- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1945年10月31日
(昭和20年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1945年10月31日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔移動状況〕
十月三十一日(水)午前九時
出席 護得久、安谷屋、比嘉、志喜屋、松岡、又吉、仲宗根、仲村、前門、山城、糸数、知花、平田、大宜見、當山の諸委員。
當山委員中途より退席。
協議事項
志喜屋委員長
工務部として松岡委員が多忙になり軍本部より具志川の本部に行くべく要求されてゐるが諮詢会では極力止めてゐる。
従来の様に幹事として都合よく時間が得られないかも知れない。
比嘉秀平氏が軍との交渉や通弁をやって貰ふことになるだらうと思ふ。
御了承を願ひます。
松岡委員
仕事の運用上情報部を置いたら如何でせうか。
各地区の動きや生活状態を知る事が出来ると仕事上やり易いものと思ふが。
仲宗根委員
社会事業部では日報でやってゐる。
大宜見委員
私の所でも週報か月報かでやって見たいと思ふ。
前門委員
情報部を設くる事は必要と思ふ。
糸数委員
全体的にやって貰いたい。
又吉、松岡両委員に任したら如何。
ストリート少佐、ハセ中尉来席、中途よりコールドエル大尉も臨席。
協議事項
志喜屋委員長
お忙しい所御臨席有難う存じます。
食糧配給に対し御配慮下さって住民も喜んで居ます有難う存じます。
屋嘉に居る俘虜を解放されて感謝に堪へません。
軍政府
三、四日前布哇に居た俘虜も帰へって来て名簿作製をしてゐる。
朝鮮も帰へれる。
志喜屋委員長
日本人が本土に帰へる話があるが日本に疎開せし沖縄人も帰へり得るや否や。
軍政府
日本政府とマッカーサーとの問題で、本島の軍政府の問題ではない。
志喜屋委員長
通信でも出来ないでせうか。
軍政府
私(ハセ中尉)がマッカーサーに通信の問題につき手紙を出した。マッカーサーの権限です。
志喜屋委員長
知念への移動が始まったが順調に行ってゐるや否や。此の点につき若し住民に注意すべき点があれば御教示下さい。
軍政府
道端を歩かない様注意して下さい。
志喜屋委員長
スロール中尉、ローレンス大尉が来られた時、後六十日乃至九十日に米軍は引上げられるだらうとの話しであったが、若し然うであればテントを残して住民に貸与して貰いたい。
軍政府
テントが少いから仮小屋を作らなければならない。
本部の移動につき大浦崎から八百人が歩いて行って居る。
名護から田井等と一緒に行った。
八百人がテントを建てゝ働いて居る。
大浦崎から本部まで八千人程明日から移動を始める。
今週中に終了する積です。
田井等地区からも移動す。
本部半島に二万八千人程です。
又吉委員
那覇方面の人が私の所に来て先発隊に行くべく準備して居ると云ってゐたが那覇方面にも移動が出来るや否や。
軍政府
那覇地区は焼物及瓦製造(壺屋、牧志)の場所のみです。
仲村委員
北谷方面の移動は如何ですか。
軍政府
まだ許可を得てゐない。(非公式に移動するかも知れない)。
又吉委員
石川市長が先発隊に行けと命令してゐるとのことだが。
軍政府
那覇は駄目です。
又吉委員
伊平屋、伊是名に行けるや否や。
軍政府
伊平屋、伊是名は本島の移動の後です。
前門委員
勝連、与那城の二村は帰れるや否や。
軍政府
未だ許可を得てゐない。多分許可を得る事が出来る。
今週平安座から伊計まで八百人移動す。
比嘉委員
土地家屋を失った農家は自分の元住所に帰へれないが其人々は如何にするか。
軍政府
普通元住所に移動させる。斯る人々は隣村に帰へし隣村と共同してやる積である。
糸数委員
糸満は家もあるし軍施設もない様だが其所は移動させて貰いたい。
軍政府
出来るだけ早くさせる。近き将来に大部分の人が帰へれる。
安谷屋委員
島尻は元住民を先にするが瀬嵩方面の人々を先にして貰いたい。
事実は元住民でない人々も移動して行ってゐる様だ。
軍政府
移動の人員を取りそれは市長が知ってゐるから地区隊長に話させよ。
比嘉委員
元住所の人々を先にし土地を失った隣村の住民は軍で人数を決めて移動させるや否や。
軍政府
二ヶ月間に二十万人を移動させたい。比嘉委員の問は市長と連絡してやる方がよい。
比嘉委員
元住民が先に移動した後土地を失った隣村の住民が移動して来る。其の時元住民が土地を専有せんとしたら如何にするか。
軍政府
臨時の時です。土地に主がない。自分の土地ではない。
専有せんとする者が居れば罰せよ。
比嘉委員
協力しない者のため臨時処置法が必要だが。
仲村委員
各地区隊長を通じて住民に徹底させて下さい。
軍政府
地方隊長にも協力してやる様規則をやった。
沖縄人でやって下さい。
比嘉委員
それは(臨時処置法)軍政府より諮詢会に諮詢して下さいませぬか。
志喜屋委員長
陳情として提出しませう。
山城委員
台湾の情報を知らして下さい。
軍政府
情報なし。米軍は上陸して居ない。
上陸前本島の人口は何人でしたか。
委員
四十六万人程。
軍政府
疎開者は何人か。
仲村委員
五万人程。
軍政府
本島現在の人口は三十一万人。
安谷屋委員
産業復興をするには諮詢会でも多数の人が入る事務所が必要であるから早く設備して貰いたい。
軍政府
以下未決定であるから秘密にする様に。
将来のため学校制度にする方がよい。
専門学校を建てたい。
土地を諮詢会と共に見たい。
例。学校は 機械、大工、教員養成、運転手等の学校を設立したい。
短期学校にする積りである。
第一は専門を置くことです(例、大工等)。
諮詢会も移動することを考へてゐる。
ハセ中尉より土地視察に行く委員を指名す。
志喜屋、又吉、松岡、安谷屋、山城、知花、仲村の諸委員。
外仲宗根氏同伴。
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