戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年11月24日 
(昭和20年)
会議名
諮詢会協議会 1945年11月24日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔教育・文化〕

  十一月二十四日(土)午前九時。
  出席  志喜屋、又吉、前門、平田、糸数、仲宗根、大宜見、山城、知花、安谷屋、比嘉、當山、護得久、松岡、仲村の全委員。
協議事項
 山城委員
  中等学校の最終学年を如何にして教育するか。
  農学校は名護の試験場を中心としてやって行く案がある。其外の中等学校の生徒を如何するか。
  各地区のハイスクールでやってゐるが之を如何にするか。
 當山委員
  各市にハイスクールがある様だが従来の通り教師が得らるるや否や。
 山城委員
  文教部が手を入れなければ低調に終る恐れがある。
 仲宗根委員
  ハイスクールの生徒数及教師数は。
 山城委員
  生徒一〇〇〇人程、教師一〇〇人程。
 仲宗根委員
  教師の質は。
 山城委員
  従来より劣って居る。
 仲宗根委員
  二年までは普通の教師に三年以上の専門科は水産や工業方面の実際家を教師としたら如何。
 松岡委員
  米国のハイスクールの学校組織を説く。
 志喜屋委員長
  二年までは地方で教育し三年から農、工、水の部に属して教育させたら如何?
 比嘉委員
  農事試験場と農学校とを一体として教育したい。
 松岡委員
  工業養成所は差当り此の一年は実際に機械を動かす人材を作る。
 糸数委員
  実際家を養成したい。
 當山委員
  校長も実践躬行の人を置きたい。
 山城委員
  商工学校は如何にするか。
 大宜見委員
  暫く停止して置いたら如何。
 山城委員
  中学校の生徒はどうするか。
  在学生を救ふ方法。
  農林学校は名護の農学校中心に。
  水産、工業は工務部に。
  中学校は三、四年を以て各地区で実際家常識ある人を作る方針でハイスクールで救ひたい。
  具体案は軍政府と相談の上決定す。
  尚運動も盛にしたい。
 當山委員
  文化中央部員に伊豆味正重、仲嶺両氏を除き、島袋全発、仲里朝章両氏を加へたい。
 仲宗根委員
  文化部について委員会でも話あったら如何?
 志喜屋委員長
  女の過剰につき如何に処理するかゞ大きな問題である。
 山城委員
  米国を知るために米国研究会を催したら如何。
 志喜屋委員長
  米国人を呼んで色々質問したら如何。
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