戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年11月21日 
(昭和20年)
会議名
軍民協議会 1945年11月21日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔移動・首都・捕虜等〕

  十一月二十一日(水)午前九時。
  出席  志喜屋、松岡、又吉、仲宗根、前門、糸数、仲村、平田、山城、知花、安谷屋の諸委員。
  公用他出 比嘉、護得久、大宜見の諸委員。
  軍政府 コールドエル大尉。
 軍政府
  十一月十五日調べのホテル宿泊人は一二一名であると人名簿を出す。
  人員多きためホテルは狭い。
  本日ストリート少佐の来るまでに諮詢会公用の人々には印を付け印のなき者は出す様に。
  四時迄でに出さなければ諮詢会はホテルを持つ事が出来ないかも知れない。
  宿泊して居る人々に対し如何なる用件で如何なる仕事をして居るかを調べて下さい。
  来る金曜から諮詢会の証明を持たざる者は宿泊出来ない。
 志喜屋委員長
  ホテルには住宅のない諮詢会の書記や、屋嘉の収容所から来た人々も居る。
 軍政府
  憲兵は今迄で陸軍であったが、これから海軍の陸戦隊と交替する。
  一昨日視察した伊波は憲兵司令部になるから諮詢会の移転は出来ない。
  東恩納の元軍政府の跡に諮詢会を移転したいと思ふ。
 志喜屋委員長
  どうぞよろしく。
 軍政府
  未だ許可を得て居ない。
  (コールドエル大尉退席)
ホテルの処置に対する協議。
 志喜屋委員長
  書記の方々をカンパンにお願ひしましたら(当日朝食を取りし書記五十一名)。
 仲村委員
  御飯はホテルで食べたらどうでせうか。
  ホテルの主人宮里氏の来席を求む。
 志喜屋委員長より宮里氏に、
  軍政府よりの命により今日の御昼の時諮詢呼出しの人の外は夕食より取る事は出来ない事を伝へて下さい。
  仲村様の云はれた通りバークマン隊長に御願ひして其通り出来ればよいが、出来なければカンパンに御願ひしましたら。
 山城委員
  師範学校設立につき別紙刷物の通り説明す。
 又吉委員
  比嘉至栄氏を紹介す。
  (午后二時半再会)
  公用他出 安谷屋、護得久両委員。
  ストリート少佐臨席。
 松岡委員
  志喜屋委員長と私と二人で責任を以てやり諮詢会書記は外へ移してやりますから。
 ストリート少佐(通訳松岡委員)
  ホテルを多く持ったら。
 又吉委員
  ツルーマン大統領の使者は帰へりましたか。
 軍政府
  帰へった。
 志喜屋委員長
  朝鮮に居た沖縄住民が帰へって来て島民は喜んで居るが日本に居る住民も帰へして貰ひたい。
 軍政府
  日本に居る沖縄人の事は軍政府の力では出来ない。
  之は陸軍関係だから其促進はどうすることも出来ない。
  マリアナ諸島から帰へるという話はあるが其れも事実であるか否やははっきりしない。私は明日グァム方面の視察に行く。
 仲村委員
  日本の捕虜が帰へる時沖縄人も便乗して疎開して居る沖縄住民の安否を視察することは出来ないか。
 軍政府
  捕虜の交換は国際上の関係であるから軍政府では六ヶ敷い。
 志喜屋委員長
  通信は出来ませぬか(日本に居る沖縄人疎開者と)。
 軍政府
  国務省の関係だから軍政府でははっきりと出来ない。
 志喜屋委員長
  日本人で捕虜と共に帰へりたいと云ふ者は帰へり得ないか。
 軍政府
  軍政府では出来ない。
  (コールドエル大尉臨席)
 志喜屋委員長
  ホテルの宿泊につき説明す。
  来る金曜日まで書記の宿泊も処置す。
 軍政府
  よろしい。
 軍政府
  漁業船の設計はどうなってゐるか。
 糸数委員
  まだやってゐません。
 軍政府
  移動はどうなってゐるか。
  沖縄再建の計画を投げたが、之はどうなってゐるか(首都問題)。
 志喜屋委員長
  未だ充分なる研究をやってゐませぬ。
 軍政府
  読谷山から那覇迄は将来使用出来ないから其所は考慮に入れない様に。
 軍政府
  金武村の銀原から石川までの工作隊は二週間以内に引上げるから移動が出来る。
 又吉委員
  那覇の移動は。
 軍政府
  那覇は駄目である。
 又吉委員
  名護・恩納間の道は作るや否や。
 軍政府
  道は当分其ままである。
  沖縄人によって各地区に作らす。
  宜野湾は住民の移動は出来ないが農耕は出来る。
  仲泊から南部小禄国民学校付近までの分水嶺を境界とする西海岸一帯は移住出来ない。
 軍政府
  港湾計画はどうであったか。
 松岡委員
  名護、与那原が港湾計画になってゐた。
 仲村委員
  読谷山、北谷、浦添方面の移動はどうなるか。
 軍政府
  第二次計画でなければ分らない。
 志喜屋委員長
  面積に応じて三六万の人口は多いが将来はどうなるか。
 軍政府
  現在のことであって永久のことでないから、産業を興すことも出来るし、それは後の問題である。
 比嘉委員
  鉄道や馬車もなくなって交通上不便になったから自動車を残して貰いたい。
 軍政村
  全部残すことに努力するが住民に使用方法を徐々に教へて行く事にする。
 平田委員
  電信はどうするか。
 軍政府
  無線でやりたい。
 志喜委員長
  通貨は来春からか、来年からか(大統領使者の来た時ムーレー大佐の話をたしかめるため)。
 軍政府
  政治家の話だからどうなるか分らない。吾々の努力によるもので何時からと云ふ事はできない。
  金融機関や物価等が整備した後の問題である。
  何時からと云ふことは出来ない。
  水産業等も確立した後に。
  冷凍庫が四ヶ所に出来る事になって居る。
  諮詢委員に与へられた事に対し働き過ぎると色々のことを阻害する場合が多いから、注意万端で権限外に出たことをしない様に希望す。
 志喜屋委員長
  色々注意をしてやりますから。
 軍政府
  委員は軍のやった仕事に協力して感謝してゐるが而し走り過ぎて困ることもあるから今後斯る人が居ると委員を辞めて貰ふことにするかも知れない。
  瀬良垣氏(中央倉庫勤務)の事だが誰の許を得て辞めたか、之はバークマン隊長のことだが勝手に辞めたりして居るが。
  人事のことは軍政部に話して(ストリート少佐、コールドエル大尉)而してバークマン隊長(石川市隊長)にも折よくなる分だから。
 仲宗根委員
  斯ることがあるとは思はなかった。今後注意します。
 軍政府
  今後斯る問題は軍政本部に諮ってからやる様にと。
 軍政府
  コンクリート管を作ることになってゐるがどうなって居るか(安谷屋委員へ)。
  (安谷屋委員欠席)
  明二十二日(木)は米国では感謝祭(豊年祭)の日になって居る。
 仲宗根委員
  中央倉庫の組織及人事について計画案を説明し委員にすまなかったことを述ぶ。
 松岡委員
  労務関係につき説明をなし石川市の労務関係はバークマン隊長の責任なることを説く。
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