- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1945年09月07日
(昭和20年)
- 会議名
- 軍政府に提出せし各地区視察報告 1945年9月7日
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- 議事録
- 軍政府に提出せし各地区視察報告
一九四五年九月七日(金)提出。
委員長挨拶
去る九月二日及四日の両日に亘り米軍政府の御厚意に依り吾々諮詢委員会全員が沖縄本島の各地区を視察し得たことに対し誠に感謝の意を表する次第であります。
吾々が視察して驚いたことは米国が如何に物資が豊富であり又米軍の仕事が如何に広大且迅速であるかを見て始めて百聞一見に如かずと云ふ格言に痛感し此処に日本軍の其れと比較対照して米軍勝利の原因を把握したのであります。
各地区に於て三十万の住民が衣食を得て生活を立て又特に養老院、孤児院及病院等も設置され救済事業に御尽力し居らるゝのを見て委員一同は三十万住民と共に等しく感謝感激に堪へない次第であります。
各地区殊に中頭島尻に於ては広大な農耕地が陣地と化し残余の面積を以て果して三十万の住民が将来独立の生計を成し得るや否や住民と共に懸念したのであります。
住民は早く各家庭に帰へり一家団欒の裡に暮したいと又各地区に荒廃せる耕地もあるから早く耕作して自活の方途を講じたいとの切実なる希望でありました。
尚教育上については現在の儘では従来守礼之邦と云はれた沖縄の美点が失はれつゝあると思ひますから教育上にも一層御留意を御願ひするのであります。
以上視察の御礼傍々感想の一端を申し上げて御挨拶と致します。
以下各委員の感想を箇条書に記します。
一、大浦崎の収容場を早く全体移動せしめられたし。
理由
a、二万二千の人口中毎日の診療者多き時は一千二百人少き時は七百人で平均約一千人を出して居ること。
b、農耕地なき為め野菜類の不足を来して居ること。
二、各地区の幕舎を早急茅葺小屋に改善され度し。
三、各地区共野菜類の必要を痛感してゐるから其産出方を講ぜられたし。
四、分散家族の居所を至急判明する様講ぜられ度し。
五、国頭郡に在る収容場を農耕地の広い中頭及島尻に移動せしめられたし。
六、ニミッツ布告を緩和して近海漁業を許し新鮮なる魚貝類を住民に供給されたし。
七、将に冬を迎へんとす。夜具及防寒具を住民に配給せられたし。
八、現在に於ては人物が偏在し居るから、人物の配置方を考慮されたい。
九、各地区共医料薬品の不足を来して居るから之の整備をされたし。
一〇、従来所持し居る通貨即ち紙幣及補助貨幣につき不安の色あり。出来るだけ早急に使用し得る様講ぜられたし。
一一、越境(区域外に逃げ出す)者の多くは各自の物を取る為め山等に行く者が多い。それで日、時、場所を限って解放し物品を取らしめられたし。
一二、行政機構の整備と官吏の素質向上を講ぜられたし。
一三、火葬場の設置と棺桶の準備を講ぜられたし。
一四、林業及水利の対策を講ぜられたし(特に島尻中頭に於て然り)。
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