戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1949年02月09日 
(昭和24年)
会議名
ローヤル米陸軍長官と知事との会見 1949年2月9日 目録詳細 画像を見る
議事録
ローヤル米陸軍長官と知事との会見

  二月九日(水)午前九時二十分より同三十分迄で場所 与那原三叉路
会見内容
 志喜屋知事
  心からの歓迎と米国民への感謝の意を表す。
 陸軍長官
  郷土復興に当って最も重要を置いて居る点はどこか。
 志喜屋知事
  家屋建築、食糧増産、工業復興等である。
 陸軍長官
  農地の耕耘は完全か。
 志喜屋知事
  未だ充分でない。
 陸軍長官
  開拓の余地はあるか。
 志喜屋知事
  大いにある。
 陸軍長官
  其為めに何が要るか。
 志喜屋知事
  農器具・肥料・漁具・工業資材を入れたい。
 陸軍長官
  工業面では輸出品の製作が出来るか。
 志喜屋知事
  資材さへ得れば充分出来る。
 陸軍長官
  その品目は何々か。
 志喜屋知事
  アダン葉帽子、漆器、陶器、貝殻、其他種々ある。
 陸軍長官
  列島及離島間の交通輸送には船が要るだらうが、船舶数は足りて居るか。
 志喜屋知事
  大いに不足して居る。尤も軍政府は増船計画を実施中であるが、船が一日も早く沢山建造せられることが沖縄住民にとって望ましい。
 陸軍長官
  道路の維持は如何して居るか。
 志喜屋知事
  今の所軍の責任と民政府の持つべき道路の二つに分れて居る。民側でも維持に苦心して居る。
  (其時のイーグルス軍政長官及グリーン副長官から知事及渉外局長が元教育界で活躍した事を紹介したら)
 陸軍長官
  教育面では生徒は順調に通学して居るか。
 志喜屋知事
  生徒は喜んで通学して居る。
  尚知事は今後共御指導、御支援を御願ひした所、陸軍長官は再会を約して別れた。
上へ戻る