§2-1
「日本侵攻の拠点」から「太平洋の要石」へ
太平洋戦争の末期、米軍は日本侵攻の拠点にする基地を沖縄に創設する計画「アイスバーグ作戦」を遂行し、1945年4月1日に沖縄本島へ上陸しました。そして、その日のうちに旧日本軍の北飛行場(読谷村)と中飛行場(嘉手納村)を占拠して米軍基地にしました。米軍の基地建設は、旧日本軍飛行場をベースにはじまります。その後、宜野湾村に新たに普天間飛行場を建設するなど、旧日本軍との戦闘を続けながらも各地で基地建設を進めました。
こうして日本侵攻のために建設した沖縄の米軍基地は、同年8月に日本が降伏したことによって、その役割を終えたことになります。ところが、その後の国際情勢の変化もあって、沖縄は米国の安全保障政策上の「太平洋の要石」として重要視されるようになりました。そして1949年には、沖縄の基地を長期的に保有する方針を固め、基地をこれまでの一時的な造りから、恒久的な造りで整備・拡大し、さらに、駐留軍人が長く生活できるよう基地内での街づくりも展開していきます。
1945年6月28日 普天間飛行場建設の様子。手前はドリル車、後方は圧搾機。 | 1950年7月23日 沖縄における基地建設プロジェクトを清水建設(東京)が請け負うことになった。 |
『沖縄県史ビジュアル版 5 空から見た沖縄戦』(G00023341B)等から作成 |