USCAR壁新聞その1~マラリア根絶へのカウントダウン

『(0387-007) "Nyusu Tembo (News Outlook)," No. 7 (6 May 1962). ニュース展望 No.7』米国民政府広報局

The Information Division, The Public Affairs Department(広報局情報部)「Wall Newspaper Posters, No. 1 (5 Feb 1962) through No. 2 (12 Dec 1967)(壁新聞1号(1962年2月5日)-12号(1967年12月12日))」のなかから、沖縄住民向けの壁新聞「ニュース展望」を紹介します。

 

『(0387-007) “Nyusu Tembo (News Outlook),” No. 7 (6 May 1962). ニュース展望 No.7』は、「ニュース展望」第7号をめぐる文書です。マラリアの撲滅が近づいていることを報じる内容で、沖縄全域に2,000枚が配布されることになっています。

 

この「ニュース展望」第7号によると、沖縄では、1946年に約16万人、翌47年に約12万のマラリア感染者が出ました。これは、「多数の人達が琉球に引揚げて来て仮小屋住いしたのと、よどんだ水溜りにカが猛烈に発生したこと、住民の体力が弱つていたこと、戦時中マラリヤ撲滅対策を講じていなかつたことなどが原因」でした。

1950年代には、チャールス・ウィラー博士の指導のもと、「殺虫剤DDTを6カ月ごとに人家や家畜小屋に散布する計画」などが実施されて効果をあげました。こうした「マラリヤ撲滅の費用は主として琉球に対するアメリカの援助資金でまかなわれている」とも記されています。

1961年2月以降、沖縄ではマラリア感染者がゼロの状態が続いており、根絶の目安である2年間の感染者ゼロを目指して、取り組みを進めていくとともに、引き続き住民への警戒を呼びかけています。

一方、「マラリヤとの戦いに勝つことによつて、“眠れる宝庫” 西表の開発計画が増進される。日本人はマラリヤを撲滅することが出来なかつたために西表の開発計画に失敗した」ともあり、マラリア根絶によって西表島の開発の弾みをつけたい考えがあったこともわかります。

 

 

 

 

 

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