戸籍事務に援助を~「沖縄の戸籍は日本国家のもの」

吉田嗣延文書のシリーズ「南方同胞援護会_援護関係資料」から、戸籍事務への援助を要望する文書を紹介します。

 

10:戸籍改製援助関係資料』(0000096242)は、沖縄市町村会が1960年9月24日付で、沖縄の戸籍事務に対する日本政府の援助を求めたものです。

沖縄では、1953年に琉球政府立法「戸籍整備法」が公布されまし。この要望書では、同法によって「63市町村を対象に戸籍の整備にとりかかり、貧弱なる琉球政府と市町村財政の中から、困難なる戸籍整備の努力がつづけられた」こと、1959年からの日本政府の技術援助によって戸籍の整備が大きく前進したことが記されています。

そのうえで、「統治権は米国に潜在主権は日本に」という特殊な地位にあって、「行政責任を有する米国」には戸籍の制度が存在しないことから、「日本国家事務を自主的に日本政府の委託なしに戸籍を守りつづけている」として、次のように要望しています。

「われわれは例え米国の施政権下に居住しているとは云つても日本国民であり、一日も早く祖国の行政権下に入ることは、沖縄全住民の悲願であり、民族的本能に由来する自然の欲求が、戸籍処理への情熱を燃やして国家事務の万全な処理を期している。このような見地から、沖縄における戸籍事務については、本土の市町村と同様現在までの技術援助を積み重ね式に一歩前進させ、戸籍事務委託費援助の措置を講じて戴くよう要望する。」

米国統治下にあっても、「沖縄の戸籍は日本国家のもの」であり、戸籍事務は継続されていたこと、そして、1959年から戸籍事務に関する日本政府の技術援助がはじまったものの、各市町村においては戸籍事務委託費というさらなる援助を必要としていたことがわかります。

 

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