戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1949年04月08日 
(昭和24年)
会議名
部長会議 1949年4月8日 目録詳細 画像を見る
議事録
部長会議〔歳出予算案・機構改革〕

  一九四九・四・八(金)午前十時
 〔出 席〕志喜屋知事、島袋官房長、総(又吉)、社(安次富)、渉(比嘉)、企(船越)、文(代仲宗根)、財(代大宜見達・宮里勝)、経(当間)、衛(大宜見・池原)、司(前上門・安次嶺)、通(平田)、警(仲村)、工(柴田)、法制審議会(嘉陽)。
   議題 1、一九五〇年度民政府各部割当歳出予算案について。
      2、沖縄民政府機構改革案について。
〔協議事項〕
  官房長
   連絡会議の諸報告――略
   官房としての報告――印刷機械二台中、一台はうるま新報社に有償で貸し、一台は官房印刷課に置く。
  渉外局長
   去る水曜日のグリーン大佐との会見模様報告。
   伊江島、粟国、伊平屋、上本部、勝連、読谷各村の食糧陳情の件。一九四八年十一月付知事より風水害、潮害等の結果は、三月頃より現はれる予想の下に陳情したことあり。O・C・A市町村側の調査と軍の調査が相違。正確な数字を出せとのことだった。
 知事
  伊江島調査に軍民から行った際学校の卒業式のため御馳走を、うんとしつらへてあるのを軍の調査部が見ていい感じをもたなかったとのことあり、文教部に特にお願ひして斯かることのないよう善処乞ふ。外語校など十時から十一時までに卒業式が済み茶菓さへなく意義深い卒業式が出来た。公衆衛生部の照屋氏など伊江島に行ってお酒のんだのは気がとがめるといってゐる。公衆衛生部としては肉類タンパクシツの欠乏は栄養失調になると考へてゐるが、伊江島では水産課の話ではグルクンが沢山とれたといってゐる。上層部が流したのではないか。斯ういふことが軍に知れると尚ほ困る。
  四月二十四日の民政府創立三周年は自粛したらどうか。日曜にも当るし、心の中に念じつゝ意義深い記念日を送りたい。
 官房長
  式はあげたい。
 社会事業
  調査官六名派遣した。軍社会事業部へ六名分の二、三日分の食糧をもらいに行った。旅費千円宛。総務部二名、水産課二名、農務課二名、計六名調査団が発った。その前にも公衆衛生や社会事業部から調査に行ったことがある。
 副知事
  調査ばかりでなく貰った五六袋すぐ配給するように指示にいった。
 社会事業
  グルクンを主食の芋とかへるためだったら何んともいへない。
 予算課長
  予算についてA表、B表説明(別紙)。
 副知事
  廨の実際面を調査すべきである。
 予算課長
  実績からやった。
 社会事業
  各部の方針をきいて上の編成か。これでは仕事が出来ない。
 通信部長
  この人員ではとても仕事が出来ない。検討させてもらいたい。
 宮里
  税の件、二四〇〇円基礎控除全般から。
 工務課長
  油が十倍になって後三カ月でとまる。
 予算課長
  なければ予備費から出す。
 文教部仲宗根
  弾力性のある平均給でもって進めて行った時、何名の減員を予想するか。
 予算課長
  約千名でよかろう。
 予算課長
  公営バス一哩料金三〇銭を二倍の六〇銭に編んである。然し工務課では五〇銭案堅持。十銭の差で一一四万円一カ年に多くなる。六〇銭に決定したい。
 全員
  賛成。
 企画局長
  機構改革案説明案(別紙)。
  正式の指令はないがグリーンさんから二、三度示唆があった。
  工務の機構が知事下にないことから出発してゐるらしい。
  企画局は事務局程度にして企画課として官房へ。
  印刷課一応廃止して文書課で仕事をやる。
  渉外局に庶務課を置く希望があったが、廨のないところ、小さい所には庶務課は置かないことにしてある。
  編輯課二分して学務課と庶務課に、編修に専念してもらいたいため。運輸部に海運・陸運。

  工務課は営繕課として工務に(最初は財政部の予定)。
  財産管理課総務に。
  司法部は法務と検察二課――未定。
 司法
  三権分立の建前からの案か。裁判権は今までも独立してゐる。刑政課は独立課にしてほしい。
 柴田
  営繕課は工務に置く方が妥当。仕事がし易い。
 宮里
  会計検査課は市町村のみでないから財政部が適当。
 経済
  農務の外に蚕糸、畜産、林務三課新設したい。
  予算の範囲内で出来るから。
 文教部
  半年間殆んど労務をやった。この仕事も終り、これから沖縄独自の教科書の編纂にかかる。
 企画
  実質がよくなるように考へたのに外ならない。労務は庶務課がやるべきである。
 警察
  折角乗出して来た。教養課存置後、一、二ヵ年は待ってもらいたい。
 知事
  比屋根安定氏本日みえる予定。
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