戦後初期会議録

組織名
奄美民政議会
開催日
1950年01月27日 
(昭和25年)
会議名
第1回民政議会(2日目)
議事録
第一回民政議会議事録

第一回民政議会議事録(第二日目)
 一九五〇年一月二十七日
 三方村役場会議室

  (午前九時四十五分開会)
◎知事 昨日に引続き開会致します。その前に昨日問題になりました政庁令案の第十四条案で幹事の任務をうたった方が良いだろうと云うことでありましたが今案が出来上りましたので一応おはかり申上げます。第十四条としまして幹事は議長の監督の下に議会の事務を統理する事務総長の権限を持つ訳になります。それから第十二条の議長の権限と云う処に字句を入れて貰いたい。議長は議場の秩序を保持し議事を整理し、その次に議会の事務を監督しを入れて貰いたい。次に議会は必要に応じて知事がこれを招集する、十二月に定例議会を招集すると云う通常議会と云いますかこう云うものを開くことにして、その他は必要に応じてこれを開く、こう云うようにしたら如何かと思いますが。定例会議は毎年六回以上開かなければならないと云うことになっております、府県会は。…民政議会規則、民政議会傍聴人取締規則、こう云うものは一応これで決定したことに致します。
  (異議なし)
◎知事 如何しましようか。沖縄の諮詢委員ですが午後にまはしまして議事録署名人を二名お願いしたいと思います。
  (知事に一任の声あり)
 それでは一番と二番お願いします。八番目に各部長、局長の現況報告を一応聞いて頂きましてそれについて質問なりをして頂きたいと思います。一応各部長から各部所管事務現況報告をして全般的に終った時に後で皆さん質問をして頂きたいと思います。
◎吉田(総) それでは八番目に各部局長の主管業務現況説明を致したいと思いますが、順序と致しまして翻訳の方は大体和先生が翻訳局長として御説明なさるとは思いますが向うの方は軍政府から指令、命令その他の文書の翻訳それから政庁から軍政府に提出する文書等それから通訳、こう云った方面の仕事をなされております。それだけ申上げまして、次は私の方を最初にして、その次経済、衛生、文教、農務、財政、公安、通信、司法、工務、補給、こう云った順序で御説明をして頂くことになっております。先ず総務部に入る前に政庁の機構、御存知とは思いますが一応お話致します。正副知事の下に一局十一部、翻訳局その他に先程申上げました総務部、財政部、衛生部、文教部、農務部、経済部、公安部、通信部、工務部、補給部(司法部脱カ)とこう云った一局十一部がおかれまして、その下に少いのが二課多いのが七課、全部で四十二御座います。結局十一部四十二課からなりまして、それぞれその部門の仕事を担当して頂いております。総務部は五課に分れておりまして、総務課と調査課、法制課、民政課(監査課脱カ)の五つに分れておりますが、その中の総務課は正副知事の秘書的位置を担当しております。それからもう一つは政庁職員の人事に関する仕事を担当しております。その他文書の処理発送といろいろ御座いますが、その中で特にこの人事関係は総務部の主なる仕事でありまして、現在政庁の一般会計でまかなっている人員は政庁職員ならびに部外の刑務所とか警察署とか或いは学校、郵便局こう云う処まで合せまして二千六百六名になっております。この二千六百六名の方が昨年の十一月一日以降一人平均八百円ベースとなって大体俸給年額にして二千五百万円程度の人件費を使っております。その他に旅費これに附随するようなものまで含めますと相当予算の大部分を喰うことになっております。この月給だけを計算して見ましても予算総額の五十パーセントおば費していると云う結果になっております。一方この八百円ベースの方は本俸おば七百四十円平均として本俸を決めまして、残り六十円は食糧手当と云うような形式でその人の技能学識に比例して一人三十円但し五人以上は五人でとどめると云う基準を設けまして或る程度その本人の生活の援助を致すと云うことに気を配っております。しかし乍ら現在の経済情勢、社会状況から見ましてこの八百円ベースではとても生活は出来ないので御座います。それぞれ出勤前或いは退庁後鍬を取り或いは休日に山に行くとかその他家庭で晩に内職をし奥さんが内職をすると云うようなことをやりまして、それでも尚おっつかないで現在はそれぞれ自分の持物おば片端から処分し尚それでも行けず現在は相当の借金をしております。自分は近い将来に何らかそれに対する対策が打たれるだろうと云うことを夢見つつその日その日の職務を勤めているような状況であります。これに対して政庁と致しましては何らかの待遇改善の処置を講じたいと上司の方はもちろんそれぞれ関係部課等に於ても研究致しておりますけれども、何しろ政庁の予算そのものがかつて大島の歴史に記されたことがない自給予算と云うような建前にある関係上どうしてもその新しい打つ手おばはっきりと申上げることが出来ないような実情であります。特にこの殉職者退職者と云うような方々に対する給与金でさえも現在まで軍政府に折衝していろいろ交渉しておりますけれどもまだ実現に達しておりませんが、この殉職者なり或いは退職者に対する給与金等も近い将来に於て実現するのではないかと云う見通しをつけている程度であります。その他にこの医療費、お医者さんにかかる医療費のことにつきましていろいろ研究致しました結果、先ずようやくにして政庁の直接の関係のある中央病院、古仁屋病院この両方の病院におねがいが出来まして政庁の職員その家族に対して実費診療をおねがいすると云う待遇改善の一事をなしている程度であります。次は調査課のことについて申上げますと、調査課は最初の調査課を新設した意図と致しましては、政庁内の各統計の調査を統一致しまして新しいその統計の基礎資料の下に企画部として新設することが出来ず世論課と云うような課を新設してこれおば増強して将来企画部的運営をやって行こうと云うような構想の下に新設は致しましたけれども、現在課員の陣容が整はないことが原因でありますが第二はまた財政が伴はないと云うような関係でその所期の構想は挫折致しまして現在只政庁公報の発行とそれから統計事務の一部おば只処理していると云うような程度にしかなっておりません。次は法制課の方では二・二宣言に依る日本行政との分離に依りまして法制の方も自主性を持たざるを得なかったのであります。日本に於ても新しい民主主義の下に次々と法が改廃されて行きつつありますが、これと足並を揃えて我が諸島でも民主主義法制確立と云う処おば目指して諸法令の改廃に努めつつあります。これは軍政府から指示されまして作り上げた法制改訂委員会と云うものがありましてこの委員会と共々に手を取ってその仕事おば処理しつつあります。最近制定したものと致しまして、教育基本法とか或いは学校教育法、農業協同組合法、商工業組合法その他に市町村制(新しい市町村制であります)、それから現在軍政府に提出してあります漁業協同組合、刑法一部改正をおねがいしてあります。次に民生課(ママ)の方では市町村の行政、経済とそれから救済法案或いは農務方面を取扱っておりますが、市町村の行政は昨日一寸触れましたように従来日本の市町村制に依って修正されておりましたのを日本ではすでに新しい自治法が施行になりまして民主的に根本的に改廃されておりまして本諸島でもそれに基いて新しい市町村制を作り上げると云うことを努力を致しておったのでありますが、幸いに致しまして昨年来この新しい市町村制の方が軍政府の認可を得ましたから先ずこれの施行令、施行規則、附則(ママ)法令を作り上げましてこれを軍政府に提出してそれの認可に依ってこれを実施に移すと云う運びになっております。何時頃実施が出来るかということになりますがこれは恐らく茲の軍政府限りで認可をして頂けるだろうと考えております。後一、二ヵ月後になりはせんか、かように考えております。新しい市町村制が実施になりましても市町村長とかその他議員こう云った方々の身分につきましてはやはりこの新法に依って出来たものと見做して一応現在の儘にしておくと云うことに規定されております。それから市町村財政の方は後の政庁財政部、財政部長から詳しく説明があると思いますが、頂度これと同じでありますが従来日本政府の行政管下にあった時代には約五十パーセント以上を国の負担に依って運営していたのであります。と申しますのは大島郡二十一ヵ市町村が全国でも有名な貧弱市町村と云うようなことになっておりまして、他県或いは県内の他郡の市町村に比較致しましても尚一段と財政が枯渇している関係で相当多額の財政補給を頂いてそれに依って行政を行っていたのでありますが、二・二宣言に依って分離後結局政庁の出す財政補給金と云うような処の政庁自体そのものがまた未だ自給予算を持ったことのないあわれな財政当局である関係で日本政府が出していた当時とお話にならない程度で、本年度の如きも日本時代に約五十パーセント程度の財政補給金をもらっておったのが今年度市町村の状況はわずか二パーセント程度に過ぎないと云うような五十万円近く、約三千万円の市町村の予算に対して五十万円程度の二パーセント程度の財政の援助しか出来ないと云うような状況で市町村でも非常に財政面は困っておられるのであります。それに対して政庁と致しましては何とか新しい財源を見付けまして市町村行政の基盤を作り上げて行きたいと云うようなことを考えておりますけれども、後で説明があると思いますが政庁御当局がそう云ったような財政状況でありまして同じ親が貧しいので子供は飯が喰えないと云うような関係で直接町村の行政で担当している我々と致しましては町村を見たらもっと補助してやりたいし一方政庁を考えると無い袖は振られないと云うような状況で板ばさみの状況で非常に苦しい思いを致しております。それから救護関係は現在先ず飢餓から救う、餓死から救うと云うような程度の救済しか出来ておりません。これも政庁の財政が貧弱なるために何とか一人前の救済をやって行くことに手がとどきませず餓死するものを先ず生き永らえさせると云う程度の救護を致しております。その対象になっている人員は約七千名、特に今回のこの食糧価格引上げに依りまして最近また三倍価格が四十パーセント程度引下げになりまして従来の価格の一、五倍乃至二倍と云うことになっておりまするが、現在政庁が財源を持たないから軍政府に対してこれの援助方を申請している次第であります。それからもう一つ残念に思いますことは今次戦争に依りまして戦歿されました方々の遺族に対する援護対策であります。これがどうしてもこう云った特殊犠牲者に対しまして我々同胞の相当の援護を行はなければならないと云うことは重々承知も致し皆その思いでいっぱいとは思いますが、何しろ政庁財政がさっき申上げました通り飢餓から救う程度の救済しか出来ないと云うような状況でありまするのでこの方々に対しましても同じように先ず生活難におちいって餓死すると云うような方々おば飢餓から救うと云うような程度の援護しか出来ないと云うような実情になっておりまして、此の点甚だ遺憾に思っている次第であります。その他に約四万人以上の方々が戦争後大島に引揚げて帰還しておりますがこう云った引揚者の中にも無一物になり本当に其の日暮しさえ出来ないあわれな方々が沢山あられます。そう云う方々に対しましてもやはり引揚者に対する援護対策と云うことを一応考えますけれどもこれもさっきとおなじように財政の都合で十分なる援護の出来ないことを遺憾に思っております。尚現在シベリアから未帰還の、これは数字ははっきり致しませんが我々の予想では大体百名前後残っているのではないか、かように考えております。こう云う方々に対しましても終戦後五年六年後にお帰りになる一番苦しい思いをされた方々に何らかの援護の手をのばしたいと思いましてそれぞれ軍政府にお願いしておりますが先ず実現に至らず、政庁と致しましても援護致したいのは山々ですけれども財源の都合で出来ないと云うような状況に立ち至っております。今度の復興予算の中にもそう云った方々に対する援護費を計上してお願いはしておりますが果たしてこれが許可になるか未だ未知数であります。それから皆様御承知のララ物資、これは米国に於ける宗教団体がアジア救済協会と云うのを作りまして各人が衣料、食糧その他を供出致しましてこちらへ無料で持って来て頂きまして、そして細民の方々に無料で配付致しているのであります。これがすでに回数にして八回を重ねておりますが今までは軍政府の命に依って政庁の方で取扱っておりましたが、今回厚生協会の方で希望がありまして政庁もそれに同意し軍政府に申請致しました処、軍政府が沖縄に交渉してようやく沖縄の軍政府の諒解を得まして現在入荷しているララ物資から厚生協会が取扱いをなすと云うことになっております。相当名瀬の港まで無料でアメリカから持って来て頂きましてこれから救済者に配るまでに相当費用がかかりますのでどうも矛盾したような感じも致しまするので、折角異国の方々が敗戦国の我々に対してこう云ったサーヴィスをして援護をして頂くと云うようなその気持ちに反する点があってはいけないと考えまして実は厚生協会にお願い致しましてあらゆる輸送機関を始めあらゆる部面の協力を得まして諸経費が零になるようにこちらの地元の方でもサーヴィスをして頂こうと話を進めております。次は養老院を建設致しまして面倒を見る子供のいない方々を政庁の手で直接援護して行きたいと云うように考えて建物まで作りましたが、何しろ人を扱うような事業でありますから一旦開始したらこれを経費その他の都合で閉鎖すると云うことが不可能な事業である関係上、現在の財政状態でこれを計画致した、一昨年でありますがいよいよ今年度から実施する段取になりまして政庁財政も実行予算を作らなければそう云うバランスが取れないと云うような状況に立ち至りまして一時事業を中止の止むなきに至っております。その他に簡易宿泊所を作りまして一般庶民階級の旅行の便に供しておりますがこれは予定の計画通り順調に行きまして現在毎日二十名前後の方々が低廉なる宿泊料で宿泊しております。特に地方から出て来られお医者さんにかかられるような方々にとりましてはまことに有難い施設だと非常に感謝されまた大いに利用して頂いております。次は労務関係でありますが、産業と労務の需要があると云うことは今更申すまでもありません。それでどうしても産業と生産はこの労働政策と云うものが並行して行はなければならないのでありますが、元来地理的に恵まれない本諸島に於てはこれまで目立った産業がなかったしまた今までありました諸産業に致しましてもこの終戦後みんなとだえまして、只最近この軍政府より復興事業と云うものが目に立っている程度である関係上相当の失業者を出しております。特に従来は阪神方面その他植民地あたりに多数の出稼者が出ておりましたが現在逆にそう云う方々がみんな引揚げ帰還していると云うような状況でありまして、そう云う面に於ても相当失業者が主として増していると云うようなことになっております。これが対策と致しまして、郡内に於ける産業を復興することは勿論でそれぞれの部門の方で研究はしてもらっておりますが、先ず根本的に大島の経済開発と大島を建て直す唯一の途は郡民の移民だと考える訳であります。どうしてもこの限られた土地に二十三万をこす人間を入れておいてそれ自体がすべての行詰りであると考えますので移民政策を如何しても実施させなければならないと考えておりますが、現在の軍政下それが許されないのが今の行詰り状態に立ち至っているものと考えます。わずかに沖縄の方で軍の方でいろいろな新しい事業を計画されておりますがその方面に労務者を供出すると云うような処に新しい希望がいくらか持たれるのでありますが、この方面については上司の方々なり或いはその方面の方々のお力に依りまして大体見通しがあるような気が致すのであります。最後の監査課、これは新設したのは機構改革の時に新設したのでありまして、従来日本政府に帰属しておった時は県から国から会計監察官が見えまして財政、経済状況そう云ったものを指導し監督しておられましたが、そう云った機関がとだえましたからどうしてもその必要を感じまして会計の万全を期すると云うような意味からこう云った課を新設してその指導監督に当らしめておりましたが、昨年の下半期に政庁でも考える処がありまして会計のみでなしに一般行政面に於きましても行政経済の各方面に於ける監察をやる必要があると云うようなことを考えまして監察を始め昨年九月から十月まで二ヵ月間にわたって政庁の部内を始め名瀬市内の官衙の特別監査を行ったのであります。これには副知事さんを監察長と致しましてそのもとに監察部、監察員をおき、やっております。現在は各地方に出かけて地方で今一部を監察中であります。これは大体以上申上げました総務部の所管事務の現況であります。尚詳しいことにつきましては皆様方の御質問等に依りまして改めてお答え申上げます。以上私の処から御説明申上げまして、この程度で止めたいと思います。
