戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年03月08日 
(昭和21年)
会議名
諮詢会協議会 1946年3月8日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔自治制論・軍民協議〕

  三月八日(金)午后一時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、仲村、比嘉、前門、大宜見、護得久、平田、糸数、安谷屋、仲宗根、山城、當山の諸委員。
  病欠  知花委員。
協議事項
 又吉委員
  何故に選挙せずして任命するかの理由として、混乱の現在であるからである。今其理由を朗読します。
   行政上の暫定的措置。
    行政上の現状批判。
   一、沖縄人の間には新社会建設の意欲らしいものありと認められるが第一人間らしい社会の秩序が出来て居ないので、それを組織化し、系統化するには尚相当の日時を要す。
   二、行政上の指導原理としての民主々義精神を一般人民が決定的に把握して居ないため所謂専門政治屋の策謀により民主々義が変質して少数策謀家の餌になる惧れがある。
   三、民主々義によって人民の活力を促進し、生産を高める事は最も肝腎である。若し民主々義による自治制を施行するならば其混乱と無規律を自律すべき組織―政党がなければならぬ。
   四、自然発生的の生活意欲が政党にまで昂揚され、而して沖縄人に適する政治目標(政 策)を意識化させるためには言論の自由(現在其の自由なし)が必要であり、言論の自由によって政党の取捨選択をさせねばならぬ。
   五、前項(四)なくして自治制を急がんか、官僚的自治制―天下り式自治制が施行され、そして其れは戦争前の日本行政の再生産に過ぎない事火を見るより瞭である。
   六、今日の情勢下に於ては「自治制」とは無規律の民衆に対ひ「自分自身」を「自分自身」で政治する事だと「無責任な政治家」をして放言せしめ民衆を煽動する結果、社会をして益々混乱に陥入らす事になる。
   七、これは東洋流の考へ方かも知れぬが―此の過渡期に於ては政治家は民主々義の潮流と人民の要求―衣食住に対する極めて原始的な欲望との間に挾まる―緩衝地帯に立ちて苦しむだけの良心的度胸がなければならぬ。
  以上自治制の尚早理由を述べた。
 比嘉委員
  刷物にして配布して貰いたい。
 又吉委員
  刷物にします。
  ワッキンス少佐の話した事を報告します。
  新部長を三人推薦して軍政府に提出せよ。
  外部からの部長(諮詢委員外)を諮詢会委員になれるや否やにつき、今回選ばれる人は当然諮詢会員になれるとの事である。
  将来知事が選挙される時、知事は諮詢委員を置く事が出来る。之は知事の任命でよい。
  中央機関構想に対するワッキンス氏からの注意事項があったから後程に報告します。
  輸送部も独立したい。
 比嘉委員
  以前ワッキンス少佐の話によると軍政府が命ずるか諮詢会で推薦するかであったが如何なるか。
 又吉委員
  去る月曜日に委員会で決めた様に諮詢会で推薦する事になった。
 比嘉秀平通訳官
  三人の推薦は第一、第二、第三と順序を付けよとの事であった。
 又吉委員
  部長が居て其の下に実権を握る者が居れば其人(部長下に在る人)は諮詢委員になれない。
  日本では郵便と運輸とを監督して居たが然るべく出来ないかと訊ねたら軍政府は出来ない、独立せよと云って居た。
 比嘉委員
  諮詢で自治園を有つべく許可になった。約一万坪、家族数に配当します。
 志喜屋委員長
  ワッキンス少佐も他日帰国される事と思ひ記念品として絵を大城皓也氏にお願ひして置きました。
  農務部の将来農業に対する論文は如何にかして立派な印刷にして貰いたい。
 比嘉委員
  グラフにして差上げます。
 仲村委員
  数日前の事であるが山田真山氏は糸満に住宅を以て居たが、目下畑に建築中であるが柱を切倒し床下に愛民の主旨、犯人は十二三人市の工務課員も交って居た。市に対する反感の様子である。
  何かコンミッションがあるとの事である。

  (午后二時)
  軍政府 ワッキンス少佐。
諮詢事項
 軍政府
  カンセットの鍵はない。注文してあるが可能か不可能か分らない。
  那覇住民の移動先については計画もない、考へても居ない。
  諮詢会から何処に移動すると云ふ事を提出して貰いたい。
  那覇人の二つの特点、
  一、商人であった事。
  二、労務向の所及農業には不適であるから、移動先を考慮する事。
