戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年12月15日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年12月15日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔輸入食糧予算縮小・特別売店〕

  十二月十五日(水)午前十時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、当間部長、比嘉局長(通)、石橋課長、富名腰課長。
  軍政府 マーテン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  太平洋諸島方面の廃品を支那が買取ることになって居るので、沖縄にも分けて貰ふ様申請した。
  沖縄には三五六〇〇トンあると(セルトン農務隊長の話)。
  土地及予算の件はセルトン氏と会ふ機会はなかった。
  輸入食糧の予算が一二〇〇万弗が六〇〇万円に減じられた。之では少ないと思ふ(来年度即一九五〇年度の予算)。
  一月からの食糧を35%にする意志はグリーン大佐もない。
  輸送が容易に行けば35%に減ずる意志はない。
  50%を継続させ様と思ふ。
  本島生産物の実地調査の時は正確に報告されたい。
  軍の調査と大きな開きがない様に願ひたい。
  東恩納の苗圃(感化院敷地にする)については数日後に回答す。
 當間部長
  経済部としては存続し、若し出来なければ他に見出したい。
 軍政府
 ◎特別売店は那覇一ケ所、民政府一ケ所を試験的に立てたい。
  物資は主要食糧で其他報償用物資をやる。
  消費組合の案は出来たか。
  各村に居る職員数を報告されたい。
  消費組合の案は此度は見込なくても将来は有望であるから提出されたい。
  褒賞物資は俸給の50%買ふ程度のもの売ることに制限をしたい。家族のものは売買してよい。而し決定案ではない。家族数にも制限をしたい(公表するな)。
  現在ストックの褒賞物資は相当ある。
  貿易庁が輸入物資を取扱ふと云ふことである。
  補給部も包含しやうと思ふ。之等は将来のことである。暫定的に補給部は現在の通りで行く。
 當間部長
  水産課の漁船が暴風のため破損して居るが、二隻で五十万円の修理費を要するが、予算がないから災害費から支出して貰いたい。
 軍政府
  労務賃金は釘付になって居るから請負式にやらうとしてアッシュモアー氏が計画しつゝある。
  食糧用の機具機械の必要な場合は農務予算から水産に流用することが出来る。
  知事は民政府構内の売店の計画をして居るか。
 志喜屋知事
  計画しつゝあります。
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