◎重村(財政) 財政業務現況を極く簡単に御説明致します。時間が制限されておりますから要点だけ申上げることに致します。それで御質問の時間に皆さんの御不審な点をお答え致します。話の順序で先に申上げますが、先ず財政部の機構とそれから次の一九五〇年度、今年度の経常予算、次に五一年度経常予算来年度(四月から開始される)、それから復興予算これは五〇年度五一年度復興予算で説明致したいと思います。先ず財政部の機構でありますが、財政部は主計課、財務課、会計課、管財課、その他に税の徴収機関執行機関と致しまして税務署を持っております。各課の所管業務の概略を御説明致します。主計課、経常費予算及び特別会計予算の歳入歳出の編成及び決済事務(ママ)、それから経済復興予算編成及び決済事務(ママ)、金融行政それからこう云う業務を扱っております。税務署の方は税制の改廃或いは新設その他研究から施行、税務の整理監督から施行或いは租税の賦課、徴収に関する事項それから国税(ママ)滞納処分、こう云う事務をやっております。会計課はその名の通り一般会計、特別会計、税務処理を担当しております。最後の管理課も管財課も国有財産及び遺棄財産その他接収財産の管理業務を担当しております。その他管財課と致しましては、政庁の営繕関係その他帳簿関係事務を担当しております。先ず最初に主計課の担当事務であります。次に五〇年度経常予算について説明致します。五〇年度即ち本年度の当初予算は歳入歳出共五千四百四十六万三千二十四円の数字をあげておりましたが最初に提出した予算は約九千五百万円程度だったと思いますがこれが五千四百万円に圧縮されました。しかし乍ら昨年は特に台風その他風水害が多かった為に住民の所得に相当の変化を生じました。食糧生産その他産業不振或いはまた反面貿易が相当進捗するだろうと思っておりましたがこう云う部面が思うように行かず、従って非常に住民の生活が窮屈になり歳入の欠陥が非常に予想されるような状態になったのであります。その他当初予算を更に限定しなければならないと云う状況になりまして昨年の九月からこの更正予算の編成にかかりまして、その結果更正予算四千二百二十三万二千五百三十八円と云う約一千二百万円程度の圧縮を余儀なくされましてすでに編成して軍政府に提出してその認可を申請中であります。この更正予算を以て今実行しておりますが、一月十日現在歳入、歳出状態を一応申上げますと歳入が四千二百二十三万二千五百三十八円になっております。だから一月十日からこの年度内に徴収しなければならない歳入金額は百三十三万幾らをあげなければならない。更に歳出の方を申上げますと、支出済みが二千四百五十五万七千三百七十四円いくらを支出しなければならない金額が一千三百四十二万八千二百二十三円、予備費を除いてありますが支出しなければならないことになっております。従って歳入だけでいっぱいいっぱいと云う結果でこれは今申上げなくとも経常費予算だけでありますが、その他に放出物資関係、海運、陸運、郵便年金、特別会計予算がありますがその歳入合計九千六百九十四万四千六百十三円、歳出合計八千二百七十四万一千七百十四円になっております。従ってその差額一千四百二十万二千八百九十九円と云うのが一般会計に繰入れることになっておりまして、これは当初予算と違いまして此の前本年度の自給予算に致しましたその数字を茲に計上しております。以上が一九五〇年度予算の概況でありますが、来年度四月開始の経常費予算について簡単にお話して見ます。一九五一年度経常費予算もすでに軍政府に提出済みでありますが、後程述べます処の五一年度復興予算と共に近く沖縄軍政府の予算審議会に上程する積りでありますが、そのために軍政府首席代表、知事他五、六名の者が沖縄に出張することになっております。先ず五一年度の予算編成方針でありますが、その大きな点を申上げますと、特に五一年度経常費予算に於きましては農業部門の復興開発と云う点に重点をおいたと云うこと、次に従来の産業補助金予算面に於ける産業補助金に大きな修正を加え予算面上補助金を減じていったと云うこと、それから文化方面に出来るだけ予算の割当を見たと云うことを考えた訳です。それから各部各課の職員数を従来の定員にこだわらず原則として昨年十二月一日現在の実人員で抑えて人件費を減らしてそれだけ事業費にまはした、こう云った訳です。更に雑費を徹底的に削減しましてそれもその削減した分だけ事業費に転用すると云う方針で行きます。更に最後に各部各課の事業費を見積りまして歳入も余計な処に出さない事業費を最大限度抑え尚是非必要と思う分は復興予算に計上して見る、大体こう云う計画に依りまして経常費予算を編成した訳であります。しかし本予算も歳入の面から歳出を本年度更正予算程度四千四百万円程度更正予算程度圧縮しなければならなかった。これは無理な予算でありますが、先程総務部長が云はれた通りいはゆる自給予算でありますから非常に各部面に無理が行きます。しかし乍ら私達の計画と致しましてはこの無理を何とか処理したいと思っております。近くこの来年度復興予算は相当多額にもらえたら経常費の方に於ても更に追加予算に計上致しまして活溌に行政の運営を致したいと思っております。更に来年度に於きましてもこの経費の他に特別会計、さっき云った特会にあるのです。その歳入が一億一千六百三十八万一千五十九円、これは食糧価格の三倍価格で計上した為こうなったのでありますが、歳出が一億四百十二万八千三百十五円となっております。勿論私共、県から国からの補助がなく独立予算歳入、歳出として均衡の取れた予算を編成するのは不可能だとされておったのでありますが、どうやらこうやら本年来年は均衡予算を維持して行けることは復興予算があると云うこと、もう一つは放出物資手数料が見込まれた為だと思っております。若しこれがない場合は茲の均衡予算は不可能だと云うことははっきりしている訳であります。以上で経常費予算を終りまして、次は復興予算を御説明致します。先ず一九五〇年度復興予算についてでありますが、第一次の、例の六千万円を四回に分けてもらうと云うことになっておりますから、第一次の一千五百万円はすでに受領し事業も執行済みでありまして、第二次追加予算一千五百万円も十月十五日軍政府に提出、認可申請中であります。このことに関しては先般も軍政府から例の三条件を完全に履行したかと云う指令の要求がありましたからその書類を提出し沖縄に電報で以て通知してある筈でありますから近くもらえるのではないかと思う訳であります。次、第三次追加予算一千五百万円すでに翻訳を終りまして一昨々日だったと思いますが軍政府に提出済みであります。一九五一年、来年度復興予算でありますが、これは先般来知事が沖縄に行かれまして帰って来た状況に依りまして復興予算を各部から提出してもらって編成致したのでありますが、その総額は三億八千二百二十八万二万(ママ)一千五百九十八円と云う厖大な金額になっております。その内訳を茲に持って来ておりますが一応読んで見ます。戦災公共営造物復旧費二億一千六百五十三万一千九百八十円、戦災都市復興費四千九百八十三万九百七十五円、登記簿復旧費四千万円、通信施設復興費二千四十四万二千九百五十円、大島高校備品復旧費九十七万二千七百円、繋船施設復興費十五万九千円、電気施設復興費七百九十四万二千四百十六円、公衆衛生施設復興費四百二十三万一千十一円、和光園維持費三百十七万三千四百五十五円、農産業復興費三千九百九十九万八千円、公安取締復興費七十三万三百円、刑務所附属施設復興費二百二十七万四千五百四十三円、税務署戦災図書復旧費二十四万七千二百円、成人教育復興費九百十六万九千五百五十円、官有財産管理費五十一万九千九百円、産業試験場施設復旧費百八万五千七百五十円、染織指導所施設復旧費二百二十八万八千七百五十五円、製氷工場復旧費百四十六万六千四百七十円、戦災者救済費一千七百四十七万一千九百五十八円、鉱山試掘調査復興費三十一万二千五百六十円、水産試験場復興費三百四十七万二千百二十五円、以上のような厖大な相当大きな計画を持っておりますが、ここで特に注意申上げたいことは従来経済復興予算はいはゆる公共営造物の復興のみでありましたが来年度から直接間接戦争の影響に依って破壊されたものの復興をすることになった訳であります。その結果公共施設或いは産業文化方面の復興もこの予算の中に入れられてある訳です。しかし乍らこの予算はあくまでも沖縄の予算審議会に行きましてその結果決定されるものでありまして一応こっちの要求金額(最低限度の)を補ってもらいまして、それから在外財産の決済がありますが四七年公布された財産調査令に基きまして各人の申告に依って調査したのでありますがしばしば軍政府にお願い致しまして出来るだけ早く決済してもらうように折衝しておりますがこれまで何らの指示にも接しません。その書類を保管し何時でも決済してもらうように準備は致しております。この点は先般この軍政府の財産管理官が来ておりますので或いは近く決済の事務もはかどるんぢゃないかと思っておりますがまだ何等指示はありません。それから管財課で扱っております処の官有地貸下事務でありますが、元来この官有地の事務は戦争前に於きましては熊本財務局で扱ったようでありますがその当時この税務署に只願書を受付けただけでありまして何ら処置されていなかったのであります。その他約千名であったがその願書を税務署から管財課に引き継ぎまして出願者の方々の正式使用権を設定して安心してこれを使って食糧その他の増産に協力せしめるように昨年の十月から徹底的にこの官有地の調査に乗り出した訳であります。この結果現在までに調査を致しましたものが笠利村、竜郷村、喜界町、早町村、和泊町、知名町、大和村これ等のものはすでに調査を終りまして、只今古仁屋、西方、宇検村の官有地を調査中であります。終了次第次々貸下げを致したいと思っております(正式の)この三月までに全郡の調査を終りたいと思って大急ぎでやっております。財政部の主な業務は以上の通りでありますが、それでは今後どう云う方面に仕事を進めて行かなければならないかと云うことを一応お話したいと思います。先ず、財政部で大きな問題は予算問題でありますが、実際さっき申上げましたように厖大な復興予算その他にガリオア、エロア予算が多少盛られるのではないかと見込みますからこう云う多くの種類の予算を如何に有効に活かしどう云う具合に繰り合せてこの経済復興或いは大島のあらゆる部門のあらゆる面で進歩発達に寄与するかと云うことが一番大きな問題だと思います。結局予算の管理執行が一番大きな問題になって来はしないかと考えましてこの方面に出来るだけ研究と努力を払いたいと思います。それから税制、税法は御承知の通りこれは経済界の変動に於てすでにこれと相一致した税法、税制に沿うて行かねばならないのでありまして、最近日本に於きましては例のアメリカのシャウプ氏の勧告に依りまして税制改革もしまして議会に提出しているようでありますが、私達も出来るだけ早くこの税制を実際の世界の実情に即応するように改廃したいと思って今研究を進めておりますがこの次の議会あたりに一部税法の修正も皆さんに上程出来るのではないかと考えております。それからもう一つ金融財政でありますが、これは御存知の通り今金詰りは非常にひどいのでありまして現在市場流通の通貨だけで約五千万余円と云はれております。従って政庁に於きましてもこれ等の打開策に対しましては非常に苦慮しているのでありますが、先ずその打開策と致しまして昨年の十月だったと思いますが貯蓄奨励運動を展開して現在沖縄方面への流出防止を考えておりますが、現下の通貨流通、金融機関の状況を見ると預け入れより引出しがはるかに増加している状況でありまして、現在の状況に於ての緩和策と致しましては出来るだけ早く五〇年度復興予算の残額もらってこれを本諸島内に還元してばら撒くと云うことと、更に五一年度の復興予算を出来るだけ沢山もらって産業の復興をはかり通貨の安定を考えているのでありますが、それにもう一つ私達が今までやって来た仕事の一つは日に日に産業、金融が逼迫している折に出来るだけ郵便資金を転用して産業の復興をはかりたいと思って今まで実施して来たのでありますが、この金詰りを今のように正常に復興しなかった為に貸付資金が中々回収出来ず一千二百万円の貸付がありまするがこの金額も大部分回収出来ないと云う状況にあるのであります。更に郵便資金は非常に低利であります。年利六分以下になっております。こう云う安い金利で出したのは一つは産業の復興と云うことともう一つ実行した以上は金利をこれに依って引下げて行く二つのねらいが茲に出たのであります。その成功を見るに至ろうとしておりますが貸付が停止の状態にありまして、これは資金に余裕があったら再びこう云う方面に特に貿易の見通しもどうやら明るい見通しがついてきつつありますから貿易産業に低利貸付を致しましていはゆる国際競争に立ちおくれないようにその方面に貸出しをして行きたいとこう云う風に考えております。大体私の方の業務現況報告は以上の通りでありまして、いろいろ御質問もあると思いますからその点は昼からお話致したいと思います。
◎窪田(衛生) 衛生部の主管事務に対してお話申上げたいと思います。それに先立ちまして他の部長さん方と私とは少し性質を異にしておりますからそれを一つ一応御諒解して頂きたいと思います。と申しますのは一昨年来衛生部長が空席になっておって軍政府から云いつかりまして軍政官からどうしても誰か一人衛生部長を出して欲しい、御意向があった為に、それで私の方でも是非引受けなければならないと云うことであったら受けた責任上私が二ヵ年以内の期限をつけてこれに就任しましょうと申し出たら向うもそう云う御意向で差支えないだろうと云うので期限付で二ヵ年以内衛生事務を扱うことにしているのでありますが、皆さん御承知の通り私は町の開業医であって何ら衛生行政手腕と云うものもなければ経綸もない只学校で衛生学を学んだにすぎないのでありますが、そこにおられる十番議員の吉松さんと同じようなものでありまして甚だ心許ないような感じが致しますが一旦引受けたからにはやはり微力ながら責任を果さなければならない、これに対してやはり皆様方の御援助がなければならないと私は考えているような次第であります。その点を御諒承御願いします。衛生部の方は部員としましては実は課が小さいのであります。医務課と衛生課の二つに分けてやらしているような次第であります。くどくどしいことを申しましても皆さんお判りがないだろうと思いますから、私としましていはゆる私の責任に於て考えています或いは私がなしましたこと或いは将来に残しておくべき問題に対して皆さんに一言お話申上げておきたいと思います。私は大島の衛生行政の行き方と云うものはどう云うものであるかと云うことを考えるのでありますが、私の考え方では恐らく三つに分けられるんぢゃなかろうか。衛生法規の改正、それから地方病大島の特有疾病がありますが或いはそれから大島でなくても地方病でないけれども悪質疾病がありますがそう云うものを撲滅するのはどうすれば良いか、それから大島の住民は衛生思想が非常に低調であるこれを如何にして向上せしめるべきであるかと云うことを私は考えているのであります。以下順を追うてこれをお話申上げようと思います。第一衛生法規の改正と云うと皆さん「偉いことをぬかしやがる」とおっしゃるかも知れませんが、しかし従来から現在まで我々に適用されている衛生法規を考えて見ますとこれは戦争前、戦時中いはゆる戦争協力色を濃厚に織り込んでおります。我々戦争に負けてそしていろいろ考え或いは戦争を放棄して来た今日その法律をその儘適用すると云うことは私はいけないんぢゃなかろうかと思って、実はその事も軍政府の方にお願いして昨日よばれまして大体に於て諒解を得ております。その指令が来たなら直ちに取扱おうかと思っております。従来は非常に取締り一本筋で行ったかのように思われますが、しかし乍ら違法は取締る必要はありますがこれに先立って人を指導すると云うことはもっとも必要ぢゃないかと私は考えてその方面をやって行こうと思います。それから此頃薬品の知識をかり或いは少いと云うような方々が商品を店に並べて何心なく売っていらっしゃいます。あれは私非常に危険なものぢゃなかろうか、取締りを実施していないからだろうと思っております。特に私がおどろきましたことは猫イラズ、青酸カリ、工業用塩酸、その他の劇毒薬我々が使います処の劇毒薬も何心なく連中は販売しておったような次第であります。この頃少々やかましく云って姿を消しました。へまなことをすると六〇六号は日に照らしてはいけない薬を裸の儘店においてあるあぶない仕事であります。そう云うものもやはり法規が足らないために私はそうなっているのではなかろうかと思います。それで衛生知識の只わずかしかないいはゆる陸海軍の衛生兵であった人或いは小学校の先生で多少経験のある方々が我々の業務をしておられる方がいらっしゃいます。こう云う方々に対しては私はむしろこれを読んでもらいたいと云うような希望をしております。特に或る地方に於きましては小学校の校長が自分の病気が治ったからと云って如何にも自分は医者である患者の招きにも応じると云うような行為を繰返しているようですが、これは文教部の方に前にお話してあるようですがやはりそれがどうもならんようで私も非常に困っているような次第であります。それから近くまた貿易も開始されます。そうすると交通が頻繁になる、頻繁になると悪質の伝染性疾患も来るんぢゃなかろうかと考えておりますからそれに対する検疫事務を強化して行かなければすまないと思いまして名瀬に防疫の方々をお願いしたような訳であります。今日大島は腸チフスが殆ど見受けませんが前あった患者が死亡し或いは交通の障害のために依って入って来ない為だろうと私は思う。それからその他後で具体的に申しますが、花柳病その他の悪質の疾病に対しては相当な取締り規則もあります。