戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年04月18日 
(昭和21年)
会議名
軍民協議会 1946年4月18日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔県会議員・政治機構〕

  四月十八日(木)午后二時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、比嘉、仲宗根、平田、前門、安谷屋、仲村、當銘(部長)、糸数、當山、玉城(部長)、護得久、山城の諸委員。
  公用につき欠席(医師会) 大宜見委員。
  軍政府 ワッキンス少佐。
諮詢事項
 軍政府
  予定外に集ったのは申訳ないが事情已むを得ないのである、不悪。
  今週の火曜日に非公式に此処で上陸前の県会議が会合を催した。
  県会について質疑応答の結果、議員の考へて居る事が明かになった。
  県会議員は執行機関部長兼任は出来ない事にはっきりした。
  此前の話から推すと四人の欠員と四人の部長が居るから合計八人の欠員になる今の人員から見ると六人の欠員があると補欠選挙をしなければならない。又任期満了で総選挙しなければならない。今総選挙するには時期が悪い。従来の法律が生きて居ると見て後暫く延長したら如何とも考へられる。
  暫定措置の計画として総選挙の到来まで延長したい。此の夏まで。
  先日の議員の集りに補欠の時どうするかと。
  八人の欠員を補充するには議員が早く集って方法を講ぜられたい。
  補欠を補充するとしたら島尻二人、中頭一人、国頭四人、那覇一人の欠員になって居るが其地区から選出した方がよいと思ふ。
  前県会議員が集って推薦して、ワッキンス少佐へ提出し又少佐は諮詢会に諮り一致する場合ムーレー大佐に提出す。
  八人の補欠を推して其機関を暫定代議機関とす。
  一日も早くやりたい。
  四部長(比嘉、當山、糸数、仲宗根)で早く会合して推薦して貰いたい。
  何時出来るか。
 當山委員
  明日呼んで明日やります。
 軍政府
  午后四時頃来たら定例会議後指示する事にする。
  必要があれば土曜日まで開いてよい。
 仲宗根委員
  私は議員に戻りたいが如何ですか。
 軍政府
  何故か。
 仲宗根委員
  諮詢委員としては県会議員と似て居るが執行部長になると仕事の趣が異なるから私としては民意を代表して沖縄に尽したい信念を持って居る。
 軍政府
  私の意向としては議決機関には議決のみで貴方は執行機関に居て沖縄のため尽した方がよいではないか。
 仲宗根委員
  御厚意有難う存じますが、私は民衆の声を聞いて沖縄復興のため尽したい。
 軍政府
  米国では民衆の声は重大視して居るが而し沖縄は敵国であるから民衆の声はない。
  吾々の過去を見ると中央執行機関も進み、又出来つゝあるので成功を見たと思って居る。
  米軍政府の沖縄観は奇蹟であると見て居る軍政府下に斯の如くなって来たのは。
  軍政府では只少数の将校が沖縄人を信頼して救済事業も任し得ると云ふ事を見て居る将校は僅かである。
  大多数の将校は沖縄人は信頼出来ないではないかと見て居る。
  沖縄の政治機構につき時期が到来して居ないとか、之を今日まで進んだのは一寸々々議論して今日まで来たのである。
  兎に角今日の状態まで来た理由は、沖縄に居る米海軍は帰へる。
  僅かの人では行政は困難であるの理由からである。
  今与へられた仕事に就いては注意して好妙な動きをしなければならないと思ふ。
  陸海軍も組織機構は民衆政治は喜ばない。
  其見解は人民と相当開きがある。
  陸海軍の将校は政治に幼稚であるデモクラシーも知らない。
  軍の方針に副はないものは軍の方針で抑へるから一方には与へたり一方には抑へたりする。
  最初モードック中佐の意向としてはデモクラシーを基礎として作らうとした。米国にないデモクラシーの型で長官からペシャンにされた。
  現政府の方針としては戦前の姿に帰へして行かう、其れが皆が知って居るから。
  上陸前の政治機構は米軍に副ふ機構である。何故なれば米軍政府から下へ通じて行くから。
  以前の政治機構はデモクラシーでなく加味して行くべきだがデモクラシーを直ちに持って行くよりは一歩々々持って行った方が安全ではないか。
