毒ガス撤去に関する書類 (4) “News Release”, “Red Hat Bulletin” ~「速報」にみる第2次毒ガス移送

総務局 毒ガス撤去対策本部の「毒ガス撤去に関する書類」から、“News Release”, “Red Hat Bulletin” を紹介します。

“News Release”, “Red Hat Bulletin”

1971年7月15日から9月9日までの56日間、沖縄に持ち込まれていた毒ガスを撤去するため、知花弾薬庫から天願桟橋にかけて、第2次毒ガス移送が実施されました。

USARYIS(United States Army Ryukyu Islands=琉球列島米国陸軍)は、第2次毒ガス移送の計画や進捗を伝える “News Release” または “Red Hat Bulletin”(以下「速報」とする)を作成し、琉球政府の毒ガス撤去対策本部に送付しました。

現時点で確認できる「速報」は、1971年5月13日の第1号から、毒ガス撤去後の9月14日にかけてです。いくつかの欠号が見られるものの、第2次毒ガス移送の展開をおおむね日毎に追うことができる貴重な資料です。

「速報」は複数の簿冊に分散していますが、『毒ガス撤去関係資料 米軍よりの文書』(R00004743B)、『毒ガス撤去関係書類 レッド・ハット特別安全対策要綱 軍速報及びメモ 荷役装置及び設備 軍より大島部長への書簡』(R00004812B)の二冊に比較的よくまとまって綴られています。

Red Hat Road の建設

第2次毒ガス移送では、毒ガスを載せた車両群が民間地域を極力通らないよう、米軍基地内を通過する移送コースが選択されました。このため、発行がはじまった1971年5月から、7月に毒ガス移送がはじまるまでの間、「速報」の主な内容は、毒ガス移送のために基地内に建設された “Red Hat Road” の工事の進捗状況でした。

 

05/13 「速報」第1号 : Red Hat Road の建設開始

1971年5月13日の「速報」第1号には、Red Hat Road について、「第2次レッドハット作戦の際の毒性化学兵器の地上輸送のため知花弾薬倉庫を通過する軍用地域を含む道路工事は5月10日から始まった」とあります。

また、道路建設の進捗状況は定期的に発表されること、天候に恵まれた場合は60日ほどで完成する見通しであることが記されています。

 

06/02 「速報」第3号 :建設工事の進捗

Red Hat Road の建設開始から約3週間後の6月2日付の第3号では、工事の進捗が40%であること、完了予定日は7月10日であることが記されています。

また、移送コースが基地内を通過する割合にも触れています。1971年1月13日に行われた第1次毒ガス移送時は、「軍施設内を通ったのは、全行程のわずか10パーセントにすぎなかった」のに対し、第2次移送では65%が基地内を通るとあります。

 

06/05 「速報」第4号 :道路建設の写真

6月5日の第4号には、道路建設の写真が付されています。

写真左には「工事が続くレッドハットロード、7月10日に完成予定」、写真右には「レッドハットロードのアスファルト舗装作業に従事する労働者、予定通りに沖縄から出港する毒性化学兵器を輸送するためのルートになる」との英語のキャプションが付いています。

 

06/18 「速報」第6号 : 移送開始日(仮)の発表

6月18日の第6号では、第2次毒ガス移送の開始日が伝えられました。

USCARのランパート高等弁務官は、「輸送のための軍施設内を通過する道路の建設工事が予定通りに完成すれば」、第2次レッドハット作戦における最初の「毒性化学兵器」の輸送は「7月15日頃」になると発表しました。

また、「沖縄に貯蔵されている全化学兵器が完全な安全性において撤去されることを確保するため」、「あらゆる安全対策」が計画・実施されることを屋良朝苗主席に保証したとも記されています。

 

07/12 「速報」第9号 :Red Hat Road の完成

Red Hat Road の完成は、7月12日の第9号で発表されました。「約1マイル半の道路新設工事と他の2マイルのルート部分の再舗装と幅員拡張」が行われたとあります。

また、知花弾薬庫に貯蔵されている化学兵器が天願桟橋までトラックで輸送されたのち、そこで船に積み込まれ、ジョンストン島に向けて出港するという、レッドハット作戦の基本的な計画があらためて記されています。

 

第2次毒ガス移送の開始

第2次毒ガス移送が開始されてから、台風接近で作業が一時中断した様子を紹介します。

 

07/13 「速報」第10号 : 第1回移送スケジュールの発表

第2次毒ガス移送の初日にあたる7月15日の作業内容が、7月13日の第10号で発表されました。

朝から夕方にかけて、5つの車両群が「マスタード化学兵器」を運搬し、天願桟橋に停泊している「シイー・リフト号」に積み込まれるとあります。知花弾薬庫から天願桟橋までの所要時間は約30分だとされています。

