戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年04月22日 
(昭和21年)
会議名
諮詢会協議会 1946年4月22日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔補充県議・軍民協議〕

  四月二十二日(月)午前十一時。
  出席  志喜屋、松岡、山城、安谷屋、大宜見、護得久、前門、又吉、仲村の諸委員。
  欠席の比嘉、糸数、仲宗根、當山の四委員は軍政府の命により出席を遠慮して戴いた。
  理由は元県会議員の補欠推薦に当れるを以てである。
  本日は此の七名の推薦者を軍政府の命により諮詢会に諮詢された事。
  病欠  平田委員。
協議事項
 志喜屋委員長
  七名の補充県会議員を申し上げると、
  島尻 徳元八一、座安盛徳。
  中頭 久保田盛俊。
  国頭 長田盛徳、湖城基章、奥間清盛。
  那覇 東恩納寛仁。
  此の七名は適当なりや否や。
  ワッキンス少佐に提出したが重大の事であるから諮詢会にも諮る而し四人の県議部長、當銘及玉城両部長を除く様にと、此七人の中、不適当と認める委員が三人以上も居た場合は諮詢会で其の代りの人を決めてくれとの事であるが而し県会議員で推薦した人々であるから慎重な態度でやりませう。
 大宜見委員
  国頭郡の三人は不賛成である。国頭郡には人物は居る。山城東栄、仲里松吉、金城鍜助、平良辰雄幸地新蔵、比嘉宇太郎等が居る。
 前門委員
  湖城氏、東恩納氏等の人物は知らない。
 志喜屋委員長
  前門委員が、知らない人は知らないで、知った人で不可を云はればよい。
 山城委員
  此諮詢会で問題になった座安氏はどうなったか。
 志喜屋委員長
  目下調査中である。
 護得久委員
  目下就職中の者は如何なるか(例へば座安氏の如き者)。
 志喜屋委員長
  辞めればよい。
 志喜屋委員長
  九委員で不適当な人が居たら氏名を記入して下さい(無記名投票)。
  委員は各委員に紙を配布す。
  投票の結果。
   八点 座安盛徳
   八点 長田盛徳
   三点 湖城基章
   一点 奥間清盛
  委員長、投票の結果を報告す。
 又吉委員
  島尻から瀬長亀次郎氏を推薦す。
 大宜見委員
  仲本亀五郎氏を推薦す。
 志喜屋委員長
  島尻は瀬長亀次郎氏一人でよいか。
 全委員
  異議なし。
 大宜見委員
  長田盛徳氏の代りに幸地新蔵氏を推薦す。
 山城委員
  幸地氏は校長であるがどうなるか。
  常任であれば辞めなければならない。
 志喜屋委員長
  カールドウェル少佐は仲宗根氏は辞めたら生活には困らないかと云って居た。
  県会議員は報酬はない。
 大宜見委員
  議事進行して下さい。
 仲村委員
  校長兼務で県会議員になる事は暫定的として置く事。
 志喜屋委員長
  幸地氏を推しますか。
 全委員
  異議なし。
 又吉委員
  名護は比嘉宇太郎氏を推したら如何ですか。
 全委員
  異議なし。
 志喜屋委員長
  座安氏の代りに瀬長亀次郎氏。
  長田氏の代りに幸地新蔵氏。
  湖城氏の代りに比嘉宇太郎氏。
  に決定します。
 全委員
  異議なし。

  (午后一時三十分より)
  出席  志喜屋、又吉、安谷屋、比嘉、當銘、玉城、當山、松岡、仲村、前門、糸数、護得久、仲宗根、山城、大宜見。
  病欠  平田委員。
協議事項
 志喜屋委員長
  台湾在住の県民を帰へすべく取計ひませうか、大分希望して居る様だが。
 全委員
  異議なし。

  (午后二時)
  軍政府 ワッキンス少佐、ハナ少佐。
  総務部長。
  通信部長。