これもあまり貧弱なために取締が十分に行かないと云うようなきらいがありますからしてこう云うものも強力な法制化をする必要があると思います。それから地方病(悪質の)撲滅策に対して次に申します。大島、徳之島にハブがいます。相当な被害を受けております。それから永良部、喜界にはワイル氏病があります。全郡的に見ますとヒラリヤ、アメーバ赤痢は恐らく大島の風土病と思います。その他悪質疾患として癩、結核、花柳病(性病)、トラコーマ、こう云うものがあります。それに対して逐一皆さんに本席は良い機会で御座いますから皆さんにお話申上げておきたいのであります。ワイル氏病と云うものに対して笠井副知事さんがまだ民間にいらっしゃいました頃、喜界にイタチを放ち飼いにしましてそれに依って野ネズミが退治されてワイル氏病は少くなった。ワイル氏病は野ネズミが稲をかみ切ってそこに野ネズミから毒を吸ったノミがおってそのノミが稲刈或いは田圃をたがやすために人が行くとその足、手について病毒が入る。これを撲滅するためにネズミを退治するイタチを入れた処が非常に成績が良いと云うから実は昨年多少の反対もありましたけれども永良部の方にワイル氏病撲滅のためにイタチを入れたので御座います。恐らく後数年経たなければ駄目だろうと考えます。しかしそれと同時に面白いことを私はききます。喜界島に於てはネズミが少くなった反面にハブ類がほとんど絶滅された状況であります。これは直ちに話もすると共にあれを警察署に注意しまして向うのヘビ類のいろいろの状況を観察して欲しいと云うことを云ったのでありますが、これは大島及び徳之島に於ける処のハブの撲滅策に対して私は示唆するものでなかろうかと考えましてその方法等を研究しているような訳であります。それからワイル氏病の被害がいくらあるか。昨年度二百二十一名、そのうち三名死亡しております。二百十八名全治しております。この多くは沖の永良部から来ている患者であります。それでハブに対するイタチのことはおきまして我々は当分の間何をすべきか、ハブに対する対策は、去年はハブの毒素を取る毒の採り方が少い血清が少いと云うようなことをききましたから去年は幸いにハブの出方が多かった為かも知れないがいはゆる奨励した為もあると思いますが来年(ママ)は百グラム内外で去年は二十グラム採れております。恐らく来年は四月から以後に於てはハブの血清は相当に来ると私は予想しているのであります。それと同時にハブ毒素は血清のみならず、また同時に沢山準備して出せるようにしております。それから一方ハブは皆様御承知の事と思いますがこれを製品とすることに依って強壮剤を早速作って貿易にそなえようとして一部の人がやっていますがまだ思はしくはないのでありますけれども私の方から相当薬なんかも特配しましてその政策に対して援助しているような次第であります。ハブはいくら被害があるか皆様驚きなさるだろうと思いますが、去年四百三十七名ハブにかまれております。これは報告されたものだけ三百八十一名、治ったのが十八名、死亡が五名、不具廃疾になったのが三十三名、後は不明になっております。それから結核も戦後しばらくは戦争終了後は結核もあまり見受けなかったのでありますが、しかし乍らだんだん逐次増加の一途をたどっているような状態であります。この儘続きましたら相当数になるんぢゃなかろうかと思いまして、私の方はこれは隔離して収容する必要があるのではないかと軍政府に意思表示をして私としては隔離する適当な場所はないかと暇があった時に或る地方を二、三物色して適当な地区も見ております。それから政庁の職員で仕事をしておられる方或いは学校の先生方にそう云う憂のあるような事があったら大変だと思って昨年全郡の教職員ならびに政庁の職員方の身体検査をして成績を大体に於てまとめたような次第であります。それで必要に依ってはレントゲン検査をしなければすまないような方もありますが機械が破壊されておりますためにまだ中止の状態でありますが、それと共に皆さんもおききでしょうが、結核特効薬と云はれているストレプトマイシンでありますがこれは適応症をあやまると非常に危険な場合を惹き起しますのでそれではいけないと中央病院にお願い致しまして適応症に関して調べてもらってこれは大体に於て試験済みで近くその報告が参ることと思いますがそれに依って一応これを一般に普及しようと考えております。果して結核がいくらいるか、結核患者が今で一千九百八十四名それから死亡が百十八名でありますが、しかし私はこれはいろいろの都合でそう云う風になっているのであって実際の患者はまだ相当あるのではなかろうかと考えているような次第であります。それから癩病は皆さんが非常にいやな汚い病気でありますがこれが大島は相当にいますのでこれは軍政府の方から命令に依って我々はこれを強制収容しているのでありますが、しかし乍らこの収容力が少いために於て或いは娯楽機関、いろいろなものがないために連中は逃げ出す、収容もできないと云うような風で非常に苦しんでいるような状態でありますが、それを癩患と云うものはすべての人がいやしみますためにどうも連中をどうこうすると云うことが非常に困難を感じているような次第であります。それに対して特効薬として今サルファ剤プロミン、プロミゾール、ダイヤゾール、現在薬が非常に少いのでわずかの患者にこれを施しておりますが非常に結果は良いようであります。ほとんど無菌になったのが数ヵ月間無菌になって一時帰宅させているような次第であります。癩患者が現在三百八十二名になっておりますがしかし私はまだいるのではなかろうか、恐らく五百名は突破するのではなかろうかと考えているような次第であります。それからその次にヒラリヤ、アメーバ赤痢でありますがどうもこれはヒラリア、アメーバ(血の出る)これが非常に多いのでありますが、しかしヒラリアは蚊に依ってアメーバの方は大体に於て水でありますがしかし多くの場合蠅に依ってこれは媒介されているのであります。そのために如何しても上水、下水と云うものの汚物を処理しなければならないのでありますが、これに対しまして非常な費用と日数を要しますためにまだ我々がやっていますがそれこそ雀の涙程の予算で皆さんに御満足をあたえる程の成績を発表することが出来ないのを遺憾とするものであります。しからばアメーバ赤痢が幾らいるか、大島郡の報告になった分が二千八百名もおります。そのうち二十五名死亡しております。ヒラリアが八百二十九名、九名は死亡しております。その次は花柳病でありますが、花柳病は我々としても軍政府の方から非常にやかましく云はれましてまたこれは当然すべきであろう民族衛生から見てなすべきで主として検梅をして患者を発見すると云うことになっていますが、しかし普通の患者でも若し夫婦関係のない処の独身の方が男の方が花柳病にかかっていらっしゃる方々が参りましたならばこれを一応何処で花柳病をもらったかと云うことを調査しておったのであります。しかし乍らそれでは面白くないと云う注意もありましてしばらくとだえておりましたが再びこれを復活致しまして患者を発見しそれがヤンゴのおなごであろうと飲食店のおなごであろうと旅館の女中であろうと素人の方であろうとこう云うものを探して徹底的に治療しようと云うような方針を樹てております。それに対してどうせ特効薬があるから人を強制する限りに於て薬を上げなければならない。この夏から私は特別に防疫用としてペニシリンを各地区にお上げしているような次第であります。それから然らばどれ位花柳病患者がいるか、驚きなさるかも知れないけれども参考のために医師から報告したのが三千二百八十五名になっております。そのうち淋病一千九百六十九名、梅毒一千百四十二名、軟性下疳百五十七名、第四性病十一名でありますが、相当な数に私は上っていると私は思います。それから名瀬に於て実際検梅をやっている成績を見ると百三十名位がヤンゴの女ですが、それから去年一年中で四百七十五名と云うものを勿論同じ人が何回も落ちていることもありますからそれを通算して四百七十五名、そのうち四百七十四名、第四性病一名、梅毒が発見されております。それから次は寄生虫ですが、大島の方は寄生虫に対しましてはすべて余り関心がないように私は考えております。この寄生虫は何に依って出来るかと云いますと勿論人間から排泄されて行く虫でありますから人間の排泄する処の糞便がその主体であります。そうしてこの糞便を生の儘大島の人は使う。そのためにその虫の卵がやはり幼虫として孵化して人間に入る。これではいけない。農務部の方からこの間何とか面白い方法はありませんか、それを醗酵させてから肥溜を利用してやったら良いだろう、そうしてそこで醗酵させたならば一週間も二週間も或いは八週間もかかったならばこれが腐る、その時に使った方が良いだろうと云う風にして各方面に指導しておりますが、肥溜は御承知のように雨水が溜るといけないので雨水が透らないものを作らなければならないのでありますがその材料がない。戦争に依って破壊されたものも相当あります。こう云うものはさっき程財政部長さんからお話の通り四百三十七万円も金をもらってこれを増築、新築してそうして衛生の方に皆さんの方にためになるようにしようと計画しているような次第であります。それから寄生虫が幾ら位いるか皆さん驚くだろうと思いますが、医者から報告のない以上分っている分の患者が七千六百十九名、四名死亡しております。それから十二指腸虫が医者の報告ですが四千二百六十八名、死亡が十五名。その他の寄生虫として七百三十名、死亡が三名であります。こう云うような驚くべき数字を表はしております。それで一般人はこれで宜しう御座いますが学校の生徒と云うものを調べて見ようと思って調べたのでありますが小学校の生徒の約八十八パーセントが蛔虫がおります。それから十二指腸虫が約十パーセント、トラコーマが三十五パーセントであります。中学校が全体の二十パーセント最高六十パーセント、十二指腸虫十八パーセント、トラコーマ十三パーセントから三十八パーセント。高等学校(古仁屋だけですが)名瀬は報告は御座いません。蛔虫五十七パーセント、十二指腸虫□□、トラコーマ□□、医者にすでに薬を上げてそれから各地のものは別々にこれを取扱う必要がありはせんかと思ってお医者さんの使用品は特に配給に無理のないよう総体的にやって行きたいとすでに昨年夏調査した処の分に対しては薬を送るようにしてあります。昨年夏は小学校の一年生はララ物資がありましたから薬を上げ二年生に対して六十パーセント出して薬を上げてその成績をまとめております。それから昨年の夏与論村に診療班を派遣調査をさせると共に地方の患者方を治療して頂いたのであります。それで非常に成績が宜しう御座いましたし与論村でもう一回とおっしゃったけれどもそれは経費の都合で出来ませんからと云って他の町村方村長さん方がお見えの時に諮ったらそれは結構だ是非欲しい経費は出すから向うも諒解して無医村の村長も諒解して診療班派遣を計画したいと思います。それからその次トラコーマは野蛮病、未開の地域に多いのでありますが、それでこっちでも(古見チュ、笠利チュ、戸口チュ、メハガ)と云う有名な話になっております。あれを見るとほとんどすべてがトラコーマであります。昨年の夏実は副知事さんが笠利に行かれまして大笠利の部落の食糧事情の調査に行かれた際に土産話にあっちの要救護者は視力の障害のために百姓が出来ない、だから何とか衛生部としてしなければいけないぢゃないか、私は知らなかった、笠利村の者であって永田先生も知らない、副知事さんに注意されてびっくりしたような訳です。それから急いで池田代診に相談して予備検査をさせた。そうしたら向うから云って来たのが要救護者百九十一名のうちで視力障害者一名、弱視二十一、トラコーマ準救護者二百十名、視力障害弱視三十五名、トラコーマ三十五名、弱視二十二パーセントいくらと云うことが報告された。これは大変だ、朝沼院長を連れて二人で行って見たのであります。実際に調査した結果百一名の患者中四十名がトラコーマであって、そのうちで目の前で手を振ってわかる者が九名いたがその中八名は要救護者で目の前一メートル位で手を振ってわかるのが十名で九名は要救護者であった。その他二十一名重トラコーマが救護者で実に驚いたような訳であります。トラコーマは治療よりむしろ予防が大きい力があるのでありまして、そのことに対しては村の方々一応集まりましてお話してトラコーマに非常に効くサルファー剤があったからそれを向うに送りましてその成績をまとめるようにした。しからばトラコーマがいくらあるか調べると学校の生徒は一番で三千百三十二名(医師からの報告)それから衛生思想の普及向上と云うことで御座いますが昨年の夏沖縄に行って見てそれから大島の隅々を巡視して見て大島郡の人々の衛生思想は非常に低調であるように私は考えております。徳之島に二回偶然の機会で行ったが徳之島は十二指腸は誰でも持っている地方病で自分の体力が弱っているのは十二指腸で弱っているのではないと向うの人は思っているのではないかと私は思います。そう云う状態で如何に政庁の担当の方々、指導される方々が生産増強を叫んでも出来ないだろうと私は思います。そう云うわからない民衆を指導して行くのでありますから非常に私は衛生思想の普及向上と云うものは困難だろうと考えております。従来パンフレット、新聞、雑誌を利用して相当に私は前からやっておったのですが私が入ってからも相当やっておりますが、中々衛生と云うものが軽く扱はれているような気持ちがしてならないのであります。私は私自身の身辺にいる者或いは学徒を指導の中心として考えて行った方が良いんぢゃないかと考えまして、実は一月頃から「中学生の友」に衛生の扉を入れてもらってそこで「二十の扉」式のものを設問してやったのでありますが子供達が非常に良い衛生思想を持っていると云うことを発見したのであります。それからこれは小さい話ですが役所にガス発生消毒機を作って(小型の)身辺にある政庁の役人さん方にこれは消毒しなければならないものだと云うことを教育する材料を私は作ってある訳であります。消毒観念を植付けていったらすべての人が発展して行きはしないかと私は思うのであります。皆さんこれまで御承知の事と思いますが、日本が戦争に負け健康維持、公衆衛生が非常に必要であると云うことにめざめまして憲法で取決め、学校に対しては只黒板で教えるだけではいけない、その身体もすくすくとのびのびと発達させなければならない。教育基本法に於てめざめさせると云うことから私は実はその日本に行ってそう云う状況を見て来たいと軍政府にお願いしてありますがまだ許可になりません。私は衛生行政担当者として考えて見ると果して大島の現情が斯様な風になっているか疑問を持つことが多いから、先程総務部長、財政部長さんがおっしゃったように財源が枯渇していると云うような状態でありますが、しかしこの我々が苦心している気持を皆さんに申上げまして、そうして皆さんの方から御智恵を借り、皆さんの御鞭撻御援助に依ってこれをなしとげて行きたいのであります。後でいろいろこまごましいことがありましたならば御質問の時にお答えします。簡単でありましたが一応主管事務の説明を終ります。
