戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年08月15日 
(昭和20年)
会議名
仮沖縄人諮詢会 1945年8月15日
議事録
仮沖縄人諮詢会 〔委員候補選出〕

 一九四五年八月十五日
一、受付状況
 午前八時より受付を開始し定刻九時までに終了する予定なりしも遠方より出席の会員中遅刻せるもの多かりしを以て漸く九時十三分終了せり。
 出席会員の氏名別紙の通りなり。
二、仮議長着席
 屋我石川市長「開催地元市長たる故を以て仮議長に指名せられたるを光栄とし、石川市民を代表して各地区より集合し来りたる皆様を歓迎する。」の旨を以て挨拶しベンゼント少佐を一同に紹介せり。
三、ベンゼント少佐挨拶
 「石川市の係将校として皆様に石川市に来てもらった事を欣快とする。沖縄の方々の最初の集りを催したることに対しては出来るだけの協力をする。然し乍ら之は軍政府の集りでなく皆様の集りであるから皆様の意志に依って会議が成功せんことを祈って私の挨拶を終わる。」旨を以て挨拶せられたり。
四、議長選挙
 屋我市長仮議長席より「ただ今より議長選挙に移る」旨を宣言し各地区より詮衡せられたる十三名の委員を呼出し「十時までに別室に於て議長を詮衡するよう」命じ、会員一同には休憩を宣したり。
 (休憩時間中に「仮沖縄人諮詢会設立と軍政府方針に関する声明」(註別紙)の翻訳印刷物を議員一同に配布せり)
 午前九時五十分仮議長再会を宣し「議長に志喜屋孝信氏詮衡せられしに誠に適任の方なりと思うに就き一同も拍手のうちに賛成せられたし。」と述ぶれば満場大喝采の下に賛成せり。
五、議長登壇
 屋我仮議長に案内せられて志喜屋議長現われ「モードック中佐」外軍部の方々に会釈し「高い所から甚だ失礼ですが、御挨拶します。皆様に推されまして浅学菲才の身ながらも名誉ある議長席に着くことは恐縮するところである。私は年も相当とったし座長を努める柄でもないが、推されたからには誠心誠意勉強して皆様の御援助により重責を全うしますからどうぞよろしくお願い致します。」と挨拶して議長席に着きたり。
六、幹事推薦
 「幹事を一名議長から指名することになって居りますから御任せを願います。」と宣して、當山正堅氏を指名せしに満場拍手の裡に賛意を表せば當山幹事立ちて「突然の御指名を受けて適任でないことを恐縮する次第でありますが、議長の御指導と皆様の御援助を得て最善を尽し度い。」と挨拶して幹事席に着きたり。
七、副司令官ムーレー大佐声明
 「ただ今お見えになった方は軍副司令官ムーレー大佐殿であります。軍の方針に就いて皆様にお話がありますから御静聴を願います。」と議長、ムーレー大佐を一同に紹介せば大佐立ちて大要左の如き挨拶をなされ軍の方針につきては丸本中尉をして翻訳印刷物を朗読せしめられたり。
 「軍政府の方で今日の集りを計画した時は、日本政府がポツダム宣言に依り和を請い戦争が終ると云うことは予期しなかった。此条件に依れば日本の天皇は引続き残り、連合軍総司令官の監督の下に国を治める。連合軍司令官マックアーサー将軍が代表者として任命され署名し、それから日本の当局者が署名する。戦争が済んだら沖縄の復興も促進するようになる。日本がポツダム宣言を承認しても皆様は心配はない。私は米国の軍人として二十八年間の経験から考えて講和条件は正義に依り成り立つ。無理な要求はなく正義を本義として連合軍は進むと信ずる。沖縄の方に対しては、今後も保護し復興に努力する。皆様は復興の相談役であり私は衷心から早く復興が出来、皆様が家族と一緒になり、良い境遇に置かれ沖縄の復興に努力するように希望する。本朝の報道に依れば正午天皇が声明する。ラジオが此所には無いから皆様に内容は知らすことは出来ない。而し本部で内容を聞き、出来るだけ知らせることにする。皆様の中、ポツダム宣言が分からない者は休憩中マリアナ時報の号外に依る三国共同宣言発表を読め。次に軍の方針に対する日本文の翻訳文を丸本中尉に読ます事にする。」