  文化部長。
  三部長の辞令交付式を挙行す。
諮詢事項
 軍政府
  一、今日之から打合はす重要問題は知事の新任式の事である。
   当分の間総ての書類公文は知事を用ひ、ガバナーは用ひない様にする。
   法的の英文から日本文に訳する時はガバナーは知事の意味ではあるが実際のガバナー職名の付いた職責は日本の知事よりも大きなもので趣が違ふ。
   英国は銀行でガバナーも使用して居る。
   英領印度にもガバナーを用ひ、ニューヨークもガバナーを用ひ、英国では子供が父にガバナーと使ふ。
   米軍の将校では知事の意味がはっきりしない。
   新知事をガバナーと付けた時はニューヨーク知事と似て反対が起って来る。
   ムーレー大佐は従来あった知事と表現した方がよいではないか。
   村長等の様にすればはっきりする。
   翻訳部では知事を固有名詞としてやって貰いたい。
  二、知事の新任式につき始めとは方法が異った。
   知事の辞令交付は志喜屋委員長が全委員を代表して来る水曜日に交付す。
   翌日木曜日には市町村長其外重職に在る人等を集めワッキンス少佐が新知事を紹介す。或は又知事を紹介する反対に、集った人々を知事に紹介する場合もある。
   其時知事の挨拶をなす。私(ワッキンス少佐)の挨拶はやってよいか否か。
 糸数委員
  ワッキンス少佐の挨拶。
  知事の紹介。
 軍政府
  ウルマ新聞も招待して記事を取らす。
  式変更の理由は、沖縄の機構は五月一日前に改正しなければならないから。正式の式を挙げると最高指揮官等も招待しなければならないので準備が出来なかった。
  軍の最高指揮官を招待する事が出来なかったら非公式に式にムーレー大佐が行はなければならないから。
  知事を任命するには重大問題で沖縄は勿論日本及諸外国に対しても大きい。若し余裕があれば陸海軍の将官や新聞社等を招待して盛大にすべきであった。
  式の目的も沖縄政府の成功を期するのが目的である。
  式の変更につき質問があったが、重大だから延期して盛大にすべきだとの事もあったが而し目的は沖縄政府の成功のためであるから簡単にする事になった。
  米軍の上層部を招待して知事の任命を宣伝しても意味はなさない。只沖縄住民が知ればよい。
  式場には市町村長を集めてその挨拶訓示をウルマ新報に発表して貰いたい。
  沖縄の有志識者指導者が、ウルマ新聞を通して祝辞を述べられたい。
  水曜日の辞令交付の時は委員長の任命により四、五人でよろしい。
 安谷屋委員
  水曜日は幾時からですか。
 軍政府
  まだはっきりしない。
  北部は軍施設もないから休日にしてもかまはないと思ふ。
 當山委員
  祝賀は民主催で日曜日に改めて催したら如何。
  五月五日にやりませう。
 軍政府
  知事が任命されたら、知事の命でやりませう。
 全委員
  延期しませう。
 軍政府
  急激に変更して済みませぬ。
 軍政府
  洋服生地は何所に届けるか。
 又吉委員
  津嘉山書記へ。
  一人六ヤード宛。
 志喜屋委員長
  研究の結果台湾から入れる事になりましたからよろしくお取計ひを願ひます。
 軍政府
  台湾在住者を還へすべく上層部に昨朝お願ひした。
 當山委員
  住民の移動部の陸軍部が調査に行ったとの事だが見込みあるや否や。
 軍政府
  此の土曜日に陸軍将校と共に陸軍地を見たが陸軍部としては出来るだけ住民地区を与へる事になった。
  陸軍駐屯部隊への所に住民を入れてよきや否やにつき調査して、来る水曜日に回答せよとの事である。
  今朝陸軍将校が来て南部沖縄の地図を調べて居た。
  北谷、読谷山、恩納は予想通りは行かないかも知れない。陸軍は欲が深いから。
