- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1946年04月12日
(昭和21年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1946年4月12日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔予算編成・機構〕
四月十二日(金)午前十時。
出席 志喜屋、又吉、糸数、大宜見、安谷屋、平田、當山、仲宗根、仲村、前門、山城、護得久、比嘉、松岡の諸委員。
當銘、玉城両部長。
協議事項
志喜屋委員長
各部名称は如何するか。
安谷屋委員
財政、司法は特別にして外の部は一様にしたら如何ですか。
山城委員
暫く待って居たら如何です。
護得久委員
知事が任命された後知事の権限でやられたら如何です。
志喜屋委員長
もー少し研究しませう。
市町村の予算の関係は如何なるか。
護得久委員
各部で予算を編成す。
比嘉委員
各部で予算編成方針を決定して協議して後市町村に知らす。
護得久委員
市町村の関係も各部で編成方針を立てたい。
志喜屋委員長
ローレンス少佐は課長は部長が、課長以下は課長が任命するとの事であるが之は如何するか。
糸数委員
知事が出来て人事課が出来れば人事課でやればよい。
仲宗根委員
石川市の配給状況の回答を軍政府から聞きたい。
名護で蘇鉄中毒で五人死亡三人入院との事である。
蘇鉄は餓死防止であって食糧でない事を話すから皆様からも御援助を願ひたい。
糸数委員
物価決定の申請書を提出。
統制規定も審議した。
山城委員
通訳学校卒業には、英語通訳、翻訳者として適任者として認定すとの免状をやった。
糸数委員
市町村に収入役を置くなら商務関係もお願ひしたい。
収入役が商務を監督したら如何かと思ふが。
商務関係は商人の方で成るべくやりたい。
仲宗根委員
市町村の課数を統制したい。
(午后二時)
出席 十四委員、労務・水産両部長。
軍政府 ワッキンス少佐。
諮詢事項
軍政府
昨日の知事推薦会で三人の候補者をムーレー大佐に報告したが其後ムーレー大佐、カールエル少佐、私と三人で打合をした。
昨日の会場の状態を報告し選挙の模様を報告したら軍政府の予想した人々に決定した。
昨日の推薦会に於て結果はムーレー大佐、カールエル少佐、私(ワッキンス少佐)の予想した通り行ったから愉快に感じた。
投票の結果を見ると投票数から推して清き一票を各人が意の向ふ所に投票したことが分る。
ムーレー大佐、カールエル少佐、私の感は同じである。三人の候補者は知事としての資格があり識見充分である事を三人が同一感で見た。
三人の候補者は適任者であるが其中から一人を決定しなければならない。
市町村長の会場に集まる意を通して如何なる人を推さんとするかを予想がつくのである。
投票の点数から見ると沖縄人の信頼と要望と其位置に持って行くと云ふ事から最高の位置にされた。
一、諮詢会設立の座長と推された事。
二、第二回に一一七票の中一一六票で委員として当選した事。
三、委員の委員長として選挙された事。
昨日の推薦の時六十九点を以て推された事。
(八十六票中六九点)。
ムーレー大佐が如何なる人を知事に推されるかを想像できる。
以上の事から推してムーレー大佐は今日公式に最高の知事を志喜屋様に推された事を発表す。
ムーレー大佐が決定された事は私自ら光栄と思ふ。
志喜屋様は委員長であり一般の人々が推された事を御目出度うを述べる志喜屋様にも委員諸君にも。
十五人委員と部長が不断から要望した人が知事になった事及びムーレー大佐が任命された事を悦ぶ。
委員の方で数ケ月方針を立てゝ来た之を変化なく継続される事は吾々は幸福ではないか。
委員の各部は執行部長としてなるのである。
各委員が部長になるが委員長が知事になることは何よりも愉快である。
委員を見ると諮詢のみであったが次第に執行機関に現はれて来た。
之が即ち沖縄政府の組織に移ることは歴史的に委員の力が如何に沖縄県民の方針に副ふて居たかが分る。
皆、志喜屋様に沖縄人にもお目出度い。
志喜屋委員長
ワッキンス少佐の訓辞に感謝します。
お話の通り知事として任命になる時は浅学菲才だが沖縄のため全力を挙げて尽します。
私は軍政府及委員の御援助により沖縄及軍政府の意に副ふ様働きます。誠に有難う存じました。
軍政府
今朝、ムーレー大佐、カールエル少佐、ペンス氏は公用で東京に行った。
何時帰へるか知らないが多分一週間は要すだらう。
ムーレー大佐が帰へってから知事の辞令交付はするだらう。
今月の末頃沖縄の知事として親任式及び各部長の就任式がある。
当日は全沖縄が祝日として一日休業します。
本月の末良い天気を選びませう。
