日本米がやってきた! そのお味は?

USCAR 経済局の「農業専門家ファイル 1953-1970」シリーズの文書『(0273-003) No. 21.5: Rice.  米穀』(資料コード0000011838)より、統治下の沖縄とコメに関する資料を紹介します。

 

当時の沖縄のコメ消費量は年間約10万トン。自給率は1割程度でした。日本のコメは、外国米として輸入が規制されており、そんな沖縄の食卓を支えていたのはアメリカ、オーストラリア、タイからのコメでした。アメリカにとっても、沖縄は3%程度のシェアを持つ輸出市場でした。

 

60年代後半、日本政府はコメを使った沖縄支援策を打ち出します。日本国内の余剰米を「供与米」として、安価で琉球政府に販売し、それを琉球政府が沖縄内で販売した利益を産業振興の資金財源にあてるというものでした。

1970年11月、供与米の試食会が那覇市内で開催されました。その時の様子を報じる地元紙とUSCAR編集NEWS HIGHLIGHTSです。

 

試食会に出席した婦人連合会、琉球大学教授、食糧会社、琉球政府職員ら33名による評価は、1位・内地で配給されている本土米(116点)、2位・島産米(96点)、3位・カリフォルニア特選米(94点)、4位・沖縄への供与米(79点)、という結果でした。

審査員からは不評だった供与米ですが、すでに19699月と1970年に3万トンを沖縄へ輸出することが日米間で合意されていました。

 

 

 

「日本のコメ問題におけるUSCARの役割」と題した文書(上)では、カリフォルニアのコメ輸出組合から沖縄におけるカリフォルニア米の市場を引き続き確保してほしいと要望を受け、琉球政府や沖縄の輸入組合と密な調整を続けている旨が記されています。

 

 

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