  (丸本中尉朗読説明をなす。)
八、ムーレー大佐退場
 議長「私からムーレー大佐の御訓辞と声明に対しお礼を申し上げます。」と宣し、「沖縄の住民が将来向かうべき所を示されたことに対し感謝する。私達は今よりも努力して沖縄の黄金時代を再現するよう決意する。嘗ては、沖縄が人材の輩出により偉大なる業績を現した。蔡温先生の時代を想い起こしつゝ推進して御期待に副うよう決意します。尚、丸本中尉の通訳により教訓と刺戟を得たことを合せて御礼申上げます。」と謝辞を申せば之に応じて、ムーレー大佐立ちて「私は今退場する。然し私は貴方々が誠心誠意沖縄の再生と発展に努力して行くと云うことを確信する。」旨告げて退場せらる。
九、モードック中佐の挨拶と説明
 議長、軍政治部長モードック中佐を紹介せば、モードック中佐立ちて「私は此の会合に出席して軍の政治部長として皆様に語る事は欣快とする所である。」と挨拶して今回の会合の目的につき具体的に左の要項を話されたり。
 第一目的 沖縄の再生復興につき諮詢委員となり軍当局と相談し会う十五名の委員を選ぶこと。
 委員を選ぶには全沖縄より有力な人材を網羅せんがため農業部、商工部、衛生部、教育部、社会事業部、労務部、保安部、警務部、法務部の各部にわたり専門の知識技能を有する人及び各社会階級の代表者を一部の地区に偏しない様に且つ、日本の軍部や帝国主義者と密接な関係を有する者は望まない。尚御都合主義で米国の気嫌のみを取って自己の利益を考えて居る者は排したい。
 誠心誠意沖縄の福祉に対して強硬に率直に述べることの出来る方を軍政府は望んでいる。
 現在の軍政府の計画は諮詢委員に選ばれる方は多分石川に移住する事になるはずである。
 尚、委員長一名と幹事一名を置く予定である。
 而してこの諮詢委員会には専門的分野を置き部長を設けて、専門的知識技能を有するものを委員外よりも入れて部員にする。云々。
 第二目的 民意を代表するための機関を設立する様、成文を以て軍政府に提出すること。
 代表的機関は如何なる組織にすべきか成文を以て来週月曜日に提出すること。
 第三目的 本会の主目的に関連して軍に願い度いことや質問したいことがあれば提出して置いてもらいたい。それ等は次の月曜日に出来るだけ回答を与える、旨説明されたり。
 以上モードック中佐の説明に対し、二、三質問ありたるを以て之に回答を与えられ軍政府官一同退場せられたり。
一〇、協議
1 諮詢委員十五名の選出方法如何。
 議長、本問題につき討議すべき旨を宣せば幹事より題意を説明し選挙は来る二十日の本会議に於て決行すべく軍当局は予定して居る事を附言す。之に対し七番、六十六番、五番、その他二、三名より意見ありしが結局左の通りに纒まりたり。
 イ、諮詢委員候補者の選定委員二十名を詮衡すべき左記委員五人を議長より指名せり。
  仲本為美、稲福全栄、金城増太郎、平田嗣一、喜納豊昌
 ロ、右詮衡委員五名より選ばれたる諮詢委員候補者選定のため、挙げられたる詮衡委員左の如し。
  伊礼正幸、金城紀光、又吉康和、安里延、糸数昌保、仲村兼信、富山嘉本、山城東栄、比嘉永元、伊佐常喜、新崎寛政、仲泊良夫、親川栄蔵、護得久朝章、古波蔵必達、横田英、安谷屋正量、儀間常亀、天願泰次郎、上里堅蒲
 ハ、諮詢委員候補者
