戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年02月15日 
(昭和21年)
会議名
軍民協議会 1946年2月15日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔刑務所・土地調査・村長任命〕

  二月十五日(金)午后一時半。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、前門、山城、仲宗根、平田、仲村、比嘉、糸数、當山、護得久、大宜見、安谷屋の諸委員。
  病欠 知花委員。
協議事項
 前門委員
  司法機構及刑務所機構につきダイヤグラムを以て説明す。
  軍政府 ワッキンス少佐。
  (午后二時)
諮詢及び協議事項
 軍政府
  月、金の両日は午后一時から博物館参観人を入れない様に。
 松岡委員
  司法及刑務所の行政機構を説明す(軍政府に)。
 軍政府
  犯人は何人程度か。
 仲村委員
  軽罪が五、六百人程、重罪犯が五十人程度。
 軍政府
  刑務所は暫定的のものか。
 仲村委員
  然り。
 軍政府
  私(ワッキンス少佐)の判断では当分の間は簡単で、設備の充分なるものは不可能だらう。建築資材は極度に欠乏して居る。三百人の犯人を挙ぐるのは何時頃だらう。
 仲村委員
  当分は百人程度のものでよい。然るに隊長は三百人のものを計画せよとの命である。戦前は三百人乃至五百人程入獄して居た。現在はそんなに居ませぬ。
  宮崎刑務所に送った。
 軍政府
  仲村委員の記憶では犯人は殆んど沖縄人であったか、又は日本人も居たか。
 仲村委員
  日本人は約一割程であった。
  多くは選挙違反者であった。
 軍政府
  土地認定法につきて意見がありますか。
 又吉委員
  之(軍政府案)で結構ですが、中央認定委員を付加したらよいと思ひますが。沖縄の土地整理(明治三十二三年頃)の時は国家的大事業であった。
 軍政府
  各字に委員を置くとして幾何の時日を要するか。
 又吉委員
  一、二ケ年に済むかも知れないが、事務的処理として其道の人を採用したい。
 軍政府
  私(ワッキンス少佐)の見解として、土地の潰れて居ない所は簡単に片付けられると思ふが。
 又吉委員
  然り斯る土地は簡単に片付けられる。
 軍政府
  土地調査を早くやらなければならない理由は、記憶に残って居る時に処理しなければ困る。各字で早く記録を集め、中央から行って取調べの出来る様にさせて置く。
 又吉委員
  首里、那覇の鳥瞰図を世話して貰いたい。
 比嘉委員
  今日迄での係争の土地は此際解決して貰いたい。
  土地整理の時、何某外何名と云ふ名義のある土地があるから斯る土地も此際解決して貰いたい。
 軍政府
  証人が不法的に虚偽を云って来た時、処罰するや否や。
 仲村委員
  当然処罰します。
  刑法が出来て居るから其れに当嵌める。
 軍政府
  諮詢会の人員は承認した。(承認書を松岡委員に渡す。津嘉山書記保管す)
  配給機構は如何なったか。
 仲宗根委員
  回答す。
 軍政府
  人口調査は如何なったか。
 又吉委員
  地方総務を集め協議して序々にやります。
 軍政府
  村長を任命された所は。
 又吉委員
  大抵地方隊長により任命され居ます。
  未任命の村は、読谷山、北谷、宜野湾、浦添、中城、越来、美里、勝連、与那城、具志川、那覇等であります。
 軍政府
  村長の居ない所は如何なる理由か。
 又吉委員
  移動等の未完成の村である。
 軍政府
  村長の居る所は村長の責任だが、居ない所は誰が責任を持つか。
 又吉委員
  市長が責任を持ちます。
  例・読谷山、北谷、宜野湾、越来等はコザの総務仲地氏が責任を持つことになる。
 軍政府
  村長は地区隊長が任命するか。
 又吉委員
  選挙により又は直接地区隊長が任命して居る。
 軍政府
  諮詢会の方では何時頃選挙したらよいと思ふか。