◎杉島(農務) 農務現況報告としまして話の順序で農務部の機構を、その次は業務の内容、その次は業務の現況、その次は将来の政策以上の点についてお話申上げたいと思います。機構は部長一名、その下に課が三つありまして農政課、農産課、林務課があります。農政課が課長以下九名、農産課が課長以下十一名、林務課が十七名であります。その他事業費を出しているもの或いは特別会計に属しているものがあって総体的に見ると一般会計二十九(ママ)名、特別会計一名の職員を持っております。それからもう一つ各市町村の末端組織としまして各市町村に農業技術員を九十四名、臨時技術員その他山の巡視員を三十名持っております。以上が機構の内容でありますが、業務の内容として先ず農政課の方では主に農業団体に関する事項、それから土地問題に関する事項、土地改良に関する事、その他各村の庶務に関すること、これ等を農政課でやっております。農産課の方は御承知のように農業生産部面でありまして、土地生産に関するもの、それから農林事業、畜産事業、それから農業資材に関する事業を扱っております。林務課は山林原野、それから主な業務にサク(ママ)伐、造林であります。以上が業務の内容でありますが、次は業務の現況を申上げます。現況を申上げますと云ったら沢山あるようでありますが簡単に要約すると何もないようなもので、私の方の農務の主体は生産が主体でありまして、生産は土地とそれに投下される資本と労力、それに依って出来まする生産物の処理と云った以上の三つの問題に要約出来ると思います。将来の参考までに申上げますと大体大島郡の全面積は推定面積十三万二千五百九十七町歩、その中九十二(ママ)万町歩耕地面積六十パーセント八万町歩林野面積でありますが、残り三万町歩が河川その他になっております。大体全部の面積の十五パーセントは耕地化されておりまして、後山林原野残りが雑になっております。この六十パーセントの原野、百十五(十五カ)パーセントの耕地を如何に最大限に活して行くかと云うことが業務の現況になる訳であります。簡単に申しますと農政関係で取上げている問題は農業団体問題でありまして、農業団体に関しましてはすでに御承知のように二月一日から農業協同組合法が全面的に農業団体法に切換えられまして一昨日から農業会長に集って頂きましてその切換えに関する手続その他の連絡会議が目下進行中であります。この事に関しまして別に改めて申上げる程ではありませんが、先般来法制改訂委員会でこの問題が取上げられている種々いろんな問題からこの法が施行されるに当りまして私達はこの農業団体法が出来上って農業会をその資産関係に於て内地のように財産はこれを処分して新しい組合を作ると一旦移してから直ぐ作ると云うことは至難だと云うことから一応これを現農業会の支部に切換えて行く、切換えるものに関して新法で行くと云う風にまとめ協同組合法の趣旨を多分にその内容に盛り上げて行く、歩を進めて行こうと云う訳でありますが、この問題に関して皆様方に一応御関心を持って頂きたいと思いますが、これから出来る協同組合法をどう云う風にして行ったら良いか、法に依って制約されることは勿論当然でその通りでありますがその指導方針は将来の協同組合の健全な発達と云うことからこれから先多分に続出するであろう協同組合をどう云う風に育てるかと云うことに関して十分御検討なさって頂きまして御指導をお願いしたいと思います。次は同じく農政の中の耕地事業でありますが、耕地事業の予算を申上げますと本年度一般予算は多分に削減され十六万円しかありません。これで見ると耕地事業を行って後は復興予算第一回で九十八万円、百万円近い。これで溜池、河川の改修、農道を作りまして、中には二年乃至三年計画に依って目下継続中でありますが大体に於て三分の二以上はすでに事業が完了しております。引続き継続事業として第二次第三次復興予算が入ることを予想しましてこの案で計画してやっております。これに関して細部のことは質問に依って答えたいと思います。次の開拓事業、これは目下の最も急を要するものでありまして私達としても主として考えている訳ですが、現在開拓移民の問題として取上げておりますのは中之島、十島村の方に現在までに送り込んでいるのが約六十五戸、二百九名、開拓面積三十五町歩でありまして、これは過般十島に行きまして現地側といろいろ折衝しまして更に受入態勢を拡張してもらうように今準備交渉を進めております。それ以外の開拓移民問題に関しましては沖縄、八重山地区がありますが、このことは新聞紙でも御承知のように同地のマラリア罹患率は非常に少い〇、〇四パーセントに下っております。この態勢が出来たら何らかの形で何とかして行きたいと思います。具体的なことは開拓事業ですが昨年度から徳之島、十島村の方に開拓庁の予算で以て十島村の方は大体二十万円程度、伊仙村二千五百万(ママ)円程度の予算を以て工事を実施して、中之島の方は後は予算が入って来さえしたらまただんだん開拓すると条件を緩和して伊仙の方の工事は大体トンネル工事をやっておりますが三分の二位ずつやっておりますがこの工事は三年計画で地元の方も熱意があり二ヵ年位で終りたいと目下工事は進行中であります。開拓事業はそれで終りまして、次に農産課の関係でありますが、農産課の主な仕事は結局食糧品その他農業生産品をより多分に増産したいと云うことでありますが、しからば一体どの位増産されているかと云うことでありますがこの問題に関して皆さんに報告申上げることの出来ないのを残念に思います。統計数字が非常に不確実でありましてこれが本当のものだと云うことを皆さん方に御説明出来ないと云うことを非常に残念に思うのであります。一つの例を簡単に申しますと米の生産が一番多く収穫をあげたのが一九三八年約七万六千四百四十石、現在はどの程度あるか、今年度の収穫が二期作までで三万石、藷が一番今までに多くとれたのは一九四三年三千三百八十七万七千七百六十四貫約四千万貫近く収入が一番多い。しかし乍ら本年度はわずか一万九千八百万(ママ)貫と云う風になっておりまして、藷と米に例を取って見てもこのような程度の生産で三分の一或いは半分と云うような数字を示して果して生産がそれだけ上っていないではないかと云うことに対して私は疑問を持っております。それは面倒くさくなるのでやめて、統計数字そのものに対して当てにならないけれども只本年度は従来に比して多分に暴風その他豪雨と云ったような天災がありましたために収量は多分に減っていると云うことは云えると思います。それともう一つはこの数字と云うものが現金配給食糧の税金と課税問題、こう云った面から農民は本当の事を云はないと云う悩みがあります。これを何とか打開せにゃいかんその点を勘案され検討して行きたいと思います。私は各地区をまはって見て思うことは、昨年の五月食糧危機があった喜界の海岸で本年度はありとあらゆる処に一坪の土地を余す処なく藷を植えてあると云うことは現実に私はこの目で見ております。植付面積に於ては相当の面積があると私は確信しております。その生産量が減りましょう、報告の数字は御承知の通りこう云うものでないと云うことは確信しております。次はこの生産を増強するために一体政庁としてどう云う方策を取っているかと云うことでありますが生産増強の方策でありますが、さっきも云ったように土地の問題、投下資本問題を遂行していはゆる機構問題と一致され生産能力が上る訳ですが、それ等の問題に関しましてはまた詳しくなりますから省略しまして土地問題、それには努めて土地そのものを改良して行く、治水状況を良くする或いはこの耕地整理をやる、土地そのものを改造して行くことに重点をおいて、農地制度は現在考えておりません。それから第二資本の問題ですが、これに関しては昨年度約六千トン、七千トン近く肥料が入っております。生産の最高に行った年は昭和十五年最高をいっている肥料は戦前の最高量二倍以上来ております。農業資材でありますが、資材の中の農機具関係で昨年度は輸入はなかったが現在沖縄にアメリカの船がないために停止されているものも相当ある。チョビチョビ来たものを合計すると幾らか来ております。精米機、脱穀機、こう云ったものが入っておりますがこうした話は省略します。資材面に於ては本年は或る程度恵まれておったと云う風に考えております。それから次は紬の問題ですが、これをどう云う風に進歩せしめて行くか。これには先ず品質の改良その他各市町村に最初或いは指導地に於きまして茲で技術の進歩或いはよりよき品種の普及と云うことに努力を致している訳であります。次は熱帯作物としての百合、茶のことでありますが、本年度は百合を二十万球、一球九円として百八十万円程度の外貨を獲得したのであります。それから茶園は現在約五十町歩ありますが、本郡自給を目指して二百五十町歩三百町歩を目論んでおりますが、その種子が手に入らないために此の度沖縄に行きましてこの話をしまして今後入れるこの種子は十二月に播種しますが本年は間に合はないので来年は頑張って是非共これを入れたいと考えている訳であります。大体の計画は五十町歩毎年その程度増やして行きたい。次は黒糖でありますが、黒糖は本年の生産高は約四百二十万九千百二十斤で、そのうち一月中に約百三十二万五千二百二十斤販売糖が出せる予定で残り約三百万斤程度の出荷可能と見ております。これの処理に関しては今の処まだ出来ておりませんが、これの将来性に関しては次の項で述べますが例に依り簡単に申上げますと、現在日本からの買付でありますが何しろその買付値段が非常に安いから貿易庁の方でもこれについて考えているようですが、問題はドル建の代りにB円の換算率をどの程度に持って行くかと云うことが私、今月、来月におおむね決定するのではないかと思はれるのでありますが、私達の希望としましてまとめてドル建で輸入されるものに於ては安くして欲しい、ドル建で行くことは産業の助成策から高くしてもらいたいと云うことを考えてそう云ったことが果たして出来るものかどうかこれから沖縄に行って交渉の結果に依って出来ると思う。参考までに申上げておきます。それからもう一つ琉球内で大島の砂糖を処分すると沖縄民政府の方で話があったのでありますが、本年の食糧買付契約の中に(将来どう変るか分らないが)補給食糧の中に砂糖の買付は今の処計上されておらないようであります。米、蛋白質、澱粉、砂糖(ママ)、脂肪と云うようなものはありますが砂糖と云うものはありません。沖縄の補給部長の話ではこれを北部琉球で生産される土地生産品の砂糖を以て種々意見も云ったがそれ等のことに対して省略します。放出食糧の一翼として黒糖があると云うことは考えられている訳であります。以上が大体出来上った生産物の処理でありますがそれで農産関係の説明を終りまして、林務関係にうつります。林務関係はさっき云ったように大島の全領土の六十パーセントを占める森林面積でありますが、この林務課は計画的にものを植えて、計画的にものを切って、如何に計画的にこれを出して行くかと云う三つの問題に要約されるのであります。森林は大体全部で一万六千町歩予定されております(以下別表)(ママ)。そうして私達の本年の計画と申しては年大体六万八千石と云ったような出材能力があると見ております。工務部の方にも連絡しまして工務部の復興計画と総用材を見て五ヵ年間でやって需要を充たすものとしては一年間の総用量を大体六万八千石程度を土地生産品の材木でまかなおうぢゃないかと云う案を出している訳であります。問題は茲で今の処概括的に云ったら山は伐り放題になっている。約年に五百町歩伐られている。五百町歩伐られているに対して実際植林はどの位やっているか、五十町歩位であります。約十分の一程度の植林しか出来ない。伐られた面積を理想的に云ったらそれだけ植えるのが理想ですが予算の面でそれだけ多くは出来ておりません。本年度は伐る方と植える方で調和をとって行きたいと思います。現在はこれは特に伐り易い処を切って伐り難い処は全然伐らないと云うのです。これではいけない。その為に先ず何と云っても伐られない処から伐られるように道を作る、この林道を計画しております。これで本年度は大体第一次復興予算六十余万円の復興予算で林道を作って完成しています場所は三ヵ所であります。以上が林務の関係であります。時間がありませんから簡単に本部の計画を申上げまして皆様方の御批判をあおぎ将来の資料にしたいと思います。私の方で現在計画していることは先ず大きく云うとこの事業計画そのものに計画性を附与したい。これは私はいろいろの処で云っておりますが過般の技術員の席上で云った、また皆さんに申上げて一応御検討を願いたい。計画性を多分に強調したいと云うことでこのことは一つの例を申しますれば、河川の改修にしても林道設置にしてもその年その年で行き当りばっりでもう一つ総花式で各町村に全部行くような行き方とそれと少く共十年二十年計画の場合も結構でしょうけれども変転きはまりない世界に於て総体的に計画性を持つべきであると、例えば一つの川が昨年大和村の川が氾濫して土砂がくずれたのでありますがあの附近だけを改修すれば一年間で出来るでしょう。しかしそれだけでは結局駄目です。大島郡の川はほとんど全部河床が高くなっていて一寸水が出たら直ぐ氾濫する。そこだけを修理しても直ぐ氾濫する。私の考えは河川を完全にこれを改修するまでに少く共三年乃至五年の計画を以て毎年確実な仕事を第一の年度の分だけはやって行きたいと云うことであります。もう一つ計画性について林道でもそうであります。只各市町村が各個バラバラに自分の村の名誉のために自分の村に利益がありさえしたら良いと云うような気持で作ったものは何ら有難味がありません。例えば徳之島の場合で云ったら徳之島の自分の村に対して不利であっても徳之島全部が出来たらその四ヵ町村総体的に結局利益になるべきだと私は思うわけでありますが、そう云う意味に於て地域的にやってほとんど年度的に計画性を持って今年もやって行きたいと云うのが基本方策であります。次の方針としましては簡易に云ったらさっき云ったように土地資本をどう云う風にして生産を挙げそれを活かして販路を見出してやるかと云うこの三つの点は結局方針になって来る訳でありますが、民間関係、軍政府と私達の責任でありまして此の点は本年度大体沖縄軍政府資源部でいろいろな世論をきいて計画を聞いて私は助言しています。本年の半ば過ぎ頃まで何とかして皆さん方の希望される各種の資材は十分入れてあげたい。その見込みはあると申上げたいと思います。次はその価格の問題でありますが、価格もすでに皆様御承知のように金詰りの極端なことは中産階級以下に於て非常にひどいのでありますがこれを何とか打開しなければならないと云うのでいろいろの放出物資が入ってもこれがとれない (値段の関係で) ので過般軍政府の深き御理解の下に肥料その他の一部の価格を下げてもらいましてまことに感謝に堪えない次第でありますが引続きこれからの農業資材そのものの価格は下るであろうと云うことは私は予測しております。何故こんなことを云はなければならないかと云うと、この予測がないために往々にして生産者に行くべき資材が一部の金持階級だけに行ってそれが自然本来の使命を果していない。ジャガ藷は土地に植えて増産すべきジャガ藷が金がないために農民は買えないで金を持っている人がそれを買って喰べていることを聞いております。そんな訳で非常に困るのでありますが、茲で私は特に云いたいことは本質論と方法論、一つよく聞いて頂きたい。御承知のように農業会に於て現在のように肥料、馬鈴藷が来た、高い、買えない、そんなものいやだと云ってその農業会の倉庫でだまって肥料を流し馬鈴藷を腐らしている。そんならその金は払はなくても良いか、そうではないと思う。つまり馬鈴藷は当然土地に植えられるべきものであり肥料は土地にいれるべきものである。いれるべきものであれば当然そうすべきである。値段が高いから買えない、買えないなら買えるようにするため値段を下げてもらって或いは只にしてもらうと云うのは方法論と思う。その方法論と本質論をゴチャゴチャにしてしまって徒らに腐らして金を誰が払うんだと云うことになったら私はその配られたものに対してこれを返したら政庁はその金を負担する訳に行かない。政庁が沖縄に返しても沖縄では海の中に沈めるか或いはそれを返すより他にない。アメリカのガリオア・エロアの金で買ってこれを返されては何もならない。そうなると結局金が払えないなら払えるようにする方があると思う。その点を研究して欲しい。そう云うことも考えて他の資材に関してもやって行きたい。次は資材導入の他に先ず考えられるべきものは施設でありますが、施設は何と云っても本当に予算がないと出来ない。先程財政部長からお話があったように生産した物に対する販路についてはこれは貿易問題と関連しますから他の時にゆずりまして、我々は一応茲で皆さんに検討して頂きたいのは貿易を考えた場合この価格政策を如何するか、高物価政策をとる方が低物価にするよりは妥当なる態勢であるかを発見するかが大きな問題と思う。砂糖の価格等に関し御考慮下さって御検討お願いしたいと思います。それから次は農産課でありますが、さっき程開拓関係、協同組合関係に関してすでに云っておりますから省略しますが、土地改良問題に関しましては重ねて申上げて次の基本方針に従って根本的な政策の上に計画を以て三年乃至四年、応急の場合は二年乃至一年でその計画を以て特に土地改良関係の仕事をやっておきたい。もう一つは金の使い方も目に見えない抽象的なものより実際的な目に見えるものに重点をおいて大体やっております。それだけで勘弁して頂きたいと思います。山関係に関してさっき云ったように現在で云ったら伐ること、植えること、計画的にやれるように林道を作って行きたい。その予算は本年度林務関係で約復興予算が千二百万円、それから農業生産関係が五百十五万円、それから只今申上げました(以下別表予算表(ママ))。
