戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年10月17日 
(昭和20年)
会議名
諮詢会協議会 1945年10月17日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔食糧問題〕

  十月十七日(水)午前八時。
  出席  志喜屋、又吉、仲宗根、仲村、平田、知花、糸数、比嘉、山城、安谷屋、前門、護得久、松岡、當山の諸委員。
  公用他出 大宜見委員、安谷屋委員(協議中途より)。
協議事項
 委員長
  食糧問題に関し各市長及び市議長より緊急協議会開催要請の件。
 仲宗根委員
  各市に於ける現状の食糧配給報告をなす。
 漢那市よりの食糧問題に対する陳情書朗読(新垣書記)。
 該問題に対し仲宗根委員の腹案として、
  1、各市長より地区隊長を督励すること。
  2、諮詢会と連絡を取ること等。
 九時三十分頃、軍政府側来会。
  ストリート少佐、ハセ中尉、コールドエル中尉、バービーエ中尉。
 委員長
  本日は協議会でなく、地方の事情を申述べ教を受け又御願申上げたいのであります。
 仲宗根委員
  各市の食糧配給及生活状態につき説明す。
  人民に早く元通り配給して貰いたい。
  何時から元通りの配給が出来るか、返事を承り度い。
 軍政府
  当分の中六ヶ敷しい。何故なれば之は暴風の被害のためである。
  米が少いから元通りの配給は当分の中困難である。
  米は配給す。港には米が来てゐる。揚陸の問題である。
  米を注文した、人民を安心させて下さい。
 仲宗根委員
  木ノ葉や芋皮等を食べて米一粒もない者が居る。
 軍政府
  護得久委員から知念方面の話を聞き少佐も辺土名方面まで調査に行った。軍政府は米や其外の食糧を調査してゐる。
  島民の配給を一様にしたい。
 仲宗根委員
  食糧なく学童も欠席者多く、病人も衰弱して死亡者が多い。
  食糧探しのため犯罪も多くなって来た。
  労働者も七割の欠勤との情態である。
 委員長
  木ノ葉を食べて死んだ者も居る(大浦崎)。
 仲宗根委員
  何時頃から配給できるか。
 軍政府
  何時とは約束は出来ないが、出来るだけ早く配給す。
  楚辺港に食糧は来て居るが暴風のため渡舟等が被害を受け揚陸に困難である。十日程の後になるだらう。
  木ノ葉を食して中毒死亡した者に対し詳細調査して置いて下さい。
 仲宗根委員
  沖縄は冬になると天候も悪く海も荒れ勝で揚陸に困難であるから二、三ヶ月分の食糧は保有して貰いたい。
  段々寒くなって来るので人民は困るから毛布を配給して貰いたい。
 軍政府
  六万枚は注文してある。多分十二月頃来るだらう。
 仲宗根委員
  一〇〇万枚は御願ひしたい。
 護得久委員
  一人当り三枚以上なければ冬は凌ぎ得ない。
 軍政府
  戦前の夜具はどんなものでしたか。
 護得久委員
  一人一枚の蒲団はもってゐた。
 軍政府
  床は如何なるものか。
 委員
  住民の二割程度は未だ床をもって居ない。
 當山委員
  沖縄の人は規則を守る者であるが食糧及被服のないため物探しをして罪を犯して居る。
 軍政府
  人民が規則を犯して出て歩く者(物探し)があると云って、軍も怒ってゐる。
  出来るだけ早くしてあげる。
  皆様の希望を挙げることは危ないです。
  ある限度がある。
 委員長
  モードック中佐と市政条文を作ったが或地区隊長では助役はいらない(平安座)とか、区長は元の区長でよい(久志)とか云ってゐるようですが。
 山城委員
  教員の任命は九月二十七日の市長会議で中央で任命すと云ったが或所では区長が任命すると云ふ所もある(久志)。
 委員長
  コザ市と、前原市のコザとが間違ひ易くて困って居るがコザ市は越来市と改めて貰いたい。
 軍政府
  冬服は何枚程必要か。

 委員長
  医師養成のため米国に年二十人程の留学生を御願したい。
 軍政府
  住民が南部方面に行って物探しをしてゐる事に軍は怒って軍政府に抗議を申込んで居るから注意してくれ。
 委員長
  以上の注意事項等を徹底させるため市長会議を開ひて貰いたい。
 軍政府
  承諾す。
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