  今度の戦争から見ても日本の政治機構が人民に適して居ないと云ふ事が分る而しさうかと云って急激変化は危険を伴ふではないか。
  米国が権力を以て沖縄の機構を変へる必要なく民衆の意向を以て変へなければならない。
  吾々の記憶に残る点に於て二度デモクラシーと非デモクラシーとの戦があったがデモクラシーの方が勝って居る。
  政治機構は米国が後押しなくても何所の方向に進み行くかは民衆がよく分って居る。
  デモクラシーはよくもあるが又大きい危険を伴ふ馬力の大きい自動車の様なものでしくじったら自ら身を亡ぼす。
  以前の欧州大戦でデモクラシーを真似てやったが民衆に其教育がないから数年にして亡んだ。
  例へば自動車を道の真中から走らさないで傍らから走らす様なものでそれでファシスト、共産主義、ナチス等が生じた。
  実例にスペインが一九三一年強硬な憲法を作ったがデモクラシーを取らないでそれが右の方に行った。
  独逸は一九二〇年に共和国の憲法を行ったが一九三三年にはナチスに変じた。此の理由は急激変化があったからである。
  私の希望は過去の機構を其の儘にして徐々に共和政体の形に移した方がためになると思ふ。
  現在は政治機構はない。始め基礎を固めてから徐々に行った方が安全率が高い。
  数日間に政治機構が出来上るが米軍の将校としては其れを潰すのも朝飯前の話である。
  政治機構が出来た場合指導して行くに安全を通って行かないと政治機構は必要がなく支障を来すのではないか。
  今日まで進んで来たのは其機構が軍政府に副ふからである。
  今の組織を作るに軍政府に適して居り必要があると認識したからである。
  之が軍政府の目的に副ふものなら将来にも続くのである。
  政治機構を作った後軍政府の邪魔になるか又は副ふかゞ分れ道である。
  危険が伴ふと思ふのは民衆の声が軍政府に副はない時が危険である。
  軍政府に対する反対等は起り易いが此の反対をした時は困難になる。
  沖縄の政治は沖縄人行動の如何に決す。
  目的に副はない場合又民衆の行動如何によっては政治は取り去るかも知れない。
  例へば軍政府は猫で沖縄は鼠である。猫の許す範囲しか鼠は遊べない。猫と鼠は今好い友達だが猫の考へが違った場合は困る。私もムーレー大佐もカールエル少佐も永らくは居ない。居る間に政治機構を見たいので急激になった。
  危険を伴ふ事は軍政府の後継が来て民衆の声が反対に出た場合は沖縄民政の危険がある。
  講和条約の成るまでは民衆の声は認めもしない、又有り得べきものでない。平和会議の後帰属が決った、政治が決った後民衆の声も反映するだらう。
  講和会議の済むまでは米軍政府の権力は絶対である。
  今後は軍人として来るので今は顧問として大学教授が居る。
  私、カールエル少佐、ローレンス少佐、ハナ少佐が長官の後に居るが後任は軍人のみであるから相当の権力で行くのではないか。
  仲宗根委員に云ふが県会議員は何等権力は持たない。講和条約の終るまでは効力もない。会議が済んだ後民衆のためになるのではないか。
  会議が済まない中は民衆の声が戦闘部隊に副ふか否か。
  故に民衆の声は危険である。
  私は仲宗根委員を指導する知識見識もないが只率直に話したのである。
  沖縄政府が出来ても弱い点を申し述べた。
  如何なる位置にあるかを沖縄の将来には困難がある。打開するには忠実であり自ら協力しておとなしく目的に副ふ様に行ったら望はある。
  仲宗根委員に進言したいのは斯る状態にある政治は危険であり望のない政治になるのではないか。
 仲宗根委員
  委員も苦楽を共にして来た友達であるし、委員と民衆との中間に立って沖縄の民衆のためになる事を聞いてやって行きたいと思って居る。
  県民の代表機関の県会議員と諮詢会との中継役となって県民の幸福になる様にしたい。
  明朝まで考へて委員長まで返事します。
  私一身上の事はこれで打切ります。
 軍政府
  此の中継をする事はよい考へであるそれよりも大きな仕事(社会事業部長)をやった方がよいではないか。
  貴方の将来を見る事はできないから強硬には云はない。
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