 仲宗根委員
  移動が済んでからよいと思ふ。
 又吉委員
  中間機構の間は任命がよいと思ふ。而して上陸前の村長に復したい。
 軍政府
  現在前村長は何%就任して居るか。
 松岡委員
  前村長の就任者は高嶺村の金城幸吉氏、兼城村の金城長栄氏、豊見城村の瀬長清氏、糸満の玉城瑩氏等である。
 軍政府
  一、上陸前の村と、一は現村長を提出して貰いたい。
  現村長を上陸前の村長に切り替へる事は困難ではないか。
  上陸前の市町村長が米政府から見て適任でない人が居る。
  例首里市長の如きである。
  首里市長は陳情書を提出したりして居る。此の内容が不可である。
  時期を選ばないと面白くない。
  二週間前軍政府の将校が慶良間を調査して来たが複雑な問題がある。
  食糧は良状態にある。
  陳情者によると食糧配給は悪いと云って居るが、事実とは相違がある。
  慶良間に居る伊江島住民の食糧は悪いと云って居るが其責任は慶良間の責任を持つ者が持つ。
  一方からは食糧は良く、伊江島住民からは悪いと云って居るが複雑な問題である。
  慶良間に集積せる缶詰は三月迄では充分ある。
  陳情者によると不足であると云って居る。
  伊江島住民(慶良間在住)に食を与へるには如何にすればよいか。
 當山委員
  大浦崎から久志に移動させられた住民も食糧は悪い。十六年以下と六十年以上の者で働手は居ず約三、五〇〇人程である。
  渡嘉敷に移された伊江島住民も困って居る。
  久志は元五〇〇人居た所に三千人余りも移されたから益々生活に苦んで居る。
 軍政府
  伊江島の総人口は。
 又吉委員
  五、一〇〇人程で元は七、二〇〇人程居ました。
 志喜屋委員長
  伊江島に移動が出来なければ本部、今帰仁に移動させて貰いたい。
 軍政府
  可能は薄い。
 志喜屋委員長
  一月分の食糧を節約して二月迄は持ちこたへるが三月からは困るから早く慶良間から移動させて貰い。
 軍政府
  慶良間の村長宮里氏を知って居るや否や。
 仲村委員
  一、二回会ったがよく分らない。
 軍政府
  第一、慶良間の問題を解決するには伊江島の住民を伊江島に帰へすのがよいが当分出来ない。
  第二、次の方法は外の適当な地に移動させればよいが而し二段構へに移す事は上層部の方で承知しない様である。
    軍政府で認めても米国中央政府では二重の移動になるから認める可能はない。
 松岡委員
  真和志村は摩文仁に移動しましたが。
 軍政府
  国頭方面は人口稠密であったから移動させた。又軍労務者を得るためである。
  那覇は現在の所見通しは出来ない(移動の件)。
  伊江島は将来住民地区になるのは確実であるが時期の問題である。
  那覇には永久に移動の出来ない事は確実である。
  本部、今帰仁には軍労務もないから伊江島の住民を移動させる事は出来ないだらう。
  第三は慶良間に与へられた食糧を如何に公平に配給するかゞ問題である。
  慶良間から来た三人の陳情員に如何なる回答をしたらよいか。
  食糧問題と関連して政治問題があるのではないか。
  離島から米軍が引上げたのは自治で出来るからと云ふ事で引上げたが如何にするか。
 仲宗根委員
  伊江島住民からも委員を出してやれば出来ると思ふ。
 軍政府
  慶良間列島は沖縄人であるから軍政府から命令するのは出来ないのである。
 仲宗根委員
  中心たる者を失って居るので出来ないから其中心となるべき者があって欲しい。
  諮詢会が中立になれば出来る。
 軍政府
  軍政府がなくなると如何なるか。
 仲宗根委員
  自治で出来る。
 志喜屋委員長
  慶良間在住の伊江島代表及渡嘉敷の代表を呼んで事情を聴取したら如何。
 軍政府
  如何にして呼寄せるか。
 平田委員
  南方面の線路を二線に分けたいが車一台は増して貰いたい。
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