- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1945年11月19日
(昭和20年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1945年11月19日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔諮詢会事務所・視察報告〕
十一月十九日(月)午前九時。
出席 志喜屋、又吉、前門、平田、仲宗根、知花、大宜見、當山、安谷屋、松岡、護得久、糸数、比嘉、仲村の諸委員。
公用他出 山城。
軍政府 コールドエル大尉。
協議事項
軍政府
諮詢会の住宅と事務所について三ヶ所を挙げる。
1、石川市。
2、伊波。
3、天願付近。
美点・欠点を挙げて審議したい。
1、石川市に住宅を構へ、事務所は道路より海岸側にする。
若し欠点や不便があったら云ってくれ。
仲宗根委員
欠点は諮詢会は石川市から目の上の瘤みたやうに考へられてゐるが配給等も判然としてくれゝばよい。
護得久委員
私の方から云ふと事務所を作るにも二三日で仕上げる事の出来る仕事でも石川の援助等なきため一週間程もかゝる。
大宜見委員
市の幹部連中が積極的に邪魔するものもある。
松岡委員
一日研究して明日再協議するや否や。
志喜屋委員長
軍の三案を伺ったら如何?
軍政府
三つあるが其中二ケ所を見て後に協議するや否や。
委員
見て後に。
軍政府
現場二つを見た後に協議しませう。
委員
皆で視察に行った方がよい。
軍政府
五名しか行けない。
二点を研究す。
1、事務所に適するや否や。
2、住宅に適するや否や。
以上の二点を研究して貰いたい。
車は今の三台と、ヂープ、自転車を直轄す。
(視察員任命。志喜屋、松岡、護得久、仲宗根、又吉の諸委員。約一時間の予定を以て視察す。残りの委員は海岸側視察〔石川市〕。十時半頃帰所。)
視察報告
志喜屋委員長
伊波の方は設備至れり尽せりだが家族引越までは困難と思ふ。
委員と書記長ぐらいは行けると思ひますが。
松岡委員
家が二十四あって中八つは将校用で残りは兵の家である。
糸数委員
移転すべく即決したら如何。
安谷屋委員
引越か通勤か。
松岡委員
委員は住込又は通勤自由にしませう。
軍政府
後の設備は後に考へてよいから場所としてよい所なら然く話して見る。
自動車、自転車を与へるから修理一切は諮詢会でやるように。
公務上のみの使用であって私的に使用すると取上げる事に約束したい。
仲村保安部長にお願ひして守衛を置いて貰いたい。
松岡委員
カールドエル氏が之れから貰い受けに行く。
移転は一週間以内に可能と云ってゐた。
糸数委員
若し移転の時は石川隊長等にも挨拶をして貰いたい。
(午后二時再会)
出席 志喜屋、又吉、松岡、前門、仲村、平田、仲宗根、知花、當山、比嘉。
公用他出 山城、糸数、安谷屋、大宜見。
協議事項
志喜屋委員長
毎月曜日には各部の連絡を取るため定期協議会を開いたら如何でせうか。
全委員
異議なし。
仲宗根委員
各部前週にあった事柄を報告するようにしませう。
仲宗根委員
各市の衣服、食糧の配給機構がまちまちであるが知念市では市長が計画案を立てゝ地区隊長の許可を得てやってゐる。此の案を諮詢会の案として来る水曜日のストリート少佐との協議会に諮りたいと思ひますが、如何ですか。
志喜屋委員長
文案を以て軍政府に請願したら如何でせうか。
仲宗根委員
被服、食糧等の研究について来る木曜日に研究会を開きたいと思ふ。
志喜屋委員長
他地区から石川市に出てくる人々は車や宿泊の都合もあるから一応ホテルに問合せの上出て来るやうにと松岡幹事長から各市長宛に書面を出したら如何。
志喜屋委員長
将来の首都問題につきお話合されたら如何ですか。
松岡委員
首都になる時港湾等の工事は如何になるか例へば名護にしたら港湾の工事は。金武湾にしたら其の工事はと私に暗示を投げて行った人が居る。
(仲宗根、松岡両委員公用退席)
又吉委員
那覇は政治が中心になって人が集まったのでなく、其の由来する所があって一つの市街をなしたのである。港湾、潮の干満、日本及支那等との交通上の関係から那覇も捨て置くべき所ではない。
軍政府では郡役所を置かない方針の様である。
仲村委員
権限を広く与へるなら郡役所を置いた方がよいと思ふ。
(當山、比嘉両委員も仲村委員説に賛成)
又吉委員
権限を広く与へたら郡役所を置いた方がよいと云ふことを参考迄で話して置かう。
大宜見委員
病院の設立計画につき説明す。
コザに本院、宜野座、田井等に支院を置き尚名護に結核病院を設く。
田井等病院は名護に移転し度きも軍政府の承諾困難なる事を述べる。
仲村委員
警察学校は十二月五日より開校の予定。
校長に石原昌直氏任命。
教官は来る廿六日家族同伴石川市に引越す事になってゐるとの報告あり。
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