◎奥田(文教) 教育文化と云う面に於きましては文教部と奄美博物館の両方面があります。先ず文教部に於きまして各項目にわたって現況及び将来について申上げたいと思います。文教行政は第一にこの教育活動そのものでなく教育活動の条件を設定すると云うこと、第二に指導的機能を持つと云うこと、第三に教育法規の実行、こう云うように考えているのであります。従いまして行政そのものは知事の責任に於きまして文教部長が掌る。更に主要問題については知事を通して軍政府に行きます。知事に直属する諮問機関として教育委員会、文化委員会があります。これに依って重要問題を処理して頂く。部そのものは部長の下に三課持っております。結局義務教育は学務課で処理し、直接的行政は教育課、社会教育課がやっております。教育基本法、学校教育法は昨年五月十六日軍政府指令に依って四八年七月一日にさかのぼって適用されることになっております。即ち教育基本法は教育の計画を定められ、学校教育法は六、三、三、四制の新しい制度を定め、今の処第二は琉球教育法はこれは昨年十二月六日琉球軍政府指令第五十六号として制定されたのであります。そのことについては省略致します。特に学校教育法を再確認したものと考えて一部の時間数、年の授業数、授業日数ならびに全九学年終了後の義務教育に関する点第三番目に教育は先ず学校数、教員数、生徒数に依って決定されるものであります。昨年四月政庁令で大島高校、その他の地域高校五校の学制改革が一応軌道に乗りまして、大島高等学校は大中、奄美高女、大農を総合して部制を採っております。地域高等学校は男女共学に普通科教科をも課せることになっており、大した変革はないと云うのが現情でありますが、別表の小学校の床面積が一坪、こう云う風に制定してあります。内地の基準からしますと〇、二坪程小さくしてあります。これにつきましてはさっき程申上げました指令第二十二号の三項に準処するようにすると資金若くは資材が不足しているに違いない、その実情をすぐ報告せよと云う指令がありましたので全九学年なり教育に必要な資材、資金、こう云う予算を組んで軍政府に提出した次第であります。四パーセントは中学校でありますが中学校もほぼ同様であります。中学校の基準床面積は一、五坪これは二、一坪の基準であります。ぐっと減らして一、五坪にしたのであります。学級数、附属教室、特別教室にしてありますが学級数から附属教室を引いた残りになっても差支えない。第二は仮校舎の次は学習資材でありますが机、腰掛は大体市町村後援会或いは父兄の負担でほぼ整備されているように思います。黒板は軍政府の補給で一学級一枚配給を済してあります。その他楽器類或いは理科器械はほとんど皆無と云って過言でありません。これにつきましても新年度の教育資材その他一切を報告せよと云うことであって先般軍政府に提出してあります。それから各教科書でありますがこれは軍政府の補給が充実されつつあります。入荷したものは教科書は、教科書が八十九種類、冊数にして二十七万三千七百六十九冊は全然着いておりません。次に学徒の体位であります。小学校、中学校共に全部を比較しますとやはりこれまでとほとんど変りない。相当体位が落ちているのであります。疾病でありますが、先程お話しましたトラコーマが小学校で四千五百六十四名、中学校は寄生虫がいずれも約七十パーセント平均を示しております。これにつきましては先程衛生部長から話があった通りであります。次に社会教育方面でありますが、従来の社会教育は家庭教育一般教育と云いますか家庭教育、学校教育、学校社会三分野に分れていると一般に云はれておりますが、従って社会教育と云うと学校教育、家庭教育と学校教育に対する言葉だと云えます。これはアメリカ或いはイギリスの成人教育が考えられるのであります。御承知の通り教育基本法第七条に社会教育の面でありますが、従来の家庭教育、社会教育を一括したものが広い意味で社会教育であると云う風になっているのであります。この第七条を見てせまい意味の社会教育と広い意味の社会教育が本諸島の教育法だったと思います。申すまでもなく社会教育は環境の面から内容の面から人の面から字句の面から見ましても非常に複雑多岐であります。処が現在の状況下に於ては社会教育は大した施設がないと申上げる他ないのでありますが、今後出来ることでありますならば根本的に方法を定めまして重点的に進みたいと思います。特に成人教育につきましては軍政府が相当関心を持っておられます。先程予算の説明がありました通り成人教育復興費として約十六万円の予算が提出されております。これは特に軍政府から要求がありまして一月から三月までの社会教育に必要な資材、資金ならびに来年度の成人教育復興費こう云うものがあったから図書館を含めた中央図書館、地方の図書館を含め九百十万円の予算を提出し同時に軍政府を通じて交渉しております。次に第五番目に教育関係、教員関係の学校教育の進展を阻むものの一つは経済圧迫が著しく深刻なインフレに極度の生活の不安定に悩まされております。そう云ったようなものと消極的な人事行政をやっているのが一つであると思うのでありますから十月末に給与ベースを改正しましたがそれでも尚生活の安定を見ないことは教育の進展に積極的なことが出来ないと云う一つであります。第二には新しい教育の理想を実現させるには前途程遠いと云う感がするのであります。校舎も不十分でありますし必要な図書館或いは実験室も皆無と云う状態でありまして、教育の一大変換の理念を正確に把握して更にこれを実践する、実践し得ると云うような態勢はほとんど整っていない、こう考えられるのであります。しかし乍ら新聞ではすでに御承知の通りにこの度日本への教育指導者養成所に三名程派遣することになっております。日本の教育指導者養成所と申しますとアメリカの民間情報教育部で東京大学内に講習会を設けたがその内容は内地で云いますれば指導主事とかその他のものを養成する機関であります。特に三名程の優秀な先生方を送ることが出来ましたことにまことに深い希望を持つものであります。更に図書館の如きは従来軍政府で世話しなかったが今日必要な場合補助すると云うことを云っておられますからその方面も明るい希望を持っているのであります。このような生活環境にあり乍ら先生方が研究をつづけておられると云うことに敬意を表しているのであります。今日のような現実に即しまして教育新法が整備した上は先生方の資質が向上すると思うのであります。こうした方面から社会教育課を指導を中心に教員の指導を中心に於て働いてもらっているのでありまして、教員の指導講習会、研究会こう云うことに依って資質の向上を期する一方、待遇改善の一つの方法として教員の検定試験を近々行う。これに依って先生方の資格の向上を期して行きたいと思います。次に指導主事制を採っているのでありますが、これはすでに内地は教育は従来視学に対して人事経理一切をやって指導もやり人事もやると云うような式でありましたが、この四月からこれをあらためる。現職教員の指導をするものには全然権威を持たない、こう云うような同じ指導主事を三名程おいてあります。申すまでもなく教育がそう云うように多角化、高度化し個々の職務と云うのが行政面にはたらく教員の指導は出来ないと云う現情でありますのでその側面的な援助まで人事を抜きにして先生方と本当に語り合う組織にしてあるのであります。次に教育委員会、大学設置、これがあるのであります。将来の研究問題であります。教育委員会制度は内地に於きましては一昨年十一月一日から発足しております。この特徴は公選に依る一定数の委員が組織された行政体でありますが、大学を除くその他の学校或いは教育会これ等の設置管理設定教職員の給与その内容取扱い予算こう云うものをすべて教育委員会に移譲せられこう云うことになっております。これは教育基本法、行政法に示されております。無論内地のそのものを大島に適用することは出来ないのでありますが、大学設置問題に関しましては先般教育会で沖縄に参りました時に短い期間の大学を作るように委員会を設置せよと云うことをききまして大島の財政が到底出来得ないと思う。先方の話では結局必要な補給品は小中学校同様やるが俸給その他施設一切は政庁で持つと云うことでありまして容易な問題でないのでありますが、琉球大学が首里に設置されたがその今の処全然人口比率を以て大島から参加すると云うことも考えております。それから新学年でありますがこれは今の処はっきり致しません。先般知事宛に手紙が参りました。それを見ると二十名琉球から取る東京の女学校の先生の話に依ると琉球諸島から百二十名の学生を採用する。近く文部省、外務省から沖縄に試験□委員が行くと云う話をきいておりますが、これはまた真実でないと云うことを云っております。若し内地に渡航が出来、琉球大学が出来るとなると大島に於ける大学院は如何かと思はれます。出来ます事ならば(ショート・コース)で良いんぢゃないかと思います。以上で終りますが、最後に軍政府が特別な関心をよせていることを申上げまして説明を終りたいと思います。
◎大重(博物館) 奄美博物館は文教部の社会教育の一翼を担ってたっている関係上説明は簡単に試みたいと思います。終戦後郡民の虚脱状態にあった我が奄美諸島に於て澎湃として起ったのが文化運動、演劇運動でその後漸次活気づいて参りましたが、それに伴って学制の改革となりまして、更に博物館、図書館建設が本当に大事であると云うことになりまして中江知事、笠井副知事の御理解ある御配慮に依りまして先ず初めに設立委員会が完成した訳であります。そう云う方々の非常な御鞭撻と御支援に依りましていよいよ本格的にその運動を展開するようになったのでありますが、第一に運動を展開しまして本土にいる先輩によびかけたのであります。異常なる郷土愛に燃え先輩有志の心からなる希望と御援助がありまして中にも神戸にいる奄美連盟の方からは七百冊近くの図書を送って頂きまして、それと同時に軍政府の方には博物館から申請してありました処四八年十一月十二日を期して開館が認可になりまして直ちに公布して同時に博物館の歩みの第一歩を入れた訳であります。それにつきまして向井文忠氏が多くの古美術品そう云うものを出品して頂きまして、それから追い追い博物館、図書館の資料蒐集に取り掛ったのでありますが、何しろ始めは三名の吏員でありましてその三名の方々が非常に御苦心なさっていろいろ集めた訳でありますが、その官制にはこう云う風になっているのであります。第一条奄美博物館は知事の管理に属し各種美術工芸、歴史、民俗等に関する資料並に内外の図書、記録を蒐集保存し一般の閲覧参考の用に供し併せてこれに関連する研究及び事業を行う所とする、と云うのが博物館の使命になっているのでありますが、そう云う風にして館員は三名でありましたが今年の六月三日になりまして三名が更に五名となりましてこの五名の者が一丸となってこの目的達成のために精進致しまして始めて開館を致しましたのが六月二十二日、その時の蔵書が一千四百四十七冊でありましたが更に五名が打って一丸となって今日では三千二百十七冊と云う蔵書になっております。それから古い古美術工芸品がありますがそれが百二十点、それから掛軸の方面で四十枚、現在美術(ママ)が二十点、動物の方が貝殻二百数十点、博物品も相当数に達している訳でありますが、何しろ本土と離されまして十二分に連絡がとれません関係上、且つまたおたがい郡民としてもこう云うような文化方面、昔の尊い祖先が血を流し或いは熱烈なる文化運動にたずさわった資料に対する関心がうすかったと云う事等がわざわい致しまして思う通りの域に至っておりませんですが、我々は文化の発展向上をはかるのが使命でありましてその方面に出張の序でにいろいろな御意見を申上げ尚また御支援を頂いております。尚祖先から伝はった立派な家宝、祖先から伝はった文献等をあっちこっちに散らかして紙魚が喰った儘になっている状況を見て今振返って見て非常に残念に思っている次第であります。我々は今後尚一層文化の向上発展運動のために年々前進して行きたいのであります。処が何しろ御承知の通り我々の博物図書館はコンセットであります。このコンセットは防水設備、防湿設備そう云うものが十分に出来ません関係上、また台風が吹く場合風速が二十メートル位になりますとコンセットが吹飛ばされそうになりあっちこっちから水が漏って我々館員で一々蟻が砂糖を運ぶが如く台風の時は測候所と連絡を取って官舎に運んでやる、天気がおさまってからコンセットに運んで来ると云うようにして被害を喰い止める可く努力をしているのであります。本当に急務中の急務とする処は本館の建設だと思っておりますが、幸いに知事さん、副知事さんが沖縄に交渉されましてこちらの軍政府の方から設置の指令があったと云うことを云っていた、またかつて日本に渡って来た教育使節団が日本に於ける図書館の設置と云うことが重大事であると云う指令等を受けまして我々非常に心強く感じている訳でありますが、そう云う点から致しまして本館の設立は急務中の急務ぢゃないかと思っておりますが、あっちに出してあるものは博物品として約半数位であります。貴いものは向うに出し得ないので先ず防水防湿その保存方面の設備が十分出来ないと云うことにわざわいされているのでありますが、その点を皆様方の力に依って御鞭撻御支援を頂きますればこの上も大島の文化向上のために幸甚に存ずる次第であります。甚だ蛇足でありますけれども、例えば博物館にそう云うものをならべて見て一体何になるか何になるんだと云いますが、今私等が文献あさりをやっておりますが私達がよその家を訪問すると床の間に三幅対の掛軸がある。処が正式の本当の三幅対のしきたり礼儀作法と云うものに照らして見るとどうも文化の程度が低い。只絵を見るだけでない。三幅対をどう云う風にかける、どう云う風に接待をすると云うことが何も分っていない。知らず知らずのうちに大島文化の低級さがうかがはれてまことに遺憾であります。そう云う面についておたがい三幅対については研究をして頂いて、そして大島文化の向上、文化人の生活が出来ますようにして頂きたい。我々がその資料を提供するのが博物館であります。また一つの小さい例でありますが掛軸に象牙を使ってある。本当の象牙であるかにせ物であるかの鑑定について本当の象牙は切り口を見たら網の目のように碁盤の目のようになっております。そう云うことを覚えることに依って実地に見ることに依ってにせ物はこんなものであると云う見分けも出来おたがいの実生活に裨益する処があると思う。次にこれは余計なことになるかも知れませんけれども、大島に三味線がどこそこにあります、私共それを文献から読んでながめてから三味線に名称がある規格を以て大体ながめると、これはどうも規格に合っていないそう云う一つの基準に合はない音楽は楽器そのものを基にしてすべての文化的娯楽とが成立つものであります。そう云うようなものを博物館に依ってなる程おたがい大島の娯楽方面文化につながって三味線はこんなものであると云うことを知ることに依っておたがい文化の水準をたかめることでなかろうか。島津公が木曾川工事に依って二百万両の債務を出した、その債務は大島の租税から債務を計上した、一体二百万両はどれだけどう云う金であったか、こう云うことに依ってそう云う博物館に行ったら昔の大判小判一両十両がある。なる程今日ながめて見て昔はこう云う金を使っておったか、これに依って大島の租税は本当に搾取政策を行はれておった過去の租税のはたらきをそれを通して知ることが出来ますが、今日の学校教育に於てその歩みに於てその歴史の見方もそう云うようなものに依ってうかがうことが出来るしこれは博物館にそう云ったものがあってこそ始めて子供は現実にそれを知ることが出来る。只机上の空論、教科書に依って学ぶことにより本当に手に取って実験しそれに依って基礎が作られ始めて向上するのであります。我々の図書館はそう云う便宜をあたえるため研究の図書をあつめてあるのが博物館、図書館でありますが、そう云ったような只文化の向上、資質の向上或いはそう云うことを云っても本当に役立つ処の設備が必ず大事でありますが、そう云う意味合いに於きまして私共は動物或いは植物、昔の古美術、工芸品そう云うものにとっては蔵書を使って生きた研究が幾多の熱心な人々に或いは文化事業を教えて行きたい。だから時間がありますれば一々具体的に申上げたいのでありますが時間がない関係上これを簡単に申上げて見ます。開館が六月二十三日でありまして、七月から十二月まで満半ヵ年その間に開館して閲覧者が五千五百六十九名と云う風になっております。それに依って毎日の収入が八十三円であります。今日まで十二月末までで一万二千九百七十二名(円カ)になっております。街の図書館等は最初三円次の日が二円となっております。そこで奄美博物館は初日も三日も貸出し一円とこう云う風にやって幾多の便宜をはかり小学生が非常にむさぼるように書物を読んでおります。あれから値段を安くしようとして図書館で見るのは一般を二円貰って小学校の学徒は一円、こう云う風にして一面苦しい財政のもとに建設した博物館でありまして一面そう云うことも考え財政の援助と云う意味からして閲覧料を頂いて経営している状態でありますがさっきから申上げます通りまだ発足致しまして半年であります。此の前は本当の意味での産みの悩みでありましたが今はそれがよちよち歩きかけると云うような博物館、図書館であります関係上二十三万郡民の方々の御理解に依る御援助と御同情にすがらなければ博物館、図書館の文化事業は出来ないものと思います。但し名瀬ばかりの博物館、図書館ばかりでなく二十三万郡民の博物館、図書館でなければならないと思うのであります。準備も出来ましたから巡回文庫を決行しまして津々浦々に至るまでこのおたがい郡の図書館を結合致しまして文化の向上に資したいと思います。下らん事を長々と述べましたがこれからも尚一段と御援助と御鞭撻を賜りますように簡単ながら私のお話を終りたいと思います。
◎知事 午前の会議をこれで一応終ります。
  (午後零時三十五分一旦休憩)
  (午後一時再開)