沖縄政府の機構は五月一日前に整備されなければならない。
其理由から未執行部は其計画を急がなければならない。
今朝ムーレー大佐、カールエル少佐、私と三人で相談したが知事不在の場合代りになる人が必要でないかと相談した。
ムーレー大佐は副知事には誰が適任かと云はれたから総務の又吉部長が適任として代行する事になった。
ムーレー大佐は総務部長が第二の候補者に挙げられて居ることを喜んで居る。
ムーレー大佐から特にお願ひは志喜屋様の健康と幸福とを祝福されて居る。
若し希望されない所に行かれたらいけないから健康を損ぜない様に。
當間重剛様は司法部の重要位置に置く事にして居る。
軍政府としては昨日の推薦会に於て沖縄の住民が如何なる希望を持って居るかゞ分る。
昨日の会合の時見ても分ったが三人を適任者と認む。
政治策動がないと見受けられる。
政治屋を起用しないで本当の経世家を持って来たと思はれる。
私は告白するが皆に敬意を表し全住民に敬意を表す。
私には他の将校の持たない人を見る目もあり東洋の事情も知って居る。
何故なれば日本と支那に居たからである。
他の人は只沖縄に上陸してから経験による外沖縄を知らない。
幾多の米国人としては諮詢会を集めてホラを吹くぐらいで此の諮詢会を疑問視して居た。
昨年八月以来一歩々々と歩みは遅いのであったが中央執行機関とする蕾を作った。
軍政府の将校達が委員が協力し又高能力を発揮した為め委員が有能である事が分った。
私としては沖縄人自ら政治を執り自治で行くことを信じて居たが外の人々は識見能力あるとは信じて居なかった。
昨日の集合に於て此の投票が如何に重大であったか又席場を見て米人として教訓を受けた。
米人の将校としても認識が深くなりまだまだ学ぶ点があると思はる皆様から指導して貰いたい。
軍政府
海運の乗組員は如何なったか。
松岡委員
一一〇名の希望者名簿を提出す。
又吉委員
海運課長比嘉繁夫氏を提出す。
糸満町長に与世里盛忠氏を推選す。
軍政府
沖縄の人事録は着手したか。
又吉委員
今やりつゝあります。
軍政府
人事録を作り月刊と記録を残して貰いたい。
屋嘉なる者を其後調査したか。
又吉委員
調べたが其外(先日報告した外)はない。
軍政府
ウルマ新聞に屋嘉氏の提出した記事は出たか。
又吉委員
出ませぬ。
軍政府
志喜屋委員長にヂープを上げます。
高良友明氏は何所に居るか。
又吉委員
高良氏はコザに居る。
軍政府
就職して居るか。
又吉委員
職に就いて居ない。
軍政府
此の人が大尉を通して米中将に手紙を出したが、志喜屋様、又吉様等六人の名前を出して居る。
沖縄で有名であるか。
ムーリー大佐に其高良なる者から手紙が来て居る。
ムーレー大佐に手紙を出すのはいけない。
軍政府
戦前には沖縄歴史を書く機関があったか。
又吉委員
なかった。
仲宗根委員
県の人事課で社会事業部の板良敷氏が整理しつゝあった。
志喜屋委員長
郷土研究会があった。
又吉委員
島袋全発氏等が五、六人集ってやって居る。
軍政府
宮古行の船は明日出発するから手紙等も其船で送った方がよいだらう。
先週元の県会議員が集って懇談する事になって居たが皆様の都合のよい日によろしい。
當山委員
来る火曜日に集ります。
軍政府
何時頃からか。
仲宗根委員
夕食を取りながら只話合ふのである。
軍政府
大嶺氏が探して来た。ジーシガーミを護得久様は早く鑑定して貰いたい。
軍政府
コザ地区の人で一二五部隊が居るが盗難されるので発砲してよいとのことであるから可然御了承されたい。
仲村委員
憲兵隊司令官からも其注意があった。
警察及、中城村長、越来村長にも注意をやった。
コザ署長に軍地区に侵入すると発砲される事を注意する様云ってやった。
仲宗根委員
石川の食糧事情に対する回答は如何なったか。
軍政府
目下アーレン少尉に調査しつゝある。
仲宗根委員
其後もよくないからよろしくお願ひします。
軍政府
石川市に来る食糧品が少ないのか。
仲宗根委員
食糧がない。
名護では蘇鉄を食べて五人は死亡で三人は入院して居る。
仲村委員
石川市で越境者を取締り金網は満員である。
気の毒であるから与へるものは与へ厳重に取締るものは厳重にするから食糧配給を願ふ。
軍政府
食糧がないと法律も見えない。
前門委員
判検事の話にコザ地区でも犯人の八割は越境芋掘りである。之を如何に措置するかと心配して居る。
(ワッキンス少佐帰府)
糸数委員
物価々格統制及取締令の件(別紙印刷物配布)。
護得久委員
物々交換は認可を受けてやると云ふ方がよいと思ふが。
糸数委員
私と前門委員と二人に任して貰いたい。
全委員
異議なし。
比嘉委員
第一条に農事組合でやるべきものは但書を設けたい。
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