戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年02月13日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年2月13日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔台湾引揚者の換金・人口調査〕

  二月十三日(金)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長(通訳)。
  軍政府 ラブリー少佐。
  欠 席 比嘉善雄通訳。
諮詢事項
 軍政府
  大嶺武一氏への手紙。玉城村屋嘉部の人。赤十字よりの通信。
  リース中佐より情報資料(沖縄の課税)。
  選挙が良好であったとの感謝状。
  赤十字より探人。仲程、比嘉セイキチ、坂口、玉那覇仁王、高田実次郎、美田タカシ、山本勇、宮城シセイ(布哇)、安谷屋スミ子(布哇)。
  小包、手紙が来て居るが。ライカムのベーカー氏からM・Gへ。ザキミ三六五一仲宗根加那。与那城村字与那城宮城太郎。宇座・屋号山戸耕作(石川九区五班に居た)。山内昌保。
 ◎台湾帰還者の換金につき上陸地点から帰還地に至る迄での旅費を出せとのことであったが。
  ラブリー少佐とリース中佐と交渉の結果は訂正したいから當銘部長がリース中佐と協議し如何に変更するか話されたい。
  換金につきM・Gから交渉したが又ラブリー少佐から交渉すべく手紙を認めて居る。
  上原警部の弔慰金の件マックマン氏に聞いたらないとのことであった。O・C・Aから提出した書類があったら貰いたい。
 ◎去年人口調査をやったが総務がやったか警察がやったか。
 志喜屋知事
  総務がやりました。
 軍政府
  スキウス保安部長の話だが国勢調査の形式を見て犯人調査の様でよくないとのことでした。
  台湾からの帰還者は海軍時代であったか陸軍時代であったか。
 志喜屋知事
  陸軍時代であった。
 軍政府
  スキヤップは間違でないか。台湾から日本に行った者は多分交換出来たと思って居るのではないか。
  日本を経由して来た人員。直接台湾から来た人員。
  時と回数。
  台湾では其当時新円はなく旧円であったことが分った。之は新円に交換するのが当然である。換金の時には日本、支那、米国も相談の上であると思ふ。支那が証明して居るなら換金出来ないことはない。
 志喜屋知事
  在布哇沖縄救済会から豚五〇〇頭を軍が許可すれば送りたいと云って居るからよろしく御願ひします。
 軍政府
  布哇から願ひ出る様にされたい。
 志喜屋知事
  ラヽ救済会から豚一〇〇〇頭送ると云って居るが何時頃来ませうか。
 軍政府
  無答。
 志喜屋知事
  住宅の骨組は来て床板が来ないから板類も送らる様お願ひします。
 軍政府
  一九四六年六月にクレーグ大佐と私も東京に行って資材を約束したが其約束の分には板はないと。
  本島産か大島産を取寄せよ。日本から当分板は見込ない。
 志喜屋知事
  全琉球経済政策委員会委員の人名は何時迄報告すればよいか。
 軍政府
  民政府委員は政治的色彩のない人から出されたい。
 又吉部長
  首里・石川両市の決戦投票の報告をなす。
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