◎高田(公安) これから公安部関係の事務の内容について御説明致します。現在警察官吏の機構のことについて簡単に申上げますと定員が二百二十六名になっております。それから警察部の中に行刑と刑政がありましてこれに刑務官吏が二人配置されております。それまでしたら二百二十八名と云うことになります。これはその以前大分警察官の数を増員しまして一番多かった時代が二百八十名位なっておりましてこれが大島の予算が自給予算になってから二回にわたって減員されまして現在二百二十六名になりました。その定員の内訳を申上げますと公安部が警察官吏部長以下二十八名になっております。これを各課別に申しますと警務課九名、保安課七名、刑事課十一名、刑政課は看守長二名、それから警察の方は百九十八名になっておりますがこの中大島署八十五名、古仁屋署三十二名、徳之島署三十七名、沖永良部署二十一名、喜界島署十七名、与論署六名になっております。与論は従来戦前は警察署ではなく巡査部長派出所となっておりましたが地元の要望もありました、また沖縄との関係もあり軍政府の認可を得て警察署を新設致しました。それから各課警察部の事務の分掌であります。警務課では大体警察の人事、警察官の教養訓練それから警察予算、次に警察行政の事務を担当しております。それを詳しく申上げますと大分時間がかかるのでこの程度で警務課の内容は終りたいと思います。只茲で申上げておきたいことは警察官の教養訓練と云う事項ですがもっとも今の情勢では警察官の教養訓練に力を入れなければならない。今年度では最初に警察官の教養訓練を計画しまして予算も相当組んでありますけれども途中で更正予算を編成することになりましてこれが事業面に大分削減されまして思うような教養を実施出来なかったのであります。しかし来年度は相当予算を組みまして現任警察官の教養に力をいれたいと思っております。その他いろいろありますが、営業警察に関する事項、銃砲火薬類取締、交通警察に関する事項、その他に渉外関係としましてこれは時々軍政府が時々指示されまして種々の情報を軍政府に報告すると云うことであります。その方面の仕事をやっております。政党、平和的団体の取扱いと云うことを保安課で担当しております。それからいま述べた課のうちで営業警察に関する事項、これは日本内地でほとんど営業関係の許可と云うことは警察署長に持たしておりません。大島ではそう云う訳に行きませんので実際に於ていろいろ都合がありまして従来通り営業は警察がやっております。そのうちの衛生警察は日本本土では戦争中すでに内政部に移っております。現在は警察が干与しておりません。これが今衛生部の所管としまして出来るだけ衛生部に出来る部分は衛生部に移すように検討中であります。刑事課の所管でありますがこれは犯罪の予防捜査に関する事項、それから刑事に関する事項、軍政布告命令違反の取調べに関する事項、その他大体そう云う事項をやっております。それともう一つ鑑識に関する事項を担当しておりますけれども現在に於きましては鑑識として設備も非常に少いので大した働きはしておりません。それから刑政課でありますがこれは刑務所の監督に従っております。刑の執行に関する事項、監獄に関する事項、仮出獄に関する事項、起訴猶予者及び釈放者の保護に関する事項、司法保護の事項に関する事項こう云うことを担当しております。近く司法部に移されるのではないかと思っております。もともと刑務所の管轄は従来から司法関係でやっておりましたがそれが一時内務部の所管に属してその後警察部に移されまして、私共としてはどうしても司法の方で監督をさせる方が良いと思っておりましたがそれが私共の希望通り司法部に移されることになっております。それから警察の予算のことでありまするが五〇年度は当初の予算四百六十四万円から少し出ております。その内訳が公安部百八十万円、警察署二百八十四万円になっております。その後更正予算が総額三百九十四万円余りに更正されました。その内訳は公安部が百七万円、警察署が二百八十万円余りと云うことになっております。五〇(五一カ)年度の予算は大体四百三十万円に達しております。警察関係の各種の事故の状態であります。先ず交通事故は主に殆ど自動車事故でありますが、これを過去三年間の状態を申上げますると四七年九件死者が三名負傷者十四名、一昨年が十四件死者が五名負傷が十三名、昨年は十三件死者が一名負傷が四十五名になっております。それから船舶事故が非常に大島では多いので御座います。これは一昨年(一昨々年カ)が十七件、その次が四十四件、昨年が二十五件と云うことになっております。それから火災事故が非常に増えております。四七、四八、四九ほとんど数は増加している傾向がありますが四七年の十八件、四八年が四十九件、昨年五十二件、その損害が約三百万から五百万の間を往復しております。昨年、一昨年は非常に増加しております。今年は一月に入ってから大分火災が各所に発生しているような状態であります。それでこれは主として火災事故は警察ばかりでこれを予防すると云うことは非常に不可能な問題であります。どうしても一般の民衆のこれに対する御注意が必要であります。火災の時はほとんど失火が多い。火の取扱いを不注意にする点からこう云う重大な損失をこうむっております。この点はどうぞ民衆の皆さんが十分研究して警察署と事故の防止におたがいに注意して頂きたいと思います。それから軍政布告違反が一昨々年八十一件、その次百三十五件、昨年五十二件になっております。一昨年が一番多かったようです。それから一般犯罪状況でありますが非常に毎年増加の傾向にあります。四七年が千百八十二件でありまして、その中検挙千八十六件、検挙率九十二パーセントになっております。四八年二千七百三十九件、倍以上になっております。これの検挙が二千百三件七十七パーセント、昨年は二千八百六十四件検挙率が八十五パーセント、これから見ましても非常に犯罪が増えていることはうかがはれます。殊にそのうちでも少年犯が増えつつあると云うことは非常に大きな問題ぢゃないかと思います。少年犯の方は私共の方で挙げているのは十八歳未満の者を少年犯として挙げております。これが一昨年は二百十三件人数が四十七名そのうち男四十三名女四名、昨年度三百五十一件百二十八名、非常な増加を示しております。この犯罪を全体から調べて見て一番多いのは二十歳二十一歳そして十九歳頃から二十七、八歳のものが非常に犯罪の率が多いのであります。それとその内容も窃盗横領財産が主でありまするがその他に従来本郡には余りなかった強盗殺人事件こう云う重要な大きな事件は増加の傾向にあるようでありますが、その少年犯のうちで学生生徒の犯罪が相当増えております。この点につきましては警察署と各学校当局と連絡を取って対策を取っているような次第であります。一般の犯罪の予防の対策としましては釈放者の保護対策と云うことも非常に必要なことでありまするけれども現在では予算のいろいろな事情でその十分な施設は出来ていない状態であります。それから犯罪の検挙についてでありますが大分検挙率が本年の率と見ますると余り良くないと云う統計になっております。これにつきましては非常に一方では犯罪が激増しているのでありまして非常に警察として苦心している訳でありますが、殊に鑑識の設備科学的方面に関する設備が戦前は各警察署に写真機や指紋と云うのは全部施設が出来ておりましたが一つも今までそう云う施設はなかったが昨年の十一月頃軍政府に写真機が二個、指紋機が二個送られて参っております。指紋につきましては沖縄を中心としてすべて各地区の警察部から指紋を採集して沖縄の警察部に送るように申合せをして向うで分類して犯罪捜査をすると云うことになっております。写真機にしましてもまた指紋機にしても十分に入っておりません。これが入ったからとして直ちに犯罪捜査にそう効果があるとは私は考えないのであります。相当の技術と或る程度の年月を経なければこれ等の機能を発揮することは十分出来ないのではなかろうかと思います。只今申上げました犯罪の件数でありますがこれはまだこれより多いんぢゃないかと思う。小さい事件はとどけをしないと云う風な状態でありますから警察で分らないものが多いのではなかろうかと思います。それから犯罪の取調べと人権の問題でありまするが、これにつきましては私は度々通牒を出して厳重な注意を喚起しております。今内地の状態を見ましても非常に人権尊重を唱えておりまするがだからと云って本諸島に於て内地並の仕事はむつかしいだろうと思います。いろいろ進歩しておりますから内地並までに行かなくても人権を尊重すると云うような事は大きな必要があるのではないか。従ってこれは機構的に考えて見なければならない問題と思います。沖縄にこの前行った沖縄には治安裁判所が出来ておりまして、警官が被疑者を拘束する場合には四十八時間までは良いがその後は治安裁判所の判事の令状に依って拘束すると云うことになっております。宮古、八重山も同一であります。内地もそう云うような治安裁判所が出来ておりましてやはり同様なことになっております。大島はそう云う施設はありませんので直ちにそう云うことは出来ないと思いますけれども将来そう云う方向に向かって行くべきぢゃないか□□のであ□□公安部の所管では□□べきぢゃないかと思います。それからこれは別問題でありまするが、沖縄で非常に大島の人がいろいろ事故を起したり、向うから要求がありましたが向うの要求していることは若い者が沖縄は非常に景気が良いと云うことが誤って報道された為に沖縄に行ったら金がもうかると云って無鉄砲に沖縄に行っている。向うとしても優秀な人はどんどん入れてもらいたいけれども犯罪を犯す者が来てもらっては困ると云う意見であります。それでそう云う面のことに或いは物足りない就職の目的がはっきり決っていない人を沖縄に行かせないような対策を講じて呉れと云うような話でありました。各関係部と相談もし警察署長にその旨通知してその辺のことも十分認識させるように、向うから示された検挙された大島、宮古、八重山の統計がこの前新聞で出していましたが大島の人は去年十月までに一月から十月まで沖縄で犯罪で検挙された者は二百十九名になっております。宮古百七十九名、八重山が五十四名の統計を向うからもらっています。それから申しますと大島の人口と宮古、八重山の人口からすると大島は大したことは云えないがそうかと云って罪を犯したりするものが増えることは本諸島としても面白くない。犯罪の予防でありますが一番大きな問題は犯罪は若い青少年に多いと云うことが大きな問題ぢゃないかと思う。これは生活が不安定であるとか仕事がないと云う面からも来ておりますが主にそう云う点にあるのではないかと思います。しかし経済面の点も相当関係しております。遵法精神がほとんどなくなった点を軍と只警察ばかりでなく政庁ばかりでなくしてすべての人にその点を協力してもらって頂きたいと云うことを考えております。それにもう一つ申しおくれましたが銃砲火薬類に依って密漁をするものが非常に増えております。この点につきましては漁業会から相当昨年も要望がありましたが非常に現行犯を逮捕することはむつかしい。これは大島漁業の将来に非常に大きな障害をあたえる問題でありまして、警察としても厳重その取締検挙に当っておりますけれどもさっき云いましたように現行犯を逮捕することはむつかしい問題でこう云う者を逮捕して留置しても実際現物を押さえることが出来ず自白をさせることが出来ない。従来十数年前検挙して非常に無理をして自白させておった時代がある。今の時代では取調べについて合法的に人権を尊重すると云うことになると非常に検挙にも相当な苦労をする。あくまでも現行犯を逮捕して検挙すると云う建前を取っておりますが何分に法令の罰則が非常に軽いのであります。これをしばしば意見を出しておりますけれども実現しません。昨年法制改訂委員会で法制課の方で罰金の引上げ、罰則の強化を決議したような次第であります。それと共にそれを実施をやりましたら相当効果があるのではないかと考えております。それから刑務所の内容でありますが現在の収容人員は百四十名から百五十名の間を往復しております。それで従来日本の鹿児島刑務所の支所時代と今の大島刑務所の独立した大島に一つしかない刑務所になっておりますがその間非常に社会情勢が違っております。施設はほとんど前のものを使っております。従って作業、行刑、衛生は或る程度支障を来しております。それで或る程度緩和しましていろいろ施設の関係で困っているような訳であります。しかし囚人の栄養状態と云うことから考えましても完全ではありませんけれどもこれで栄養失調になると云うようなことは全然ないだろうと思います。予算は七十万円でありました歳入が四十万円の見込であります。三十万円で刑務所の生活を自給予算で行くと云うこともこれは性質から考えてそうは行かないと思います。それから現在囚人の食糧でありますがこれは四円二十銭(一日)これも非常に苦心しており□□□□□□□□□□□□それで栄養失調を来すと云うような状態ではありません。被□□その通り困っておりますけれどもこう云う健康を害するこう云うような事実はありません。その他釈放者の保護と云うことも相当やらねばならない事業でありますけれども予算面からそう云う仕事が今出来るような施設が完備されておりません。以上で公安部の状況の報告を終ることにします。後で御質問がありましたらお答え致します。
◎玉利(通信) 私は通信部長の席を汚している玉利で御座います。どうぞ宜しくお願い致します。通信部の所管事務の現況を概略申上げたいと思います。本諸島は郵便局の数が工事局合計六十三局各種通信工事局赤尾木無線通信局都合六十三局でありまして、これに従事している従業員は全部で四百六十七名でありますが他に通信部合わせて総員五百十五名となっております。先ず通信部の機構から申上げますと通信部には管理課、通信課、貯金保険課の三つがあります。管理課では人件費、予算計上、会計、それから通信課では郵便、電信、電話、規格調査その他それから郵便保険の原簿整理調査実施こう云うような事務を扱っているのでありますが、通信部の四十八名中三十名は貯金保険課の仕事に従事しております。何故これだけ多くの人員を要するかと申しますと貯金保険の原簿整理と云いますのはこれまで本諸島の全部の郵便貯金が現在十八万円あります。それに保険の加入件数十三万名あります。それ等名簿の受け払いの事務処置、整理とか受払い原簿記入それから貯金の利子の計算それから保険金の支払い、通帳の発行その他の仕事で御座いまして、茲に三十名と云う人員を要しているのであります。郵便局の六十局中五十九局は全部集配をしなければならないのであります。戦前に五十何名の定員が逐次整理されまして現在茲に四百六十七名でやっているのでありますが、五十九局中二十五局が局長以下四名の局でありますが集配もやる逓送もやる電話呼出しもやるそれで四名ではどうしても無理が行きますから隔日集配隔日逓送をやっておりますが、従業員から申し出もありまして勤務に無理を来すと云うことは承知しながら通信事業の本質である処の郵便事業をおくらしたらいかんからこの際犠牲を払ってもやって呉れと云うので昨年暮から四名局であっても毎日逓送毎日集配を続行しておりますが年中休みなし夜昼勤務であります。何時電話が来るか電報が来るか分らない。ずい分無理を来たしておりますがとに角やれるだけやってくれと云うことで今そのわずか四名の局にあっても毎日集配逓送をやっているような状態でありますが、この電気通信工事局と申しますのは今名瀬にありますがこれは本諸島の電信電話工事補給全部を扱っているのであります。それから赤尾木無線工事局がありますがこの無線の方は現在徳之島と和泊それから与論、喜界、中之島それから口之島、これだけが無線設備をしております。それは全部赤尾木無線工事局でやっております。次に一九五〇年度の予算を見まするに通信部の歳入歳出の内容は通信部を合せまして歳出が五百七十二万四千二百三十円に対しまして歳入が三百九十二万四千八百五十円、結局千八百七十七(ママ)円の赤字を生じております。これは本諸島のような多くの離島を有しております関係上郵便電信電話施設維持資材の応急工事、高価な器材を使うための特殊条件に制約されまして、それとまた一方これは公益事業でありますから採算がとれなくても公益のためには郵便局を設置しなければならない、電信電話をやらなければならない、そう云う風にして今日ほとんど津々浦々まで郵便官舎が出来ているような訳でありまして算盤ずくで行きませんから、そう云うような関係で出来るだけ節約に節約をしておりますけれどもこれだけの赤字を□□の次第であります。次に郵便、電信電話、為替、貯金、保険年金の各種取扱い状況を申上げて□□ます。しかし□□一万四千五百三十通扱っております。その郵便料金が四万一千五百二十一円八十銭、それから電信は同二万一千六百二十通扱っております。料金が十四万七千四百八十六円。電話が月に一万九千百七十九通、料金が九万六千二百五十一円。それから為替の取組料これの扱いが月に九百十七件のうち料金二万一千百二十四円、それで通信歳入金は月平均三十二万円程度になっているのであります。貯金に於きましては普通貯金が定額貯金その他合計百八十万九百二件と云うことになっております。この金額四千七百八十八万二千七百万円(ママ)になっております。二・二宣言で本土と離されてその後二千四百万円が見られております。保険年金は一万三千二百三十七件、一ヵ月の掛金額三十八万五千六百六十三円、保険契約総金額二千七百六十七万百九十円、年金契約一万三千二百九十三円こう云う状態になっております。それから郵便局資金の状況を申上げますと四六年二月二日から四九年十二月末日までの貯金受入状況を申しますと終戦後日本本土から切り離されたあと今日まで貯金の受けが三億一千九十七万八千円、払出しが三億七千八百五十四万二千円、保険料が合計五百九十二万五百八十円払って差引き三百十一万一千九百七十円になっております。現在郵便局資金と申しますのは貯金、保険に貸した残金が郵便局資金になるのでありますがこの資金の現在高は一千七百六十二万一千六百八十二円(十二月末)、このうち一千二百万円の一般貸付があるのであります。その残りが現在郵便局資金として郵便局ならびに琉銀の方に預金されております。処が毎月の受払い状況を見ると毎月毎月赤字であります。そのためにどうしても貯蓄奨励運動を強力にやって、そして少しでも郵便局資金を作って低利で一般に貸付けたい、こう云う風な考えで午前中に財政部長からお話がありました通り郵便局に集め低利資金で貸出をする方針の下に昨年十一月から貯蓄増強運動を開始しているのでありますが現在の世相に於きまして中々予想通り増強も出来ませずこの点を非常に心配しているのであります。どうぞ一つ皆さんに於かれましても本郡の経済状態を好転させるために貯蓄増強に格段の御援助をお願いしたいということを特に申上げる次第であります。大体郵便局の現在の状況と致しましてはこれだけで御座います。細かい点については後程御質問にお答え致します。
