- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1946年04月11日
(昭和21年)
- 会議名
- 諮詢会・地方総務・市町村長合同会議 1946年4月11日
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- 議事録
- 諮詢会・地方総務・市町村長合同会議
〔知事候補選挙〕
四月十一日(木)午前九時。
本日は午前九時より翻訳室に於て諮詢会委員、地方総務及び各市町村長、尚三十三名の学識経験ある識者によって知事候補者三人を選挙す。
軍政府 ムーレー大佐、カールエル少佐、ワッキンス少佐、ローレンス少佐列席。
午前九時開会。
一、志喜屋委員長挨拶要旨。
本日茲に皆様と相会する事を悦ぶ。
皆様が沖縄再建のため御精励なされし事を悦ぶと共に今後一層の御奮闘を御願ひ申す。
諮詢会十五部門の中既に八部門は執行機関に移り尚残りの部門も近く執行機関に移る予定になって居る。
去年八月に比すると隔世の感がある。
之は軍政府の援助と各位の御指導御鞭達の然らしむる所と存じ感謝して居る。軍政府の熱情は只感激に堪へぬ。
彼のウルマ新聞掲載の訓令に感謝の意を捧ぐのである。
今後軍政府の御援助を仰ぐ次第である。
本日は皆様に重大な諮詢があります。
之からワッキンス少佐の諮詢があります。
委員長、ワッキンス少佐を紹介す。
二、ワッキンス少佐訓示要旨。
本日軍政府副長官ムーレー大佐は市町村長、専門委員を会して重要問題を解決せんとす。
ムーレー長官は数分間の中に席次が来ると来て皆様に訓示をなさる。
ムーレー大佐が来らる前に本日此所に集った目的と方針とを一言申上げたい。
此処に於て会した目的は皆の意見により最高の地位に就く人をムーレー大佐に推薦するのが目的である。
今日此の目的を達成するために諮詢会に諮って集りの方を選定した。
皆同情と見識の深い事によって選ばれた人はムーレー大佐の満足を得、最高の人を得らるゝのである。
皆は今日軍政府副長官から職責を全うする人格者として承認した。
後方に掲示されたプログラムは軍政府が決定した。
此の時間を短縮するため席次を決定した。
此の座長に志喜屋様を置きなごやかに三人の知事候補を決定して軍政府に提出す。
慣例によると集った皆が選んで座長に推すのであるがムーレー大佐が志喜屋様を最適任として決定した。
去年の諮詢会の時も志喜屋様が推され又諮詢会委員長として推された。
故に軍政府としても最適任者として認めたのである。
此の志喜屋様の座長の下に三人の候補者を推薦した後ムーレー大佐に報告す。
沖縄の最高に座すべき人はムーレー大佐の権限に任されて居る。
三人の候補者を推薦するには三回の投票を行ふ。
第一回の最高点が第一候補
第二回の最高点が第二候補
第三回の最高点が第三候補
三人の候補を挙げるにしても第一、第二、第三と挙げても或は第一、或は第二、或は第三の候補者から挙げるかも知れない。又其外から決定するかも知れない。若し皆が良心から出た本当の推薦なら私は皆を裏切らずにムーレー大佐は皆の推薦した人を決定すると思ふ。
若し今日の投票に良心に訴へて三人が適任者であるとすればムーレー大佐も其意を汲むであらう。
今日此所で決まる問題は米軍上陸以来最も大きな問題である。
此の三人を推さんとするに於て良心に訴へるには如何なる意見で此人を推さんとするかを充分考へて貰いたい。
個人々々の一票其ものが最高の指導であり又地位に在る人であって之を指導者である事を考へて貰いたい。沖縄に於ける総務、市町村長及諮詢委員各位は沖縄の信頼する人であり吾々の将来に向って充分に活躍する人である。
此の人々は不正な事をする人でないと考へるのである。
各皆は一番沖縄でどう云ふ人を持って行ったら指導者として適任者であるかを認識して貰いたい。
私が戦後の惨情は云はなくても知って居るだらう。
過去の数ケ月に於て将来の再建に進んで来たことは云ふまでもない。
沖縄の将来が如何なる困難が横って居るか進むべき道が如何なるかを認識して居るだらう。
斯る時に於て沖縄人は沖縄人で行くべきを軍政府の他力本願を持たない様にするのが当然だらう。
若し沖縄人に総ての組織を与へるなら自ら建設し自ら作る人材があると認めて居る。
沖縄の将来が如何に進むか如何なる政治に置かれるかは平和会議の後でなければ分らない。
故に沖縄は自ら再建しなければならない。
今日の此の問題は重要を帯びた会議で最高の指導者を良心に訴へて投票されたい。
