琉球政府立法の制定 ― 政府立公園法

『立法に関する書類 1957年 4』琉球政府行政主席官房総務課(R00000925B)

総務局 渉外広報部渉外課の「立法勧告及び署名手続に関する書類」から、琉球政府立法(民立法)の立法過程に関する文書を紹介します。

 

琉球政府立法

米国統治下の沖縄の法体系は、統治者である米国側から出された布告・布令・指令などと、住民側の琉球政府立法とに大別されます。琉球政府は立法権を有していましたが、立法院に提出される法案はすべて、事前に米国民政府(USCAR)の承認を得る必要がありました。また、法案の立法院通過後にも、行政主席が署名して公布する前に、米国民政府の承認を受けなければなりませんでした。

法案は主管する部局が作成し、米国民政府による立法許可を得た後、立法院に提出されます。立法院で可決された立法案は行政主席に送付され、米国民政府の許可を得たうえで、行政主席によって署名、公布されました。

琉球政府立法の立法勧告に関する事務を所掌していたのは、総務局 渉外広報部渉外課です。このため、同課の「立法勧告及び署名手続に関する書類」というシリーズには、琉球政府立法の立法勧告から行政主席の署名手続きに至るまでの関連文書が綴られた簿冊が残されています。

『立法に関する書類 1957年 4』(R00000925B)に収められている1957年の立法案第44号「政府立公園法」を例に、琉球政府立法ができるまでの流れを文書に沿って見てみましょう。

 

琉球政府立法の制定プロセス:立法勧告まで

まず、主管局が作成した法案について、米国民政府の承認を得て、行政主席が立法院に立法勧告を行うまでのプロセスが示されている文書です。

1957年5月30日、「政府立公園法」の主管局である工務交通局(のちの建設局)は、立法勧告に関する事務を担当する行政主席官房(のちの総務局)宛てに、立法案と「民政府承認書簡」を送付しました。

立法案第1条には、「政府立の公園を設定して、琉球の史跡及び代表的景勝地の保護開発を図り、もつて住民の保健、休養及び教化並びに一般観光客の誘致に寄与すること」と法の目的が謳われています。

  立法案には「勧告理由」が付されています。

「政府立公園法」が必要とされる背景として、緑地や子どもの遊び場が求められていることなどに加え、「政府立公園を通じわが沖縄の独特な風景を広く非琉球人に享用せしめることは、沖縄の国情を海外に紹介し、観光事業によつて国際親善に寄与することは、もとより、外貨獲得にも至大な貢献をなす」ことも挙げられています。

下の文書は、米国民政府が行政主席に宛てた「民政府承認書簡」(5月29日付)です。「政府立公園法」を立法院に提出することについて「何等異存はない」と承認しますが、「公園の運営及び管理に対する責任は、明瞭に定められるべきである」など、「更に組み入れるべき基本的な方針」を編り込むことという条件がついています。

このように、主管局である工務交通局は、立法案と、それを立法院へ提出することに対する米国民政府の承認文書とを行政主席官房に送付して、立法勧告を依頼しました。

 これを受けて、行政主席は、立法院議長に「政府立公園法」の立法勧告を行いました。

 

琉球政府立法の制定プロセス:立法院での議決から署名手続きまで

次に、法案が立法院で可決されてから、行政主席によって署名公布されるまでの文書です。

立法案第44号「政府立公園法案」は、1957年7月30日、立法院で可決されました。

8月6日、立法院議長の与儀達敏から、行政主席の当間重剛に宛てて、可決された立法案が送付されています。

同日、行政主席官房は、法務局と工務交通局に立法案を送付し、これに対する異議の有無を問い合わせました。

なお、主管局である工務交通局に対しては、「民政府とも調整の上、その結果についても御回報願いたい」としています。

8月14日、法務局は、「案のとおり審議決定の上行政主席に提出してよいと認める」と回答しました。

8月26日、主管局である工務交通局も、「立法院の議決どおり公布しても異議ありません」、「民政府とも調整済み」で「公布に異議ない旨」の回答を得ているとしました。

 
工務交通局の回答には、米国民政府からの承認文書が添付されています。「立法院の議決になった同法案については、当政府は異議ない」(no objection to the Bill as passed by the Legislature)とあります。

こうして、立法院で可決された法案に行政主席が署名して公布することについて、法務局および工務交通局から異議ない旨の回答があり、さらに米国民政府の承認が得られました。

左の文書は、行政主席が「政府立公園法」に署名をして公布することを、行政主席官房で決裁したものです。

 

以上が、1957年当時、立法勧告に関する事務を所掌した行政主席官房(のちの総務局)の簿冊に綴られている、「政府立公園法」の立法勧告から署名手続きまでの一連の文書です。立法勧告の理由を知ることができるほか、米国民政府が、法案の立法院への提出前、そして行政主席による署名手続き前の2回にわたって、それらを承認している文書も見ることができます。

「政府立公園法」は、1957年立法第56号として、1957年8月30日に公布されました。

 

琉球政府立法の改正

既存の琉球政府立法を改正する場合も、基本的には「〇〇〇(既存の法)の一部を改正する立法」といったかたちの新たな立法として、同様のプロセスをたどります。

例えば、総務局 渉外広報部渉外課『に関する書類 1959年 1』(R00000908B)には、上で紹介した「政府立公園法」を改正するための「政府立公園法の一部を改正する立法」に関する文書が収められています。

​同法案を主管したのは工務交通局で、立法の理由は1958年9月のB円からドルへの通貨切替です。

「法文中の金額の表示を現通貨の単位で表示し、住民にその趣旨を徹底せしめ、遵法による法の運用を円滑にするため」、「政府立公園法」第27条(罰則)第1項の「4千円」を「40ドル」に、第2項の「2千円」を「20ドル」に改めるとしています。
  法案は、1959年3月31日に立法院で議決されました。第27条第1項の「4千円」を「35ドル」に、第2項の「2千円」を「15ドル」に改めるとしており、工務交通局による立法案よりも、120B円=1ドルという定められた交換率に、より近い額になりました。

「政府立公園法の一部を改正する立法」は、1959年立法第39号として、1959年4月24日に公布されました。

参考文献:伊志嶺恵徹「事前事後調整」『沖縄大百科事典 中』(沖縄タイムス社、1983年)、島袋鉄男「民立法」『沖縄大百科事典 下』(沖縄タイムス社、1983年)

 

【関連記事】

資料紹介 > ドル切替のインパクト― 琉球政府立法の改正作業

資料紹介 > 布告・布令・指令等(7)通貨の変遷~ドル切替

上に戻る