毒ガス撤去に関する書類 (2) 移送ルートの周辺住民の反応
総務局 毒ガス撤去対策本部の「毒ガス撤去に関する書類」から、毒ガス移送ルートの周辺住民についての資料を紹介します。
『雑書 毒ガス移送についての要請 その他』(資料コードR00004793B)には、移送ルートの周辺の自治体や住民たちから送られた決議書や要請書が収められています。
美里村
毒ガスが貯蔵される知花弾薬庫を抱える美里村では、1970年12月21日に、村議会で「毒ガス兵器早期撤去要請決議」が決議されました。
この決議文は琉球政府に送付され、「知花毒ガス兵器倉庫と隣接している美里村民は、何時毒ガスの煙に巻き込まれないとも限らず、毎日が強い生命の不安感をいだいているのであります」としながら、特に移送ルートの周辺住民は「人命の生死にかかる瀬戸際」に立たされていると記しています。続いて、毒ガスの即時全面撤去とともに、周辺住民に対する安全確保、防毒マスクの配布などの措置を講ずるよう、アメリカ政府と琉球政府に訴えています。
さらに、美里村では、1971年1月7日に「命を守る校区民総決起大会」が開かれ、その際に決議された「米軍の毒ガス撤去移送に関しての要請」が琉球政府に送られました。
この要請書には、「毒ガスが身にふりかかり、窒息し、ただれる思いがして、不安がつのるばかりである」、「不安解消の方向へは少しも向っていないばかりか、生か死か、その岐路に立たされている」との、移送ルートの周辺住民の切迫した状況が訴えられています。
具志川市
一方、陸上移送の終着点となる天願桟橋を抱える具志川市では、市役所の職員労働組合から「毒ガス移送に際しての要求書」(1971年1月8日)が琉球政府に送られました。
要求書では、「今回の撤去にはその移送沿道に多くの住民居住地域があり、万一事故でも起れば大惨事をまねくことは確実である」としたうえで、「市民が非常に神経をとがらし、撤去の日が近づくにつれ、その不安は日増しにつのっている現状」が訴えられています。
米軍に対してはもちろんのこと、琉球政府の安全対策についても、「住民の生命を守るという立場から琉球政府としての独自の安全対策はどうなされているか」、「確実に安全という信頼のおける専門家の確証を得ているかどうか」といった疑問が呈されており、それらが明確にされない場合、「毒ガスの移送に対して断固反対する」との立場を表明しています。