◎大野(補給) 補給部の現況報告を致します。補給部は昨年の十一月政庁機構の一部改正の公報に依りまして従来農務部とか或いは経済部が扱っている補給物資の取扱いを一つになす一元化して事務の簡素化或いは連絡のために二四年の十一月に新設された訳であります。補給部の新設に関しまして補給事務の一元化、軍政府その他との連絡、それから補給部が新設されたことに依って扱っている農務、経済こう云った部の事務の合理化を図ると云う目的のために設置されたものであります。従いまして従来扱っている部課と施設をその儘新設補給部に移しまして、そうして補給部としましてはこれ等部課から施設をその儘引受けましてこれを経理課、食糧課、資材課、燃料課、薬品課この五課を設置して事務を取っているのであります。次に出来上がりました各課の主管事務でありますが、経理課では補給金の管理に関する事項それと補給品価格、補給品の次は補給部の他の課にこれだけを経理課ではやっております。次は食糧課でありますが、食糧課は補給食糧に関する主要食糧管理に必要な事項その他御座いますが主として食糧これに関係する事業であります。次に資材課で御座いますが、資材課では従来日用品、衣料品を扱っておった補給物資、燃料、食糧、薬品これだけを除いて他の諸物資に関係することを扱っております。衣料品、日用品その他に救済物資或いは学用品そう云った面もやっております。管理に必要な事項を扱うようになっております。燃料課は燃料に関することが主たる業務であります。燃料の需要価格の実施管理に必要な事項、燃料の現在高調査、消費関係。薬品課は補給薬品資材管理に必要な事項それから補給医薬品資材の管理□□その他そう云った現在高□□に必要な事項をやっております。勿論薬品を扱っておりまする業務については薬品の割当は衛生部でやっておったのでありますが今は補給部でやっております。次は課の定員で御座いますが、定員は七十二名現在六十九名、補給部内二十五名倉庫その他に四十四名合計六十九名になっております。補給部の予算金額になりますが、概略本年度五〇年度現在で更正になっている予算は食糧特別会計に四千九百四十万五千六百四十一円、歳入の内訳が食糧売上金三千七百二十四万円、雑収入六百六十九万二千二百十七円(別表参照(ママ))。次に業務の内容ですが、食糧方面から申しますと軍から奄美大島に向けて来ます放出食糧が大島の人口が二十三万ありますがこれを一人一日分のカロリーが千八百カロリーと云うのが軍の基準であります。これに三百六十五日をかけた総カロリーが大島郡の食糧総要量、それから大島の地区内に出来る食糧カロリーを換算して引いて残った分がアメリカから放出される総計であります。従来はこの計算通り行かなかったのであります。郡民の必要食糧の七十五パーセントを郡で出来るもので賄い後の二十五パーセントを大島に補給すると云う建前であったのですがそれが前年度は大体月六百トン程度の食糧が入っておったのであります。本年度は、昨年四月以降現在まで入荷した分は月千トン内外平均入っております。これでは足りないので我々の方では苦心しておりますがこの入って来た食糧をどう云う風にして配給するか。一般配給が各市町村に計上して送り出されます。その他特殊配給は療養所、刑務所、留置場、引揚者、中央病院、軍政府その他特殊の分であります。一般配給の方では各市町村の人口、市町村に於ける自給とか町村内での生産度合が基になりましてそれに対する基準を定め要救護者とか或いはその他のそう云ったものを勘案しまして率を出しまして平均してあります。現在配給しているのは一人一日千二百カロリー程度の基準で配給しております。カロリーで行くと大体七万四千名配給者がいる訳であります。次は資材関係に移ります。申しおくれましたが食糧の入荷実績は一九四八年四月から四九年三月までの実績が七千二百三十三トンであります。これの払い出した実績が七千一百三十九トンでありますが、本年度の分は五〇年四月から十二月まで入るものが九千六百四十トン払い出し、一千百七十五トン、減量が一千六百四十五トンある腐敗品が入っているから実際の減がこれ以下になっております。次は資材関係に移りますが、資材関係としましては従来入荷衣料品、日用品、文房具類、漁具、肥料、材木、セメント、その他農業薬品、マニラロープこう云ったものが参っておりまして、この入荷を総計すると一九四六年八月十二月(ママ)まで(以下別表参照(ママ))、配給方法としましては各市町村の人口に割当或いは品物に依っては必要な業態別、人口、年齢、男女別を基準としてやっております。特殊な品物は業態別に配給しております。一般配給の他に特殊配給品に燃料がありまするが、燃料には揮発油、軽油、灯油その他マシン油こう云ったものが沢山あります。これの需要量を調査して例えば本月の需要量は前月の十五日まで軍政府に提出する。そうしてその申請に対して向うの沖縄の方で各地区から集って来たものの申請書を見て加減する。従来の入荷実績を見るとこれは油の受□者に四七年度で揮発油三万七千七百八十九ガロン……(以下別表(ママ))。補給部の施設は食糧関係は各市町村に政庁から補給金を交附して食糧倉庫をそれぞれ設置さしております。各市町村全部完成しております。それから次は港湾荷役の迅速を図るため艀を作りました。補助金なしで政庁の直営で作りまして十四隻出来上りまして十二市町村に入っております。海運課と連絡して最も必要とする処に適正配置してあります。配置内容は名瀬港三、古仁屋、喜界町、湯湾、早町、母間、亀徳、平土野、鹿浦、面縄、和泊、知名、与論に一隻配置しております。資材関係の施設と致しましては二十ヵ町村に衣料品倉庫補助金をもらいまして作ってありますが大体完成しており未完成が四ヵ町村であります。燃料課としましては古仁屋出張所、□□出張所でありますがこれは□□管理所が一ヵ所市町村の後の経費の点と関係しますので次は放出物資の価格で御座いますが、すでに御承知の通□□はこの前新価格を実施するように指令がありまして実施□□のがありまするが最近変更する指令が出ましたような次第であります。食糧価格の計算は軍政府から放出されます卸価格に二十五パーセント加えたのが小売価格と指定されております。それから資材関係では二十五パーセント増しております。燃料、薬品は二十五パーセント加えております。食糧と資材の方は末端に行くまで小売価格は名瀬でも和泊でも末端配給価格は同じ建前となっておりますが燃料、薬品のパーセンテイヂは少い。自然経費が持てないから遺憾乍ら薬品、燃料関係は名瀬倉庫渡しと云う価格になっております。食糧の今配給になった価格はすでに御存知でしょうが米一ポンド四円二十銭、メリケン粉、大豆、豆類、粉ミルク、砂糖、燃料の方は昨年十二月八日軍政府から指令が出ましてその配給価格が軽油小売四円八十銭、ガソリン一ガロン…(別表)
 次は放出品の代金決済状況に移ります。(以下別表(ママ))
◎屋田(経済) 経済関係で現在やっております業務、将来の計画を要点だけを御説明申上げます。先ず経済部は五課、貿易、商工、水産、陸運、海運それから免許局になっておりまして総計百五十一名。貿易課につきましては最近の動向を二、三申上げたいと思います。十二月に東京の方から茲の紬を買いたいと云う申入れがありましてその内容を検討して見ますと五千五百十七反に対しわずかに三百十七万四千円、三百円の価格をつけて来ているのであります。処が当方の要求した価格は一千万円。そこで産元、生産業団体が琉銀及び郵便局から五百万円借りて五千五百十七反を確保しておりますからその借金を返すことが出来ない。ドル、円換算比率を百二十円から三百円につけて呉れ、現在、貿易品は輸出も輸入も百二十円(一ドル)で換算する方針を貿易庁は取っている。それを三百円に上げたなら大体売れると三百円上げること、それからもう一つは日本に代表者を送って直接向うと交渉さして呉れ、こう云うことを要求してやったのであります。それに対しまして一月二十日回答がありまして、業者を一名日本に出してそして紬の売付、糸買付これを調査さしては如何と云って来た。政庁としましては業者と協議の結果一名では少い、業者から二名それから政庁から一名合計三名を派遣さしてもらいたいと云う要求をしたのであります。この要望に対しましては何ら回答に接しておりません。次に黒糖でありますが、これは貿易庁へ入った情報でありますが一ポンド四セントと云うような情報が入っているようであります。これを同じく一ドル百二十円に換算すると一斤はわずか六円三十四銭。これでは市価の半分にも当らない。価格の点でそれも今行き悩みの状態であります。次に蘇鉄葉につきましては昨年相当輸出したのでありますがこれは後程輸出額でお知らせ致しますが今年の価格は一円三十五銭平均(細部に於て違うが)になっております。これは一枚一円二十銭位でなかったら原価計算をして引合はない状態であります。これも価格の点で行き悩みの状態であります。昨年中の貿易勘定を申上げて見ますと、琉球に前三百万円余り大島から沖縄に出した輸出三百万円、日本に出したのが七百五十七万円、尚沖縄に軍の連中のお土産品の販売店、店があっちこっちにおいて壁掛芭蕉の繊維を作ってスリッパ(ママ)が行ったがこれが十五万円合計輸出が一千万円です。それに対しまして輸入が九百万円、土産品販売店の分まで入れると約□□。それから家畜その他それを大体ざっと見積って見ると四百九十一万、五十万円になります。輸出総計一千五百万円、輸入が一千万円、五千万(ママ)円の輸出超過になっております。しかし乍らこれは沖縄から闇で入って来るのは計算されておりません。その実体はつかむことも出来ない。それが入っていないと云うことを御諒承ねがいたいと思います。商工課でありますが、商工課には商業係、工業係は一般工業、繊維工業、紬資源、電気、統計、庶務等の係□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□進めております。それから一般の工業については非常に大島の工業は工場は数は約三百位あります。従業員が約三千人位。私もこの数字を見て吃驚したのであります。非常に小さな工場が沢山ある。この工業関係で今最も問題になりますのは資材がない資源がない原料資材がないと云うことが、それと機械器具の設備の方これがないと云うことが一番大きな隘路であります。次に繊維工業に於きましては紬の方ですが紬が輸出されるとなると非常に大島の経済に大きな利益をもたらすので今からその研究と指導を細々乍らやっている次第であります。現在係は二人ですが、その紬が輸出されると云う曙光が見えていますので例の染色指導所を復興しようと云うので復興予算を二百三十万円復興費に計上してあります。次は資源の方ですが資源と致しましては与論の燐鉱が大分有望視されておりますのでこれの調査を先ずやって見たいと係が行ってサンプルを持って来て分析した結果に依ると含有量三十六パーセントと云うことになっております。分析が正確か如何かわからないので先般副知事が沖縄においでになった時お願いして東京に送って分析してもらうことになっております。その報告に接しておりません。埋蔵量が一千万トンと推定されております。この方面の権威ツナミチ(ママ)博士の説明に依ってこれを見ても或る程度望みが持てるんぢゃないかと、こう云う風に考えております。尚沖縄の大東島で出している燐鉱は平均二十二パーセントと云うことになっております。しかし向うのものよりこの分析が正確であるとすればはるかに良質のものであります。それから世界の燐鉱の率からながめて見ますと三十六パーセントとなり第三位の燐鉱だと云うことになります。その調査をやりたいと云う処から三十一万二千円を同じく復興予算に計上しております。電気につきましては一番今電気状況が悪いのは徳之島でありますが先ずこの徳之島の電気を復興したいと云うことで今所長といろいろ相談中でありますが経費及び資材の問題ではかばかしくいっておりません。この電力は別にしまして電灯から申しますと大島電業所が戦前の約六十五パーセントの復興を見せております。徳之島はわずか三十パーセント、料金にすると五十六パーセントしか復旧しておりません。この電気も経済復興でありますのでこれを復興予算にしまして八百万円を計上しております。尚阿木名川発電所はこれを復興したいと云うことで軍政府を通じて種々折衝中であります。次の統計庶務は省略致しまして、水産関係に移ります。水産関係で計画しておりますことは例の製氷所設置に約百四十六万円を経済復興費として要求しております。先般向うの新聞で向うの製氷所建設費百五十万円を軍からもらったと云う記事が載っておりましたのでこれを翻訳して軍政府に出したら沖縄に照会すると云うことになっておったのでありますが、つい最近宮古、沖縄に製氷所建設費を割当てたから茲ではいくらいるか問い合せの電報が来ておって茲でもかねてから準備しておった百四十六万円を直ちに要望してやったけれどもその返事は参っておりません。或る程度もらえるのではないかと思います。水産業協同組合を今年実施する予定でおります。これは先般法制改訂委員会の審議を了しまして今翻訳中であります。もう一つは五十五トンの大型漁船を二隻建造することになりまして材木がその一部分は入りまして現在藤野、池田両造船所でこれが建造中で三月末までには完成する予定であります。次にこの現在の漁船の戦前との比較を申しますと漁船のことは数は戦前より増えております。処でトン数にしますと一九三五年、三七年で千四百十八トン、現在は八百六十五トン。馬力数同じく三五年から三七年まで三千五百四十五馬力現在二千四百二馬力。これは小型刳舟にガソリンエンヂンをつけたのが多くなっておりますから隻数は増えておりますけれどもトン数はまだ戦前に達しない訳であります。漁獲高が三五年から三七年に約七百万ポンド、現在は三百万ポンド。この減少の理由は捕鯨船が昔あったこと、鹿児島や沖縄全体に出した魚の量が三百万ポンド入っていた、この二つの理由があろうと思います。それから最近漁業関係の資材が非常に沢山入って□□将来□□予想されております。資材の面で大分明るい希望が持てるのではないかと考えております。次に陸運関係でありますが陸運課は現在総計十七台の自動車があります。そして浦上の方に毎日三回小宿に毎日二回小湊に毎週三回火曜日木曜日土曜日でありますが、住用に毎週一回火曜日(西仲間)竜郷毎週二回火曜(以下略)、以上の通り定期運行をやっておりますが、私の計画としましてはさっき大野部長から話があった通りガソリンが沢山入ったからこれをもう少しもらって住用、山間線の復活、古仁屋線の毎週一回定期を計画しております。油さえもらったら直ちに実行する積りであります。もう一つ予定していることは金融逼迫から物価がかなり下って来ております。自動車の運賃を一割五分下げる積りで今立案中であります。そうすると予算面で収入が減になるのでありますが油さえあったら運行回数を荷物に依ってこの減を補い得る見込があります。次は海運課でありますが海運課は御存知の通り金十、OL、LCMの運営をやっております。海運課の収入が約三百五十万(予算面)、そのうち繰入金四十一万円、現在年度途中であるから予算額に達しませんが年度末までに十分達する見込があります。この海運運賃も無論同じ現在の情勢、経済情勢に鑑みまして一割五分方値下げをする積りであります。今海運課で予定しておりますのは琉球を一円とする海運規則の案でこの間沖縄からこっち参りましていろいろそれを検討して改正すべきことを改正して意見を述べて沖縄に出してありますが近いうちにそれが公布されるのではないかと思います。それからもう一つ考えておりますことは船員の試験制度を採用したい。民間の無資格者に依っていろんな事故を起したりする。非常に危険でありますから試験制度を採用して見たい。こう云うように考えております。機関士ですがこれは沖縄の琉球海運株式会社と云うものが設立を計画して近いうちにこれが発足するようなことを耳にしております。次に免許局でありますが、御承知のように布告第三十三号に依りまして商行為を目的にする企業は免許を受けなければならないことになるから免許局をおきまして免許事務を扱はしております。昨年十月末現在の免許数は五千二百七十四件に達しております。それを業態別に見ると商業三千八百五十五件、工業千二百九十一件、運輸業者百二十八件の内容であります。尚これを御参考のために資本額を見て見ますと約八千万円と云うことになります。資本の査定は必ずしも正確を期しておりませんが、一方裁判所に登録されたものとは大分開きがあるのですが、これを見ると約三千一百万円、一千四百万円、払込資金、株式、合資、合名、三十であります。まことにこの簡単でありますが以上を以て各課の説明を終ることにしまして、現在の大島経済の逼迫した経済打開策は何かと申しますと、つきつめて見ると貿易の再開以外にあり得ないと私は考えております。これについては機会ある毎に強調しまして考慮をうながしているのでありますが、沖縄の新聞をさっき見て見ますと四月頃から民間貿易が開かれると云う話がありますが公式に何もきいておりません。そうなりますと勢いこの産業の整理と云うことも考えられます。その他これに附随して起って来る問題でありますがいずれその貿易の性格或いは希望と云うようなものをはっきりつかんだ後でなければ計画はたてられません。その計画に着手しておりません。それからこれは御参考のために一寸やって来たのでありますが、この物価指数を私の方では終戦直後の四八年二月から出発しましてその当時の物価指数を百にしてその動きをみると四八年二月百、一番高い十二月二百七十、と云う指数を示しております。これは例の公定価格が撤廃された直後でその反射的に物価が上っているようでありますがそれから下降線をたどっておりますが再び四九年六月昨年六月に上っております。これは例の端境期の非常に食糧が逼迫した時であります。尚それが一旦下降しまして十月に二百二十五の数を示しております。これ□□□□□□□□□金融逼迫が原因するんぢゃなかろうかと考えられますがこの面はやはりさかのぼって行きますと貿易と云うことに結論づけられるのであります。あの面から見ましてもこの面から見ましても民間のもっと大規模な貿易と云うものがなければ経済状態は好転しないと云うことは云えると思います。まことに粗末な説明でありましたが、尚細目について知りたいと云う御希望の方は質疑応答の時なり事務所においで下さいまして直接私なり係の者に十分納得の行くように御質問下さるようにお願い致します。