 右詮衡委員二十名に依り選ばれたる諮詢委員候補者二十四名の氏名左の如し。
  金城紀光、志喜屋孝信、糸数昌保、伊礼正幸、山城篤男、大宜見朝計、又吉康和、前上門昇、護得久朝章、山田政功、富山嘉本、比嘉永元、松岡政保、平田嗣一、安谷屋正量、仲本為美、仲村兼信、仲宗根源和、知花高直、石川逢篤、山田有幹、山城東栄、金城増太郎、當山正堅
 ニ、連記投票により選挙
 右候補者二十四名の氏名を持ち帰り各地区に於て与論に徴し、来る二十日の本会議に於て十五名を連記投票し、之を選挙する事。
2 一般民の意志を徹底さすべき代表機関の組織方法如何。
 議長より右協議題に移る旨を宣し、當山幹事に之を説明せしむ。之に対し三番、五番、七七番等より意見の陳述ありしが、議長より「組織規律の立案もなければならぬから、本問題も各地区に於て研究して二十日の会議に於て決定しては如何。」と諮れば全員賛成せり。
3 分散家族を取纒めるために至急適当なる施設を講ぜられんことを陳情すること。
   提出者  石 川 市 代表委員一同
        田井等村代表 岸本 幸盛
 説明「戦争の災害を受け一家族が方々に分散して避難して生活して居る有様は誠に悲惨であり不安である。之迄、戦争中であったので軍政府に於ても之に対する救済策がはかばかしく講ずる事は困難であったと察せらるゝのであるが、今や休戦状態に這入って居るので各収容所に於て戸籍係に取調べさせ、相当数に達したならばトラックを特派して取纒めるような施設を講ぜらるゝ様陳情する事。」を石川代表より説明ありたりしに、田井等代表より「尚、之等家族が一個所に纒まる迄の通信方法についても考究して頂く様陳情したし。」と説明す。
 右につき「皆様の御意見如何です。」と議長より一同に諮れば満場陳情せられ度しと賛成す。
4 日本内地に疎開せる学童及び学徒並びに一般家族を至急帰還せしむる様適当の方法を講ぜられん事を陳情する事。
   提出者   三九番  安里 延
 説明
 「日本内地に疎開せる学童及び学徒は将来の沖縄を担うべき有為なる人材の卵であり、疎開せる一般の家族は概して良質の人々であるから之を一日も早く沖縄に呼寄せる事は新沖縄の建設上最も得策とする所であるので、之も陳情してその実現をお願い申し度し。」と説明せば、満場賛意を表す。
5 医薬の蒐集及び医師会の開催に関し陳情する事。
   提出者   幸 地 新 松
         大宜見 朝 計
         小 湾 喜 良
 説明「日本製の医薬及び医療器具類が避難壕や又は地下に相当破棄せられて居る現状であるから之を蒐集して使用せしめられたし。之と共に至急医師名簿を作製せられて医師の適切なる配置を行って戴きたい。尚それと共に医師会の開催を適当の時代に行って地方的風土病その他の伝染性疾患の予防等に関し米軍々医諸氏と共に膝を交えて懇談する間に御高見を拝聴し度し。」と説明せしに、満場議長の採決動議に和して賛成の意を表したり。
6 人事局、郵便局開設、離島住民の移動等に関し陳情する事。提出者 高江洲市長 高江洲良保
 説明 村と村との避難民の所在に関する照会や調査又は離職者を適材適所に嵌める様な人事を取扱う役所を設けられると共に米軍占領下の南西諸島地域は素より米本土、日本本土と葉書通信の如き簡易なる郵便の開設につきても御配慮を願い離島住民の移動についても特別の事情ある者につきては久米島、慶良間、粟国、渡名喜、伊是名等の離島と本島間の移動を取り計られん事を陳情し度しと説明す。
 議長よりその賛否を問いしに多数賛成せり。
7 漸次衣食住の施設につき之が完備を図られん事を陳情する事。