  先日陸軍将校と共に農園、前原地区を見て来ただけでも住民を入れる方針であると見えた。
  先夜比嘉農務部長から提出された資料を以て私から説明した。
  土地を出来るだけ大きく与へる事は沖縄のため、又米国の救済を減ずるのであると云って居る。
  以上の事から見ると陸軍の欲もない様である。
 山城委員
  高嶺の一部が帰へりたいと云って居ますが。
 軍政府
  陸軍少将は安谷屋、當山両委員主催の工芸品展覧会を見て沖縄の工芸品に注意を払はれた様であった。
  沖縄産業の漆器の漆等其他の原料についても努力して取り寄せると云って居た。
  少将は東洋に友人が多いから出来るだけ努力するとの事であった。
  (ワッキンス少佐帰府)
 仲宗根委員
  今朝アーレン少尉が来て社会事業部を総務部に合併すると云ふ噂があるが知って居るかと云はれたから、救済部は重大なものだから其まゝ残してくれと云った。
 又吉委員
  ワッキンス少佐が社会事業部は総務部につけよと云ったから、私は翻訳部は官房につけてくれと云ったら、それでよいと云はれた。
  移動部は総務部に、衣服と食糧は商務に、救済部面は社会事業部に、今日社会事業部長が辞めたから総務部に付ける様にと命令的に来た。
 仲宗根委員
  又吉委員の今の話と二、三日前総務部の人が私の所に来て社会事業部は総務部に合併する事になるがと云って居たが、之から推すと此の話はワッキンス少佐から前以て話があったのか。
 志喜屋委員長
  以前に部門を減ずる様にとの事であったが、今は人事に困るから、後に機会ある毎に減ずるとの事であった。
  仲宗根委員としては今日まで従事した人々に困る事になるが之は如何するか。
 糸数委員
  社会事業部に居る人々の事を考へなければならないと思ふが。
 仲宗根委員
  ワッキンス少佐と話があった翌朝後任を推薦したが其れをワッキンス少佐に話をされたか否か。
 志喜屋委員長
  私の意志は話した。
 仲宗根委員
  希望があります。
  社会事業部は重大性を帯びて居るから諮詢会で諮って貰いたい。
  社会事業部は重大だから其まゝ残存して貰いたい。
  従業員を救ふべくお願ひしたい。
 志喜屋委員長
  出来るだけ職員を救ふ様にします。
  仲宗根委員其方法で如何ですか。
 仲宗根委員
  出来るだけ其れでよろしい。
 仲宗根委員
  県議の補欠を諮詢せよとのことでしたが諮詢しましたか。
 志喜屋委員長
  今朝やりました。
  ワッキンス少佐に結果を上げました。
  四人の部長(県議たりし方)比嘉、糸数、仲宗根、當山、四部長暫く退場を願ふ。
  発表してよい。
  ワッキンス少佐から私に来た手紙を松岡委員に朗読せしむ。
  補充された人々を読み上げる。
  不適当な人々を協議した結果、座安、長田、湖城三氏が不適当となった。
  之をワッキンス少佐に報告した。
  諮詢会として推薦した人々は、幸地新蔵氏、瀬長亀次郎、比嘉宇太郎の三氏である。
 仲宗根委員
  各地区の推薦によってやったが諮詢会で又推薦した人々に対しては県会と対立した事になるが如何と思ふか。
 護得久委員
  意見の相違で対立と云ふ事はいけない。
  諮詢会は県会の云ふ事を聞かなければならないと云ふ事になる。
  志喜屋委員長は大事をとって投票にしたのである。
 仲宗根委員
  県会議員で和やかに推薦した事を諮詢会の一部で修正したと云ふ事になると遺憾に思って居る。
 護得久委員
  人物を爼上にあげて議論する事はいけないから投票に慎重にやるやうにと委員長は云はれた。
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