戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年08月22日 
(昭和22年)
会議名
部長会議 1947年8月22日 目録詳細 画像を見る
議事録
部長会議〔貿易資金・市町村財政〕

  八月二十二日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、比嘉秀、又吉、山田、名嘉山(文教)、宮里(財政)、宮良(工務)、糸数(商)、新崎(補給)、玉城、安谷屋、當銘、當山、大宜見、平田、比嘉永、桑江、牧野(司法)、仲村、原國(貿易)、當間(総務)、嘉陽(総務)の各部長及代理。
協議事項
 島袋官房長
  軍政府連絡会報告。
 ◎貿易庁の要求した糖商組合の跡はみなと村から使用を要求して居ます。
 ◎那覇への移動は恐らく平和会議後でせう。
 ◎天願倉庫は近く民政府移管になる。或面は軍政府が握るかも知れないと。
 ◎北谷村移動の労務賃銀支出御願ひの件(屋敷地均のため)。
  該支出は工務部復興費から支出になるかも知れない。
  沖縄の貿易資金として十万弗SCAP(スキャップ)(マック司令部)の方に申請すると。
  米国記者団が帰国第一声に沖縄印象記のなかったのは滞在が短日時であったせいであると。
  沖縄としては救済費として金銭を送って貰ふよりも品物を送って貰った方がよいが只輸送の関係で困難で、米国から輸送して貰へる様互いに努力する方がよい。
  食糧輸送第一主義であるから他の物の輸送は困難である。
 ◎ガーン様が東京から帰へって来たら大東のことに就いて知事、又吉部長、ガーン様、レートン、ウイルソン両中佐五人で打合せをやると。
  大東の現在の機構を考へて見ようと。
 當銘(財政)会計長
  市町村の財政につきて説明す。
  赤字町村――十五ヶ村。他は黒字。
  黒字の町村から赤字町村へ補填して軍政府からは仰がない様に考へて居る。
  赤字の村の計   一五四、八三八円四三。
  黒字の村の計 三、八一四、二四八円七七。
  赤字になる原因。
  人口の少いこと。移動の遅れたこと。
 比嘉部長
  政策の転換が必要と思ふ。
  高級的施設の面にアメリカの援助を願ふ。
  輸入物資のみに依頼する他力依存の撤廃。
 嘉陽事務官(総務)
  五万円程度の村は寄付して貰ふ必要はない。其以上は一、二、三、四、五の比率で出して貰ふ。
 山田部長
  村長の意見を中心として此の問題は考ふべきと思ふ。
 又吉部長
  要は村民に希望を持たすべきと思ふ。
 比嘉秀課長
  根本的財政々策を速に樹立させたい。
 大宜見部長
  軍政府は沖縄の労務者の出ないのがいけないと云って六ヶ月も配給停止するかも知れないと迄で怒って居ると。
  愛楽園は食糧が切れて居る。愛楽園のみでも何とか出来ないものか。補給部に御願ひします。
 山田部長
  私の所にも少しはあります。考へて見ます。
 新崎課長(補給部)
  労務者は農繁期で出て来ない。
 大宜見部長
  夏季脳炎発生状況報告。知念地区二五名。媒介は蚊族。薬による治療法・予防法なし。七、八才~十二才に多い。死亡率25%。
 當銘(労務)部長
  天願倉庫の労務の件。
  市町村長の関心は見上げたものである。
  機構の改正なき限り見込薄である。
 當山部長
  沖縄人の不心得の一部の者のために米人から全部が悪く見られて居る。
 當銘部長
  二名の労務者の不詳事件。
  前原倉庫の専属労務者二五名中四名は蹴られて居ないが残二十一人は多少の負傷を受けて居る。
 島袋官房長
  通訳及翻訳官の件。
  各部該官の暇の者は他部の忙しい所に手伝はしたい。
 比嘉秀課長
  予算を移し籍を移さずに相互扶助のために。
 大宜見部長
  公営バスによる職員出張の件。予算膨大になるが。
 宮良課長(工務部)
  考究中である。
 宮里課長(財政)
  財政部長に話して研究す。
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