戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年11月14日 
(昭和20年)
会議名
軍民協議会 1945年11月14日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔食糧問題・移動問題・他〕
 十一月十四日(水)午前十時。
  出席  志喜屋、又吉、仲宗根、平田、安谷屋、當山、大宜見、前門、知花、糸数、仲村、護得久の諸委員。
  公用他出 山城、比嘉両委員。
  軍政府 ストリート少佐、ハセ中尉。
協議事項
 志喜屋委員長
  バークマン石川隊長がホテルの人名簿を持って来て皆諮詢会関係の人々かと尋ねたが何とか整理方法をしなければならないと思ふが。
  (此の時、ストリート少佐、ハセ中尉臨席)
 仲宗根委員
  食糧問題がまだ不安で、各市からの材料を集めて表にしますが食糧が少くて不安であるが如何なる理由で少ないのか、米国から来ないのか。
  例へば古知屋では米二合、宜野座では米一〇オンス、豆五オンス(来月は八日~十三日)、辺土名米六勺豆三勺外にソテツ(十月三十日)。
 軍政府
  米国式の食糧も配給します。
  一人当り一五五〇カロリーの食糧を配給す。
 志喜屋委員長
  先週少佐殿が来られた時一四、〇〇〇頓の食糧が来てゐるとのことでしたが之はどうなってゐますか。
 大宜見委員
  一五五〇カロリーは子供から大人までの平均ですか。
 軍政府
  五段階があります。子供は一五五〇カロリーでないでせう。
 大宜見委員
  大人を標準としたのです。
 軍政府
  午后私が来て調査します。
 大宜見委員
  先日上げた調査は軽労働者は二四〇〇カロリーです。
 軍政府
  全太平洋のことであるから。
 大宜見委員
  私の理想案であって命令でも何でもない。
 仲宗根委員
  石川市では米の配給はないが何時から配給するか。
 軍政府
  私達はカロリーのことしか知らない。
 又吉委員
  糸満、那覇方面に設営隊が行ってゐるが配給がありますか。
 軍政府
  配給して居ます。行く時に持って行って居る。
 志喜屋委員長
  糸満方面の移動がすんだら次は何所になるかとよく聞かれますが。
 軍政府
  前原が大きくなる。コザも大きくなるのがよいが而し陸軍はザンパ岬から那覇の方まで軍用地になってゐます。それで今は前原地区が大きくなります。
 安谷屋委員
  糸満・兼城のみ移動してゐるが其外の高嶺等は。
 軍政府
  壺屋のみ。豊見城方面は陸軍で六ヶ敷いです。
  今の情況では那覇は六ヶ敷いです。
 志喜屋委員長
  同地区内であると此所から彼所へと移動が出来ますか。
 軍政府
  地区隊長の権限のみで出来る。
  一三七号のCVのテントを諮詢会に与へ軍政府の側に置いた方がよいと思ってゐたが大佐殿に話したら駄目です。
  諮詢会の移動は決定ではありません。
 當山委員
  恩納の先遣隊に古知屋、田井等両地区の隊長は派遣方許してないとのことですが。
 軍政府
  準備してから移動させる。
  南方まで行って物探しや建物を毀したりするためにやられない。がまんして下さい。之はバークマン大尉のことです。
 仲村委員
  元町村に帰へらなければならないか。
 軍政府
  強制的ではない。
  糸満まで行った人々は皆病人でした。仕事のある人は行かなかった。必要な人々は命令で移動させるでせう。
  普通な人々は現在地区に残る事が出来る。
 安谷屋委員
  知念地区の人々は瀬嵩に多いが船で移動する方が便利だと思ふが考へて居ますか。
 軍政府
  海軍少将に一隻の船を願って借る事になった。出来れば船です。決定ではない。糸満に行く人は那覇に船を寄せて上陸し、那覇からは歩行しなければならない。船を使用するに天候の関係もあるから心配してゐます。
 志喜屋委員長
  移動は十二月一杯で予定通り出来ますか。
 軍政府
  十二月一杯に出来ませぬ。
  許可を得なければ移動は出来ませぬ。
 志喜屋委員長
  米国戦士兵の遺骨はまだ残ってゐますか。
  日本兵か米国兵か遺骨の判明せざる者は無名の墓を作って祭らうとするのですが如何ですか。
 軍政府
  ストリート少佐が考へを持ってゐます。而し如何にするか分らない。
  私達の考へは之れです。一緒にして年二回祭りたいです。
  平和会議まで待たなければならないのです。
  而し名案です。
  うるま新報について意見がありますか。
 大宜見委員
  沖縄人の意見も書かして貰いたい。
 軍政府
  うるま新報は軍政府の公式のものです。
  市民の意見を発表したければ英語で書いて出すと掲載してよいと思ふものは掲載します。
 當山委員
  軍政府公式の新聞をもー一つ認めて貰いたい。
 軍政府
  当分の中うるま新報は公式で大佐の命令です。
  各地区から記事を貰ふ。今は石川市のみの新聞でなく全沖縄の新聞です。
 當山委員
  田井等市の新沖縄はよい新聞です。あれを認めて貰いたい。
 軍政府
  新沖縄は軍政府の許可を得てゐない。
 當山委員
  人民の知り度い事が書いてあってよい新聞としてゐるが。
 仲村委員
  沖縄の新聞を日本に疎開してゐる者に送る方法はないでせうか。
 軍政府
  通信の問題です。
 ハセ中尉
  當山委員に答へたい。
  新沖縄については隊長の許可もなかった。
  軍で監督したい。
  新聞の意見は軍政府の意見です(当分の中)。
 仲宗根委員
  移動は先週で一五、〇〇〇人今週は約一〇、〇〇〇人と分って居るが、本部、今帰仁、壺屋が移動するが車を廻して連絡して下さい。
 軍政府
  一日に辺土名や本部まで行く事は出来ないでせう。
 仲宗根委員
  月水金の外に毎日廻して下さい。
 軍政府
  食糧運搬のために貨車を作って下さい。
 軍政府
  戦前の石炭はどこから来たか。
 仲村委員
  八重山、九州、台湾、満州から来た。
 松岡委員
  八重山炭、三、六〇〇カロリー。
  九州炭はそれの二倍。
 軍政府
  先週の日曜日に少佐は宮古まで行って来た。
  五七、〇〇〇人の人口が居る。
  日本兵が二五、〇〇〇人。
  上陸前の住民は六万六千人で、七、〇〇〇人は台湾へ、二、〇〇〇人は死亡。
  八重山、宮古から日本兵が引揚げるでせう。
  餓死する者が居る(八〇〇カロリーしか取ってゐない)。
  日本兵が土地の1/3は専有してゐた。
  沖縄から米を出す事です。沖縄島民は一、五〇〇カロリーを取って、当分の中私共が米を出します。所属は私共には分りませぬ。
  日本軍の将校に「土地を住民に帰へしてくれ、設備も市民にやってくれ」と少佐は云はれたとの事です。
  物価は五十倍になった。
  医学は割合によいのです。薬は軍政府からやります。
  少佐は宮古島司に臨時の権利をやりました。
 仲村委員
  宮古は命令権は島司にやられたが検察権は警察署長にやって下さい。
 軍政府
  命令は警察署長にやりました。
 仲村委員
  屋嘉に居る日本兵は何時帰へしますか。
 軍政府
  多分二三週間程に帰へすだらう。
 大宜見委員
  ニュースを聞かして下さい。
 軍政府
  ラジオが来たら知らします。
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