◎三原(工務) 工務部の現況及びその他について御説明致します。先ず工務部は昨年六月政庁の機構改正の際当時内務部にあった工務課が工務部に昇格したのであります。部の構成としては庶務課、土木課、建築課の三課に分れ一名の部長の下に庶務七名、土木二十三名、建築十一名、計二十四名(ママ)の部員がおります。先ず庶務課の所管業務としましては道路、橋梁、河川、港湾等に関する一般土木事業の計画及びその実施に関する業務を担当し、建築課の担当業務は建築物に関する(主として官公営建築物)計画及びその実施をやっております。次に終戦以来の土木工事概況(予算と資材面に掣肘され充分な工事の出来なかった)の説明に移りたいと思います。即ち二二年度になりまして一般会計予算に四万五千円の予算をもらったがわずかに雀の涙程で四八年度、二三年度に於きまして一般会計は九十七万円の予算でありましてこの九十七万円を以ちまして八間道路、暗渠応急修理がわずかに出来ました。そう云うような状態であります。四九年度に至りまして一般会計百六十七万円、それから戦災復興費軍政府の交附を受けた土木予算二百五十三万一千円、合計四百二十万二千円と云うような予算を以ちまして工事をやったのでありますが、その工事の内容は真に止むを得ない石垣、落土の除去こう云ったものを行い、従来途中までやってまだ開通しない、開通しないと意味をなしません、これを少しでも開通するように工事を進めようとして四十五万円位の復興予算からこれをやっております。昭和五十年度(ママ)、今年度七月のグリーン回答で一千五百万円交附されると云う指令に接しましてそのうち三百八十七万はそう云う工事に使ってこれは交通、あらゆる面も考慮致しまして幹線道路の修理に重点を置いて工事を実施しましたがようやく若干の路面を完成出来たのであります。しかし都合で全部までまだ完全な域に達し得ず部分的にしか手がつけられないことを残念に思っている次第であります。しかし乍ら七月に計画した工事は九月末までに全部工事をほとんど完了したのであります。この五〇年度に交付されました土木予算の三百八十七万円のうち百十六万円これは市町村で橋梁工事をやっております。これもいずれも九月末までに全部工事を完了しております。その次、港湾、河川でありますが港湾、河川につきましては実際の面、収支の面で手もつけず出来ない、見るべきものもない次第であります。次に建築の方面を申上げたいと思います。戦時中莫大な被害を受けた各官公署、学校、役場、勿論一般民家も被害を受けましたけれども予算の都合で手がつけられず、四九年度から復興予算の状態に依りまして四九年度公共営造物こう云ったものも共に手をつけて来たのでありますが、戦前の坪数と比較してどれ位の戦災を受けたか、政庁自体の予算で直接工事をしなければならないものが五十四パーセントの被害であります。市町村の学校が六十八パーセント、いずれも坪数であります。戦前の坪数に戦災をこうむった坪数を除して行った率であります。それから役場の建物が六十五パーセント、その他役場のああ云った附属設備が約八十パーセント、一般住宅が三十パーセント、そうしてこれを四九年度、五〇年度の第一・四半期予算、九月までに実施されたものでありますが四九年度、五〇年度、九月までに復興したものが十一パーセント市町村に結局十七パーセント□□□□□□□□□□□□□は復興出来ないと云った現情であります。□□では申上げておきたいのは有屋の和光園でありますがこれは元来敷地建物が四百坪位あって□□軍政府からの指示もありまして拡張計画が立案されておりますが、これは四九年度、去年度に於きまして二百八十四万七千円の予算がありましたので建物で二百六十七坪、去年の道路、上水道一部その他を実施しております。五〇年度に至りましてはまだ工事予算の認可が参りませんので実施しておりません。五〇年中四百十四万八千円を以て来て、新設する隣地の買収、病棟、治療室、そう云ったものを五〇年度で仕上げたい、こう云う案を以て計画を軍政府に申請しております。今後の計画についての概要でありますが何分共市町村の学校の復旧、役場の復旧、道路と云う問題につきましても郡民が斉しく関心が強い関心を持たれる部分でもありますが復興予算の大半を消化する私達としましても慎重に考えて計画を立案しているのであります。御承知の通り昨年グリーン回答に依り九月まで全部工事は完了し事業の例えば交附すべきものは交附することにして第二予算は九月末軍政府に提出してあります。種々の機構が近く認可になる情勢にありますけれどもまだ予算を手に握ったと云う処まで行っておりません。それからこれは軍政府に提出してあります。それから四月に交附すると云った予算編成の年度の計画は四月になり施行は五一年度になります。これは五一年度に施行する計画として立案して軍政府に出してあります。これは近く沖縄に於ける予算その他の会議に出席される方々が持って行かれると思っております。第二次第三次予算に於きまして一千五百万円ずつ三千万円を以て市町村、学校校舎復旧、道路橋梁の復興その他各種の復興と云うようなものをやって行きたいと云う風に考えているのであります。次に市町村、学校二次三次で千六百坪新築を計画しております。それから道路延長百三十マイルの工事が大体終了します。それから五一年度以降は三カ年を以て未完成の分を全部やって行きたいと案を立案してやっているのであります。前から復興五カ年計画が出来ておりまして戦災に依って被害をこうむったものをもとの状態に復興するのが五カ年を以てこれを復旧しようと云う考は前からあったのですが、此の前沖縄に行った時五四年度以降復興予算はなさそうな話もあり軍では予算編成方針の案の中に四年度以降民政自体の手に委ねると云うようなことがあったから、非常に無理はあるのでありますが一応戦前の状態程度にどうしてもやって行きたいと云うようにしまして三年間の年度計画を作りまして全部三年間で実行目標を或る程度復興して見たい。その中に河川港湾と云うようなものも入っておりますが差し当って五一年度河川港湾修理に十分自信が持てませんので若干残金があるから結局その年度で何とか出来るのではないかと思います。以上で私の説明を終りたいと思います。
◎笠井(司法) 午前、午後引続きおききとりだけで非常にお疲れの事と存じますが殿りに私が司法部長を兼務しておりますから司法部の現況についてかいつまんで簡単に申上げて見たいと思います。現在の司法部は戦前鹿児島地方裁判所の管下にあったことは御承知の通り□□にあっていはゆる大島区裁判所として民刑共に取扱ったのでありますが当時の裁判所の使命は第一審でありまして上告若しくは控訴事件が起りました時はこれをすべて鹿児島地方裁判所若しくは長崎控訴院に移管されていたのであります。しかるにいはゆる二・二宣言に依りまして本土と行政的につながりを打ち切られて裁判の面に於ても非常に一審だけを以て結審すると云うことは残念な立場になったのであります。従いまして私共と致しましても出来る限り二審制度を採用したいと考えまして当初から二審制度について軍政府当局に始終要望しておったのでありますが、四七年六月十一日司法庁改正とそれが認可になりましてはからずも行政面から司法と云うものが独立した独立官庁の感を呈して私共も非常に喜びを以て司法庁の独立と云うことでその祝賀会まで催うした次第で□□□□□□□□□□□□□軍政府に於ては司法行政の面に於て一般法令及び□□裁判すべき大島群島の民事及び刑事裁判所を創設し一般的裁判所組織を適切□□□□□□□□□裁判所設立に必要な命令を出し□□ですが二審制度が認められたのであります。その内容は巡回裁判所控訴裁判所であります。巡回裁判所はこの命令第十六号に依りまして名瀬、古仁屋、徳之島、沖永良部、喜界の五カ所でありましてこれはいずれも単独制を採っております。いはゆる判検事一人ずつで以て判決を下すと云うことになっております。控訴裁判所は名瀬に一カ所おきまして巡回裁判所と同じく民刑共に取扱っておりますがこれは三名の合議制になっております。いはゆる判事が三名で以て組織されております。巡回裁判に対する二審制であります。しかし乍らこの命令第十六号は同命令第十号第三条の一項に、司法部長は検事長を兼任し北部南西諸島各裁判所職員を直接監督すると云う一項がうたはれているのであります。その内容は始終過去に於てトラブルを起しているのであります。と申しますのは司法部長は自動的に検事長になりますので裁判所を検事長が支配すると云うような印象を強く受けたのであります。検事長は検事長であり司法長は司法部長である。司法部長は軍政府にこう云っております。私共の過去の印象から致しまして検事長が司法部長を兼務するのは検事長が裁判を指図すると云うような印象をつよく受取りまして、どうしても命令第十六号の一部を改正したいと考えまして始終折衝を続けたのであります。今申上げましたような考え方で軍政府と私共の考え方がはるかに遠いものであったのであります。しかるに昨年末になりましてそう云うようなトラブルが起るなら改正の用意は軍政府にあると云うことを私はききつけまして検判事に集ってもらってその一部改正をいろいろ審議した結果一つの成案を得て軍政府に上申した処が昨年十一月十一日附一部改正されたのであります。主としてその改正の要点はさっき申上げましたように、司法部長を検事長が兼務し北部南西諸島の各裁判所を直接監督するこの条項が重点になっております。改正の要点は、司法部長は北部南西諸島の各裁判所及び検察庁を監督する、裁判所長は裁判所を監督し、検事長は検察庁を監督すると云うようにしたのであります。同時に任免権に於ても従来は司法庁長が検判事の任免権を持っておったのであります。この改正に依りまして司法部長の推薦に依って知事が任命すると云う形に変ったことであります。以上が今日の司法部でありまして、司法部の人員は部長共に合せまして六十一名だったと思います。今申上げましたような事情で私が暫定的に司法事務を兼務している次第でありますが、その内訳は先ず裁判所控訴裁判所長を始め判事が五名書記等が二十名、検察庁の方は検事長を含めて二名、書記その他に登記所が十カ所に職員が二十名になっております。司法部の機構と致しましては庶務課に民刑課がありますが昨年の十一月一部改正になって以来のことでありましてまことに貧弱な陣容であります。と申しますのは専任の職員がほとんどいないのであります。部長が私の兼務であると同様に庶務課に致しましても民刑課に致しましてもいずれも裁判所の職員検事局の職員に兼務させている状況でありまして今後はこれを予算の許せる限り増強したいと思っております。それから人権尊重と云うことは申すまでもなく民主主義の基本理念でありますが司法行政全面に於きましてもこの方針で私はのぞみたいと考えております。その一つの表れとしまして先程申上げました控訴裁判所の方は合議制になっております。現在判事は控訴裁判所長は合せて五名でありますがその中から控訴裁判をする場合専任の判事を当てなければなりませんが被告の方で裁判長を忌避する場合□□縁故姻戚等の関係□□が出来ないと云う事などもありますから□□どうしても判事二名増員したい最低二名にしたい。いはゆる裁判の公正を期するために最低二名の判事は必要と考えまして意見を軍政府に具申致しました処軍政府と致しましてもこれを諒と致しまして、私の考では試験制度をやってこれを採用したい。しからば試験をする人がいるかと云う問題になりますがこれはいろいろ考えた結論と致しまして現在の大島の政治そのものが暫定的なものである以上現在の機構の許せる最大のもので方法でやる、いはゆる推薦して判事を任命するより試験制度の方が少く共民主的であると私は考えましてこれを試験を行うことになっております。試験の方法は予備試験本試験に分けてやりたいと考えまして、予備試験の方は来る二月二十五日日本内地で行っている制度を読むと結局これは予算に無理だと考えまして予備試験の方は一応英語、論文この二つとして、本試験の方は大体日本の司法官採用の試験制度に基いて行いたい、これは三月二十五日から二十八日までに行いたいと考えております。従いまして地方におかえりになるならばいはゆる人材の登用を図るのがねらいでありますからそう云う方々がおりますなら出来る限りひろく試験に参加するように御吹聴願いたいと思います。只今申上げましたように司法部は課と致しましてはほとんど兼務でありますが先程公安部長から話がありましたように私は近い将来公安部が刑の確定前の事務を扱う、扱っておりますが刑の確定後の事務を扱うのは司法部の任務であると考えているからでありますがこの点につきましては予め軍政府当局の諒解を先週末得ているのでありまして目下その移管に関する意見書を勘案中であります。次に人権尊重に対しまして物件の維持と云うこともまた司法部の重大な使命の一つであると私は考えております。戦災に依りまして喜界、古仁屋、亀津、与論であったと思いますがいずれも登記所が戦災で焼失しておりますがこの登記所の復旧と云うことにつきましてはその方々に負担して頂いて建物だけ復興と云う点を考えておりますが、先ず物件の確保の上から申しまして登記簿の整理と云うことが最も大事なことであると考えましていろいろ工夫をしておりますが、金融面で財政部長から説明があった通り現在の大島の予算から致しましてこれ等の費用の捻出方が困難でありましたので今回五一年度復興予算の中に登記簿の整理費用と云うものを組入れまして申請する積りであります。この他に裁判関係では軍政違反を犯した者は軍事裁判と申しまして軍政府の法務官が自らその任に当っております。これは司法部と直接関係はありませんが裁判としてそう云うことになっているのであります。更に裁判所の判事は二審制である関係上巡回裁判□□沖縄の制度を見ますと沖縄は治安裁判所の上に巡回裁判所があり更に控訴裁判所があるのでありますがそのやり方も茲と同じ二審制であります。例えば治安裁判を受けた者はその結審は巡回裁判所である、控訴裁判所まで行くことは出来ないと云うことになっておりますのでいずれも二審制度に変りはないのであります。私の方では当地の事情から考えましてこの治安裁判を設定することの可否について研究しているのでありますが経費の関係もありますし更に費用の関係もあって尚人の死命を決する人を選ぶのにそう簡単に人が得られないと云う大きな考が一つ、更に人権尊重の点から見まして四十八時間以内で判事の指図がなければいけないとかその他いろいろの点が考えられますし、それと云って地方の警察署長にこの権限を委ねることはまた大いに研究する余地が残されているから決しかねているのであります。これを全琉球的に考えますならば沖縄軍政府の法務部長でデヴィス氏の□□□では近く全琉球の裁判を統一したいと云う考えを持っているようであります。私も大体同じ考を持っているのであります。何故なら人事の交流をやることが非常に勉強にもなりまた裁判の公正を期する上から必要でないかと考えております。大体以上でまことに簡単でありましたが司法部の現在の内容であります。更に裁判所のこと若しくは検察庁のことにつきまして御質問等があればこれは裁判所長若しくは検察庁にお答えせしめたいと思います。最後に私の希望と致しましては本議会が近い将来議決権を持ついはゆる議決機関と云う処の議会になることを希望しその努力が欲しいと同じように私共の司法部の中にある裁判所も独立したいはゆる独立官庁として三権分立の一つの裁判所として育て上げる、大体こう云う希望がありそう云う努力を続けて行きたいと考えております。まことに簡単でありましたが以上を以ちまして司法部の現況と希望を申上げておきます。
  (午後三時二十分終了)
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