戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年10月25日 
(昭和21年)
会議名
定例部長会議 1946年10月25日 目録詳細 画像を見る
議事録
定例部長会議〔物価・民政府移転後処理・博物館〕

  十月二十五日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、當山、糸数、玉城、比嘉永、比嘉秀、當銘、松岡、又吉、安谷屋、仲村、山城、平田、護得久、前門の各部長。
  欠 席 大宜見部長。
協議事項
 志喜屋知事
  本日は沖縄生産物価の件と東恩納民政府跡の建物措置の件につき謀りたいと思ふ。
  建物は委員を設けて審議したいと思ふが。
 比嘉永部長
  建物の措置については委員会後部長会にかけて貰いたい。
 又吉部長
  部長会に提出するぐらいなら委員会を設置する必要はないと思ふ。
 糸数部長
  甘藷の値段は現在の臨時措置法の値段で社会慣習上からも実施やりたい。係将校とも可然相談して居る。
  米の値段は米国産米との差額は如何にするか民政府から補助をするか。
  水産物も薪炭も共にしたいと思ひますが。
 志喜屋知事
  甘藷は現在通り(臨時措置値、卸一斤三十銭、小売一斤三十三銭)決定して水産物、薪炭は次会に廻しますか。
 比嘉永部長
  臨時措置の藷供出の督励は三週間で60%しか挙って居ないが残週を以て軍政府の意志に副ふ様努力して居る。
  現在行はれて居る物価と睨み合せて物価を決定したい。
  公定値を決定しても行はなければ弊害を伴ふのみである。
  賃銀の公定が実行されて居るや否やが疑問である。
  三十三銭の値段では徹底的に行はるべき値ではないと思ふ。
 ◎工業品には利潤があるが甘藷には利潤はない。故に一割の利潤は認むべきと思ふ。米も一割の利潤を認めた方が適当と思ふ。水産物も一緒に決定したい。
  鍬の生産に支障を来して何時十四万個を作り得るや否や絶望の状態に陥って居る。
  建築材のたるきを薪にして居るとのこともある。
  故に薪炭の値段も早く取締りの出来得る価額に決定したい。
 前門部長
  藷の三十三銭は決定ではないか。
 志喜屋知事
  暫定措置として六週間実施して居る。
 前門部長
  其件につきては商務部から告示すべきである。
 護得久部長
  部長会で知事から報告があったから今更質問の必要はない。
 前門部長
  成文を以て指達することを願ひたい。
 志喜屋知事
  承知しました。
 安谷屋部長
  物価が騰るなら労銀も上ぐべきである。
 比嘉永部長
  此の物価は現在の労銀によって作ったのである。
 志喜屋知事
 ◎甘藷の値段は農務部案の三十三銭と決定し、米及魚は次会に決定しませう。
  沖縄では甘藷の値段を根底として諸物価を決定したら如何?
 護得久部長
  現物価は労銀三円の時の米、甘藷の値段になって居るが労銀は四円八十銭になって居て、米価は元の儘である。故に米価が騰ったと云って労銀を上げる必要はないと思ふ。
 志喜屋知事
  若し労銀が上ぐべきなら上げてよい。
 比嘉永部長
  甘藷は三十六銭にしたい。
 志喜屋知事
  三十三銭に決定して置きませう。
 志喜屋知事
  東恩納の建物は如何するか。
  委員会を設けて考へて見て部長会に提出するや否や。
 松岡部長
  委員で案を作って再検討をしたい。
  幕舎と此の会議室を知念に移転したい。
 志喜屋知事
  各部長の意見を松岡部長に提出されたい。
  嘉手納の工作隊(沖縄人)が一、二週間程宿舎として貸して貰いたいとのことであるが、ラブリー少佐と交渉したら知事と交渉する様にとのことであったと。
  本日軍政府に御話します。
 島袋官房長
  東恩納の建物の件につきては松岡部長へ御提出下さい。
 松岡部長
  陸運課は来年二月迄東恩納に居るのが仕事は運ぶとのことである。
  建築課は一、二ケ月後那覇に移動するから東恩納に留ることにする。
 比嘉永部長
  農務の工務課は当分東恩納に留りたい。
 山城部長
  北部方面の学校監督関係から東恩納に留りたい。
 護得久部長
  十一月一日から民政府部内で私金、公金を取扱ふ(於銀行支店)。
 當山部長
  博物館は東恩納に留りたい。
  首里の博物館も経営することになって居る。
 平田部長
  通信部も一部は石川に留りたい。
 大宜見部長
  民政府内に図書室を設置したい。
 志喜屋知事
  与那原、首里付近に住宅を構へたいと云ふ部長も居るが、約二十分程の所であると質ねたら、軍政府曰く「それはいけない」と云はれて居た。
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