沖縄戦証言記録とは

沖縄戦証言記録と沖縄県史

沖縄県公文書館では沖縄戦の記録の保存・継承と、平和教育をはじめ様々な機会での活用を目的に、沖縄戦を体験した住民の証言音声記録を公開しています。

この音声記録は、1971年に琉球政府から刊行された『沖縄県史 第9巻各論編8 沖縄戦記録1』のために聞き取り調査により採録されたものです。

『沖縄県史』は米国統治下の1963年から施政権返還後の1977年まで全24巻が刊行されました。沖縄戦に関する巻としては、上記の『沖縄戦記録1』のほか、『沖縄戦通史』(1971)、『沖縄戦記録2』(1974)があります。

『沖縄戦記録1』は北中城以南の中頭、那覇、島尻地域、『沖縄戦記録2』は中頭の一部、国頭、沖縄本島周辺離島、大東諸島、宮古・八重山その他の戦争体験者の記録が収録されています*¹。

『沖縄戦記録1』(以下「県史」)編纂のため約450名を超える証言を録音したテープのうち、208名分が文字に起こされ県史に収録されました。当該テープはその後、編著者のひとりである宮城聰氏のもとで保管されていましたが、氏の逝去後の1995年5月2日、遺された他の資料とともに宮城企代氏(故宮城聰夫人)から当館に寄贈されました。それらの資料群は「宮城聰文書」として整理登録されています。音声記録である「沖縄戦関係証言記録」をはじめ、「宮城聰文書」の大半は県史編纂に関係する原稿類や沖縄戦に関する資料で占められています。

「沖縄戦関係証言記録」のテープについては、当館で必要な修復とデジタル化を行うとともに、関係者の承諾が得られた音声記録を2009年から館内で公開してきました。しかし、沖縄戦から80年が経過し、戦争体験者が年々少なくなり、戦争を知らない世代が増える中、より多くの方に沖縄戦の実相を伝えるため、戦後80年の節目の年である2025年から証言音声記録のインターネット公開を開始しました。

調査方法と時期

沖縄戦体験の聞き取り調査は、琉球政府行政主席から各市町村長を通じて各地域の区長らの協力を得て、事前に対象者の人選が行われました。調査は主に公民館や区長宅にて行われ、宮城聰氏を含む採録者と数名程度の参加者による座談会形式で行われました。この形式には、個人の体験執筆で起こりがちな「作文」や「省略」を避け、疑問の箇所を参加者同士が補い、語りにくいことも聞きやすくなるというメリットがあったということです*²。

最初の座談会は1967年に行われ、当初は宮城聰氏(県史編集審議会委員・作家)、名嘉正八郎氏(沖縄史料編集所所長)が担当しましたが、後に星雅彦氏(作家)が加わり1971年の最終座談会まで、この3氏を中心に採録と編集が行われました。

音声記録からは、採録者(1人または2人)が座談会の進行役とインタビュアーを務めながら、参加者の話で不明瞭な点や重要と思われる点について繰り返し質問する様子が聞き取れます。また、補足や追加が必要と判断された証言者に対しては、座談会後に個別に訪問し聞き直し、再録を行ったことが県史の随所に記されています。

採録者(インタビュアー)略歴

宮城 聰(みやぎ・そう)

1895(明治25)年、沖縄県国頭村奥間に生まれる。作家。本名、宮城久輝。

沖縄県立師範学校卒業後、尋常小学校の教員を経て、1921(大正10)年、作家を志し上京、総合雑誌『改造』の編集記者となる。在職中は創作部門に所属し、芥川龍之介や里見弴、佐藤春夫、谷崎潤一郎らと接するが、文学活動に専念するため改造社を退職し里見弴に師事する。

1934(昭和9)年、「故郷は地球」(『東京日日新聞』連載)、「生活の誕生」(『三田文学』)を発表、また『改造』に「樫の芽生え」を連載し、新進作家としての地位を築いた。戦後は沖縄に帰郷し、1953(昭和28)年の『空手道』、1954(昭和29)年の「東京の沖縄」(『沖縄タイムス』連載)をはじめ数々の作品を発表する。

1963(昭和38)年4月、沖縄県史編集審議会委員となり、1967(昭和42)年より『沖縄戦記録1』のための体験談の聞き取りおよび編集に力を注ぐ。県史刊行後の1971(昭和46)年、『世界』(6月号)に「戦争体験を記録する」を掲載。その後も新聞等に随筆を発表する。1991(平成3)年死去。1995(平成7)年、ご遺族により音声資料、原稿類、図書等が当館に寄贈された。

名嘉 正八郎(なか・しょうはちろう)

1933(昭和8)年、台湾で生まれる。沖縄県伊是名村出身。沖縄史学者。

1952(昭和27)年、琉球大学法文学部地歴科入学(中退)。1960(昭和35)年、早稲田大学第1文学部史学科国史専修卒業。63(昭和38)年、同大学院文学研究科日本史修士課程修了。

1963(昭和38)年に琉球政府文教局教育研究課に勤務。1967(昭和42)年より琉球政府立沖縄史料編集所長。その後沖縄県教育委員会文化課主幹として文化財に係る。工芸指導所所長、沖縄県立博物館副館長、沖縄県立図書館にて歴代宝案編集事業主任を務め、1994(平成6)年退職。97~98年、中国・魯迅美術学院教授。2006(平成18)年死去。

著書に『琉球の城』(1993)、『図説沖縄の城』(1996)、『グスク探訪ガイド』(2002)、『沖縄・奄美の文献から見た黒砂糖の歴史』(2003)ほか。共編著に『沖縄の証言 庶民が語る戦争体験』上・下(谷川健一共編 1971)がある。

星 雅彦(ほし・まさひこ)

1932(昭和7)年、那覇市久米町に生まれる。詩人・美術評論家。

1944(昭和19)年、熊本県八代郡に疎開、戦後に八代高等学校に入学。1949(昭和24)年単身上京、17年間を東京で過ごす。その間、画家の赤瀬川原平らと知り合い、美術についての知見を得るとともに文学的才能を発揮し、詩人と美術評論家としての基礎が形作られる。

1965(昭和40)年、帰郷し沖縄での文化活動を始める。65~71年に『新沖縄文学』誌に小説を発表。

1969(昭和44)年以降、沖縄史料編集所の委嘱を受け『沖縄戦記録1』のための聞き取り調査および編集に参加。

1981(昭和56)年新生美術協会設立に参加、82年、機関紙『新生美術』を編集発行。

1995(平成7)に浦添市文化協会文芸部が誕生し、同協会発行の『うらそえ文藝』の編集長および協会長として長年尽力する。ほかにも陶芸、将棋などの団体運営に関わるなど、多彩な文化活動を展開した。2024(令和6)年死去。

詩集に『砂漠の水』(1985)、『誘発の時代』(1989)、『マスクのプロムナード』(1993)、『パナリ幻想』(2001)、『艦砲ぬ喰え残さー』(2014)など。その他の著書に『沖縄独立論と憲法改正』(2022)などがある。

*注1:1994年からは新たに新沖縄県史編集事業が始まり、通史編、各論編、図説編などからなる刊行計画に沿って編集作業が進められており、2017年に『沖縄県史 各論編6 沖縄戦』が刊行された。
*注2:『沖縄県史 第9巻各論編8 沖縄戦記録1』p.1070
Remembering the Battle of Okinawa : Voices of Survivors.  Remembering the Battle of Okinawa : Voices of Survivors.  Remembering the Battle of Okinawa : Voices of Survivors.  Remembering the Battle of Okinawa : Voices of Survivors.