1946~49年の往復文書(1)帰還/送還
1946~49年の「対米国民政府往復文書」(通称、往復文書)から、沖縄をめぐって実施された帰還/送還に関する文書を紹介します。
沖縄への帰還者の受入れ
1946年8月12日付の文書「帰還者受入移動手続」には、沖縄への帰還者を収容するために設置された、キャンプ・コステロおよび久場崎キャンプの機構や管理方法などが記載されています。
沖縄への帰還者の受入れ業務の一部は、軍政府の管理の下で住民たちが担ったようです。
下の文書「沖縄到着帰還者受入処理及び移動等取扱手続準則 沖縄民政府職員用取扱手続準則」では、キャンプに到着した帰還者について、「沖縄人より成る処理団」がなすべき役割が記されています。
これらの文書は、『対米国民政府往復文書 1946年 受領文書』(資料コードR00165446B)に収められています。
沖縄から日本本土への帰還
次は、沖縄から日本本土への帰還に関する文書です。
1946年7月30日付の左の文書「List of Repatriates to Japan/日本本土への帰還者名簿提出に関する件」は、軍政府が沖縄民政府に宛てたものです。「目下沖縄に居住し将来日本本土へ帰還すべき住民全員」(all civilians now living on Okinawa that are to be repatriated to Japan)の名簿を作成して、8月31日までに提出するよう指示しています。
同じく1946年7月30日付の下の文書「Repatriates to Japan/日本本土への送還者に関する件」では、沖縄から日本本土への「送還者」が多くの物資を持ち出し、日本の「闇取引」(black market)で販売したことを、軍政府が問題視しています。
軍政府は、不正に持ち出された物資は、日本到着時に没収される旨を「送還者」に通告するよう、沖縄民政府に求めました。
これらの文書は、『対米国民政府往復文書 1946年 受領文書』(資料コードR00165446B)に収められています。
琉球列島間の移動の管理
琉球列島が群島別に管理されていた時期、住民は群島間を自由に移動できませんでした。
1946年9月10日付の下の文書「Permits for Inter-Island Travel by Civilians」は、住民が「許可なく」(with no authorization)群島間を移動していることを、軍政府が問題視したものです。
群島間の移動には、軍政府の管理のもとで沖縄民政府が発給する許可証が必要とされました。 また、「送還計画による移動」(movements necessitated by repatriation program」については、軍政府が「排他的に取り扱う」(handled exclusively)としています。 『対米国民政府往復文書 1946年 受領文書』(資料コードR00165446B) |
そうしたなか、沖縄本島に住む宮古・八重山出身者が故郷へ帰るといった行為も、「repatriation」として軍政府の管理下におかれたようです。
下の文書「Repatriation to Miyako and Yaeyama – A Rrquest for」は、沖縄本島在住で「宮古および八重山への帰還を希望する人」(the persons who wish to be sent back to Yaeyama and Miyako)について、沖縄民政府が軍政府に報告しています。
『対米国民政府往復文書 1947年 受領文書』(資料コードR00165447B |
貨幣の流通管理
帰還/送還は、人の移動だけではなく、物資や貨幣の流れも生み出します。軍政府は、帰還者が所持する貨幣についても管理しました。
下の文書は、台湾から沖縄への帰還者が所持する貨幣について軍政府が指示したものです。
『対米国民政府往復文書 1948年 受領文書 』(資料コードR00165449B) |
台湾からの帰還者は、正式な手続きを経たうえで「旧日本銀行券」を持参していましたが、「日本」の権限が及ばなくなっていた琉球列島では、もはや通貨とは認められませんでした。「旧日本銀行券」を琉球列島の通貨と交換してほしいという帰還者からの要請に対して、軍政府は、氏名や金額などを記載した申請書を提出するように命じています。