戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年04月15日 
(昭和21年)
会議名
軍民協議会 1946年4月15日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔県会・歴史研究会・他〕

  四月十五日(月)午后二時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、山城、仲宗根、平田、仲村、安谷屋、比嘉、護得久、糸数、大宜見、前門、當山の諸委員及び當銘、玉城の両部長。
  軍政府 ワッキンス少佐
諮詢事項
 軍政府
  北谷から移動の陳情書が来たが知事が出来てから総務及び知事を経由して副長官に提出する様にと其陳情は又吉委員に還して置く。
  他府県に帰へる希望者が来るが陸軍の方針としては今年の末頃でなければ帰還出来ないとの事である。P・W(捕虜)も早くは帰へれない筈だ。
  斯る報告物が来た時は総務の方で綴って置く。
 軍政府
  本日元の県会議員の集りがあるか。
 當山委員
  晩に集ります。
 仲宗根委員
  二、三人の希望で明日午前中に会議を開くかも知れない。
 軍政府
  志喜屋委員長差支へはないか。
 志喜屋委員長
  差支へありませぬ。
 軍政府
  集るのはよい方法であるか。
  議長は誰がなるか。
 仲宗根委員
  議長が来れば議長がなる。
 軍政府
  県会議長の任期は。
 當山委員
  一期間中である。
 軍政府
  皆で何名か。
 仲宗根委員
  十八名である。
 軍政府
  県会議員の定員は。
 仲宗根委員
  三〇人である(各区の割当を挙ぐ)。
 軍政府
  今度の秋まで延長の計画である。
  来年の夏総選挙せんと思ふ。
  之は決定ではない。
  政治機構は五月一日迄で完備して護得久委員の方が基礎になるが、護得久委員の方で困難であれば延期してよい。
  議員の補欠は。
  軍政府から任命するか。
  諮詢会で推薦するか。
  県会議員がやるか。
  部長兼任でやるか否か。
  之を研究して軍政府に上申して貰いたい。
  今度は不自然だから議員の機構も不自然でよい。
  機構が整備された場合は以前の法律で選挙してよい。
  出来るだけ早く進言して貰いたい。
 軍政府
  又吉委員の機構の中の一つの課は沖縄歴史を発行する様にと話したが其課に沖縄歴史研究会を組織して貰いたい。
  歴史課に属する歴史研究会を置く。会員は政府の役人でもよい。
 又吉委員
  歴史研究会の人々を書いて上げます。
 軍政府
  記録をなくしたから記憶の残って居る中に早くして貰いたい。
  仲宗根委員の調査により食糧が悪くなった事の原因を見出したら計算違い(ポイントの打方)から来たので去る金曜日から元通りになった。
  学校職員は男女制服をやる事になって居る。
  諮詢委員も服を与へなければならないが、私の方(ワッキンス少佐)では知事、副知事、部長を同一服にする案を立てゝ居る。
  生地は何がよいか調査して置く事。
 軍政府
  名護で堤防を作る様で水利権に触れる様だが知らないか。
 比嘉委員
  羽地と契約書を取ってやって居るから水利権には関係がない。
  貯水池用の水路をやって居る。
  出来る様に願ひます。
 又吉委員
  宜野湾の件を護得久委員から報告します。
 護得久委員
  宜野湾大山の資材を首里が貰ふ事になってトラック五台を願って取りに行ったら宜野湾からも譲り受くべく願ったが一線部隊長は首里に与へたからと云ったと。
  首里は糸満地区隊長の許を得て大山に貰いに行った。
  首里は家もなく困っている。
  宜野湾住民が羨ましく思って居る様である。
 軍政府
  宜野湾と首里と孰れが困って居るか。
 護得久委員
  首里が困って居ると思ふ。
 軍政府
  外の将校は私の様に首里を同情する人は居ない。
  経済上から見ると壊して首里へ持って行くのは不経済である。
 護得久委員
  外から貰ふ所がない。
 松岡委員
  支那の将校が来て沖縄に在る金物を支那に持って行きたいと、それて勝連半島に在るジープやトラックを各部に配給して貰いたい。
 軍政府
  調査して見る。
 前門委員
  各裁判所にもヂープ一台宛欲しい。
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