 

07/29 「速報」第37・38号 :2日後の作業内容と当時の作業実績

7月17日の第15号以降、「速報」はおおむね1日につき2回発表され、1回目で2日後の作業内容、2回目で当日の作業実績が伝えられました。

7月29日に発表された第37号・第38号を見てみましょう。

第37号には、2日後の7月31日、4つの「移送車両群」が376トンのGB化学薬剤を運搬するとあります。

「車両群」はそれぞれ10車両からなり、13号線と第二弾薬補給地点に通じる道路の交差点にある「第2チェックポイント」を、朝8時半から午後3時30分にかけて通過すると記されています。

第38号には、「第2次レッド・ハット作戦の13日目」にあたる7月29日、4つの「移送車両群」が280.8トンのGB化学薬剤を運搬したとあります。

これによって天願桟橋に停泊している「マクグロー号」に、543.9トンの化学兵器が積み込まれたことになりました。

 

08/01 「速報」第44号 : 台風オリーブの接近

8月に入ると、沖縄に接近する台風が、毒ガス移送に少なからぬ影響を与えました。

8月1日の第44号では、台風オリーブの接近に伴う「レッドハット作戦の一時停止」が発表されています。

毒ガス兵器をジョンストン島まで輸送する「マクグロー号」は、「海上の安全距離に避難し、積み荷作業の継続を許す天候状態になったとき再び戻ってくる」と記されています。

 

08/08 「速報」第51号 :台風ポーリーの接近

8月8日の第51号では、1855.3トンの化学兵器を積んだ「マクグロー号」が、この日、ジョンストン島へ出航したことが記されています。台風ポーリーの接近によって、「マクグロー号は早やめに出航し、レッド・ハット作戦は一時短縮を余儀なくされた」とあります。

移送作業の「スピード化」とサリンの落下事故

8月後半になると、当初計画されていた回数や量を上回る移送作業が行われるようになりました。

 

08/22 「速報」第73号 :移送作業の「スピード化」

8月22日の移送作業は、2日前には5回と予定されていましたが、計6回行われました。

第73号では、移送回数が5回から6回に増えたのは、「沖縄の人たちがお盆休みを持てる様に積込み作業をスピード化したため」と説明されています。

このほか、8月23日の移送作業も4回の予定から5回に増え、8月25日については、2日前に計画されていた移送量312.8トンが、前日の8月24日に392.8トンに急遽変更されています。

08/25 「速報」第79号 :サリンの落下事故

移送作業が「スピード化」するなか、8月25日、天願桟橋に停泊している輸送船で、毒ガス兵器が落下する事故が発生しました。

この日に発表された第79号では、「今日の午前7時55分、荷揚げ用のスチール・ロープがすべり、そのため貨物が落下し、15箇のGB化学薬剤〔サリン〕のロケット弾を入れてあるパレット1つが約40フィート〔約12メートル〕の高さから船倉内に落ちた」と記されています。「精密な検査」や「詳しい検査」の結果、「傷害は発生しなかった」、「化学兵器の漏れがなかったことが確認され」、作業は約1時間後に再開されています。

 

レッドハット作戦の終了

09/09 「速報」第89号 : レッドハット作戦の終了

毒ガスの陸上移送の最終日となった9月9日の第89号では、「第2次レッドハット作戦」の終了が宣言され、知花弾薬庫からすべての毒ガス兵器が撤去されたと発表されました。

第1次・第2次を含めたすべての毒ガスの移送量は13,243.7トンで、その内訳は「GB化学剤」8,322.5トン、「VX化学剤」2,056.6トン、「HD化学剤」2,864.6トン、レッドハット作戦全体の実働日数は35日間でした。なお、8月25日に発生したサリンの落下事故については、「些少な事故」とされています

 

09/14 「速報」: 毒ガス撤去後の琉球政府の視察

9月14日付「速報」には、毒ガス撤去後の視察風景を収めた写真が添付されています。

写真左のキャプションには、「レッドハット作戦指揮官ジョン J. ヘイズ少将が、このほど、以前毒性化学兵器が貯蔵されていた施設を点検した際、琉球政府行政主席・屋良朝苗氏と話しているところ」とあります。

写真右のキャプションは「第196兵器大隊司令官ハリー R. ベイリー中佐が琉球政府職員及び報道関係者たちに、レッド・ハット作戦終了前に毒性化学兵器が貯蔵されていた知花弾薬倉庫の施設について説明しているところ」となっています。写真内の知花弾薬庫を示す図面から、撤去前の毒ガス兵器の配置状況がうかがえます。

 

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