    提出者  宜野座代表 前上門 昇
 説明「今回の戦争に沖縄人程大なる犠牲を蒙った例は何処にもない、之に対して米軍政府が戦争中にあるに不拘同情してもらって衣食住に就きて救済の途を講じて戴いて居る事に、衷心より感謝する所である。然るに保健衛生上より見たる時は尚更にその万全の策をお願い申したい事が多々ある。特に食糧の如き労働者に取っては未だ充分なるカロリーの摂取が行われて居るとは云えないから主食物たる米の配給が一人一日三合五勺の分量までお願い申したい。衣類、夜具が各避難所に於て焼かれて着のみ着のまゝの姿の者が相当に居り収容部落に這入っても家らしき住家を当てがわれて居ない者が多数居る事に対しては誠に気の毒な思いがするから今一層此の方面に力を注いで戴く様陳情し度い。」と賛成を求むれば、異議なしと満場賛意を表したり。
8 羽地々区に於ける移動防止に関し陳情する事。
    提出者  田井等村長 池宮城 永 錫
         仲尾次村長 喜 納 豊 昌
         古我地、我部祖河村長 比 嘉 善 雄
         伊差川村長 屋 嘉 宗 勝
         山田原村長 平 良 五 郎
         仲尾村長  政 岡 玄 次
         真喜屋村長 上 地 源 永
         呉我村長  塩 浜 康 盛
 説明 提案者より左の陳情書を朗読して一同の賛意を求めしに満場異議なしの声を発して賛成の意を表したり。
 (陳情書写)本十五日、日本軍部が過去の罪禍を清算したる貴軍の通報は吾等世界平和を切に希ふ島民の愁眉を開く所以にして貴軍亦自ら快哉を呼ぶものあらん。こゝに貴軍並に閣下に最大の敬意を表すると共に吾等の信頼怙恃の情弥々切なるものあるを謹んで愬ふ。
 此の際、吾等一同閣下に対し一端の陳情書を献ず。
 冀くは清鑒あらん事を。
 吾等の居村田井等、仲尾次、真喜屋、仲尾、山田原、呉我、伊差川、我部祖河、古我地の九部落(戦争前の羽地村)は目下人口計五万五千を算し吾等一同及び、住民は各キャップテンの指導の下に渾身の力を尽し為に軍関係の諸作業に将又、増産農耕に成績見るべきあり。人民亦生活の不安より解放せられ鼓舞する所ありき。然るに不幸にして副司令官より指定せられたる移住地区に属せざるため、過日突如として辺土名に移動すべき命に接し、遽かに失望落胆の淵に陥りたるも、次いで戦況好転の理由により当分中止の再命を受け小康状態を続けて今日に至れり。
 然れども「当分」付にては完全に堵に安ずる能わず。
 田井等以下の部落が現居住地に永久的に落着いて生活し、益々米軍への協力の度を深めその期待に副はしめ得るが如き境遇を与えられん事を更めて懇願申す次第なり。
             一九四五年八月十五日
一一、略歴提出
 議長より本日出席者の略歴提出方を命ぜられしにつき一同その席にて自書し之を提出せり。
一二、閉会
 議長「予定の時間より七、八分過ぎましたが総ての議事が支障なく進行致しましたので、之で閉会致します。
 私は議長として不馴れのため失礼の点もありましたが、責を果させてもらって御礼申し上げます。大東亜戦争で沖縄人程苦難の立場に立たされた者はありませぬ。
 私も殆ど失神状態でありますが、然しながら沖縄の有力なる指導者は此際起ち上らねばなりませぬ。
 どうか皆様も御自愛下さって新沖縄の建設に御努力あらん事をお願い申し上げます。来る二十日には本日の通り開会して残った議事を協議致しますから、御出席下さる様お願い致します。
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