- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1945年11月29日
(昭和20年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1945年11月29日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔沖縄戦〕
十一月二十九日(木)午前九時。
出席 志喜屋、又吉、仲村、仲宗根、平田、前門、比嘉、知花、安谷屋、糸数、當山、諸委員。
公用他出 護得久、大宜見、山城、松岡の諸委員、當間重民氏、野村毎日沖縄支局長の両氏。
又吉委員
白石マネージャーを紹介す。
志喜屋委員長
當間、野村両氏を紹介す。
當間氏
近頃出て来てはっきり様子が分らない。
野村氏
私も様子がはっきり分らない。
志喜屋委員長
日本軍から沖縄人の努力が足りなかった点や其外に誤解された点もあるから軍も県民も誤解したのは一部分であった。
二人共上京されたら極一部分の人々の誤解で認識不足であったことを話し互に誹り合ふ事はよくないとのことを話されて欲しい。
又吉委員
端的に申すと目の当りに見た日本軍の堕落した行為を参考にザックバランに話したらと思ひます。
前門委員
戦時体制に入ってから沖縄人の軍との協力振りを説き、県民がスパイ疑をされたのは軍の尻かくしをするための宣伝であると思はれ、一面其半面に於ては立派な軍人も居たことを話す。
仲宗根委員
スパイと言はれたのは県民の恥辱であるからよく調査して貰いたい。
名護、羽地方面に於て日本軍の行動を話す(日本軍としての行動ならざりし事)。
比嘉秀平氏
第三中学校の生徒を引率し決意を示して軍と協力せしこと及日本軍の当時の態度の相応はしからざりし事を話す。
當山委員
恩納岳に於ける軍民協力振、及敗残兵の横暴振を話す。
當間氏
朝鮮から帰へって来た人々と十八日座談会をやったが朝鮮でも沖縄は評判が悪いとの事であった。
上京したらよく事情を話す。
野村氏
戦争は既に負けるに決ってゐた。
海軍は戦へない事を主張し昨年の一月廿七日には高松宮様が首相て陸海軍大臣の外は文官にまで決ってゐた。
帰へったら戦争の様相を発表したい。日本と沖縄とは親子兄弟の関係だから其事にこだわらない様にして貰いたい。
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