  米、及衣類の件であるが、米袋は防水用である、衣類の箱も防水になって居るから心配は要しない。
  メリケン粉の如きものは倉庫に入れてある。
  宮古から一昨日金剛丸が出て居るが勝連港に来たら宮古行の郵便物はその便で送る様にして貰いたい。
  スタンプは貼る必要はない。宮古からのものは張ってある。
 前門委員
  下地弁護士からの通知によると宮古も沖縄本島と共に軍政府下に在るや否や。
  若し然くなければ本島と同様に取扱って貰いたいと。
 軍政府
  先島も軍政府下に在る。
  金剛丸は沖縄本島宮古間の交通船にする。
 仲村委員
  先島の事情を視察したいと思ふが如何なるものでせうか。
 軍政府
  時期早尚である。
  中央政府からの指示も沖縄本島のみであったが二ヶ月前両先島も軍政府下に置かれて間もない。
  大島及先島は軍政府の機構が確立して居ないから近々派遣する事にする。
  先島は軍政府の機構が完備して居ない。
  先島の機構が完備しない中は視察に行く事は出来ない。
  当分軍政府としては本島の軍政府と先島の軍政府とは別個にしたいと思ふ。
  (人民の執行機関は別になるのであらう)
  例、四つの行政機関(大島、沖縄本島、宮古、八重山)が出来ても其連絡は軍政府のみの連絡である。
 前門委員
  先島は或は支那に帰属しはすまいかと思って心配して居ますが。
 軍政府
  其んな事はない。
 前門委員
  宮古の住民で諮詢会に必要な人物と思った時は呼寄せる事が出来ますか。
 軍政府
  正確な回答は出来ないが恐らく出来ないだらう。
  先島は先島に又斯る人物が必要であるから。
  三つの独立した官庁を置く故は、大島は鹿児島に向ってゐる。
  先島は沖縄に向ってゐる。
  先島が沖縄に包含されると却而困乱を来す。
  三つを統一する沖縄政府を置くや否やは難問題である。
  琉球政府の難問題の理由は、大島は元鹿児島県であったから。
  県民性として元は沖縄人であったが、而し今日まで日本人である。其故に現在大島住民は日本人であると考へて居る。
 仲宗根委員
  大島は寧ろ鹿児島よりも沖縄に親しんで居る。鹿児島からは却而継子扱ひにされて居る。
 軍政府
  軍政府の見方とは開きがある。軍政府の調査によると、大島は日本人である、日本に関係したいとの事である。
 又吉委員
  以前は沖縄に親しんで居たが現今は却而沖縄を目下(メシタ)に見て一緒にすると行政し難い。沖縄、大島、及先島を別々にしてやった方が行政し易い。
 軍政府
  大島と沖縄が親しんで居た時はよいが年代も経って居るから然くは行かない。
 又吉委員
  勿論昇氏(大島出身)等の様な人は「吾々琉球人は」と講演した人もあるが而し一般は然うではない。
 軍政府
  特別の例はあるが軍政府としては一般民衆に従はなければならない。
  将来は融合して来るかも知れんが現在は別々にする方がよい。
 軍政府
  護得久委員の首里へのテントは如何なったか。
 護得久委員
  半分は運んだが残りを運ぶ車ローボーイを二、三回お願ひします。
 軍政府
  諮詢会の本部行の車が金武通過の時各人パスなきため戻されたのは何人か。
 前門委員
  昨日水谷裁判所が来て話した事を報告します。
  検事正は日本に既に帰へり、其外の判検事も帰へったが、来る十五日頃便がある様だが、帰へりたいから其手続を軍政府に御教示して貰いたいと。
 軍政府
  調査して見ます。
 又吉委員
  庭師金城氏を呼寄せる証明を戴きたい。
 仲宗根
  伊平屋、村長及助役が来て陳情をした。
  米軍は六月上陸、十一月に引揚げた、殆んど半数は戦争のため破壊された。死亡五十三人、現人口三、五八六人、農耕不自由で食糧困難である。
  飛行場等のため二十五町歩も減じた。
  食糧を補充して貰いたい。
  被服も焼失されて困って居る。之も補充をお願ひします。
  家屋や、夜具も然りである。
  日用品の針、マッチ、糸等も然りである。
  私の方に各地から針、糸の請求があるから補給して貰いたい。
 山城委員
  先日測候所の職員の調査があったが四人来て再建を希望して居る。
  積極的にお願ひしたいとの事である。
 軍政府
  ムーリー大佐の運転手は。
 松岡委員
  石原氏の事を話す(宜野座市)。
 軍政府
  諮詢会委員及職員の住宅の推捗は。
 松岡委員
  設計しつゝある。
  労務は石川市から得る。
  諮詢委員の昼食の件を願ふ。
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