、法務局組織規則の一部を改正する規則(1956年規則第83号)で定められました。
【関連記事】歴史年表 > 1953年4月:琉球政府法務局の支分部局として土地事務所が置かれる
1956年(昭和31年)10月
市町村合併促進法が公布される
1956年10月20日、琉球政府立法の「市町村合併促進法」(1956年立法第84号)が公布されました。
第1章「総則」の第1条には、「この立法は、市町村が市町村合併によりその組織及び運営を合理的、且つ、能率的にし、住民の福祉を増進するように規模の適正化を図ることを積極的に促進し、もつて市町村自治の本旨の充分な実現に資することを目的とする」とあります。
『市町村合併促進法 立法 規則 し-011』(R00160700B) |
同法では、市町村の規模を「おおむね1万5千人以上の住民を有するのを標準」としており、翌57年12月には那覇市と真和志市が合併しました。
【関連記事】 資料紹介 > 市町村の振興計画、合併及び名称変更に関する書類 (2) 市町村合併促進審議会
1956年(昭和31年)11月
第2代行政主席に当間重剛が就任する
1956年11月、第2代行政主席に当間重剛が就任しました。
初代行政主席の比嘉秀平が、軍用地問題の解決に奔走するなかで急死したことによるもので、米国民政府は、那覇市長だった当間重剛を新たな主席に任命しました。 それまで行政主席の任期については定めがなかったため、米国民政府布告第35号「行政主席の任期」(1956年11月20日)によって当間重剛の任期は3年と定められました。 |
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米国民政府布告第35号「行政主席の任期」『米国民政府布告/Civil Administration Proclamation 1950年~1957年 第001号~第039号』(RDAP000033) |
1956年(昭和31年)11月
南方同胞援護会が設立される
1956年11月15日、南方同胞援護会が設立されました。
同会の設立要綱によると、「沖縄、小笠原諸島に関する諸問題につき調査、研究、啓蒙、宣伝を行い、同地域の施政権返還、沖縄の土地問題、小笠原島民の帰郷等の根本問題の解決を促進するとともに、併せて同地域における同胞の援護を図るため、政府の協力団体として」設立するとあります。 |
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『10:南方同胞援護会設立関係資料 1』(0000095237) |
南方同胞援護会は、軍用地問題に対する「島ぐるみ闘争」が、本土においても広く知られるようになり、沖縄問題への関心が急速に高まった状況を背景に設立されました。発足当初は財団法人でしたが、翌57年に南方同胞援護会法(昭和32年6月1日法律第160号)にもとづく特殊法人となりました。
南方同胞援護会は、沖縄の日本復帰にともなって役割を終えたことから復帰の翌年に解散し、その財産は、沖縄協会に引き継がれました。
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