故に皆に於ては一つ心に考へて党やグループは排除されたい。
若し之が良心的に投票が行はれたならば昔の黄金時代以上の時代を来すのであらう。
ムーレー大佐訓示
今日此処での集りは重要性を帯びた集である。
第一委員の集りが大きく又沖縄最高の地位に就く者を推薦する集りである。
今日投票により三人を推薦す。此三人は最高の指導者であり人格者である。
其中最高の人格の持主に知事を決定す。
今日まで沖縄の委員が与へた諮詢は私に満足を与へた。
軍政府は短い間かも知れない。皆の手に待つ政治機構は皆の手によってやって行くのが当然である。軍が移動しても皆の手によって行ふのが政治学の要素である。
本席に臨んで話したことは私の光栄である。
良心的な投票をして理想の投票であることを望む。
皆に投票を任します。
有難う。
(ムーレー大佐及カールエル少佐退場帰府)
(志喜屋委員長座長席に就く)
志喜屋座長
立会人は如何しますか。
當山委員
座長で任命されたい。
全員
異議なし。
志喜屋座長
糸数昌保氏、神村吉助氏、親川氏(知念総務)三氏を任命す。
此の三人如何ですか。
全員
異議なし。
志喜屋座長
事務員を任命す。
多嘉良悟氏、安里氏、稲嶺氏、知花高信氏、金城紀佐氏の五名を指名す。
愈々無記名単記投票を行ふ。
第一回
投票総数 八六票。
六九 志喜屋孝信
一一 平良辰雄
二 松岡政保
二 当間重剛
一 崎浜秀主
一 前門 昇
第二回
投票総数 八六票。
一八 又吉康和
一六 当間重剛
一三 比嘉永元
八 平良辰雄
八 松岡政保
七 山城篤男
六 護得久朝章
三 前上門昇
三 仲村兼信
一 大宜見朝計
一 崎浜秀主
一 當銘由伸
一 仲井間宗一
第三回
投票総数 八六。
一九 當間重剛
一四 仲宗根源和
九 護得久朝章
九 松岡政保
八 山城篤男
五 仲村兼信
二 安谷屋正量
二 前門 昇
二 比嘉永元
一 平田嗣一
一 崎浜秀主
一 親川栄蔵
一 當山正堅
一 伊礼正幸
一 糸数昌保
一 當銘由伸
無効 二。
第一候補者 志喜屋孝信
第二候補者 又吉康和
第三補候者 當間重剛
ワッキンス少佐挨拶。
今朝軍政府副長官ムーレー大佐が推薦に臨んで一同に訓示を与へた事を皆様の頭に残って居るだらう。
ムーレー大佐の希望は今日の集に於て最高人物であり指導者であることを考へるであらう。
私のテーブルの上にある紙には推薦した人名が出て居る。
ムーレー大佐が立つ時皆に一任して信頼して行った。
私の過去の沖縄の人と交って仕事をした体験からすると此の三人は指導者として間違いない人と確信する。
三人の名を見ても上陸前に於ても重要な地位にあった人と聞いて居る。
此の三人の人々は過去の数ケ月に指導者として県民のためになることをやって来たのである。
三人の方々は県民からも信頼あるが軍政府からも信頼があって要職に在った。
此の三人の高潔なる人格と経歴から推してもムーレー大佐も此の三人の中から知事として決定する事を非常に光栄であり希望であらう。
私はムーレー大佐の所に皆様が信頼されて推薦された事は不正のない推薦であった事を伝達したい。
ムーレー大佐に於ては沖縄人と交り沖縄人が重要な地位に就いて全うし得ることに確信して居る。
私は三人の氏名を出す時に約束す。
沖縄人が重責を果し又果し得る実力と識見を持って居る事を三人の氏名を見ても本当の適任であり、物を挾れた事がない良心に訴へて最高の人であることを見て居る。
皆が遠方から来て円満に投票したことをムーレー大佐に話し三人に対し皆様に対しお目出度うと申上げたい。
三人中ムーレー大佐は誰を任命するか分らない。
三人の中から人選するに当り色々な要素が研究してからで容易ではない。
ムーレー大佐は軍人としても立派な人で政治にも数年体験がある。
更にムーレー大佐は軍政府の副長官として始めてでなく過去に幾多経験を積んで来た。
三人の中から決定するに当り任命された人が如何なる影響如何なる建設をなすか之により沖縄の幸か不幸かを来すことになる。ムーレー大佐も慎重を要す。
ムーレー大佐も過去に於て斯る人選につき注意されて居る。
三人の名を上げて知事と決定したら委員長に報告す。
決定した場合はムーレー大佐から皆に報告す。
決定して発令した後知事として職責を負ふ。
歴史的に沖縄の転換期で又生れ変ったとも云へる。
何故なれば沖縄で始めての知事である。
此の三人の人々は沖縄知事候補とされた事を自ら誇りとしなければならない。
知事の続く限り沖縄の歴史が残る限り第一回の知事として挙げられたのである。
今日此処で志喜屋様、又吉様、當間様に対しお目出度うの言を申し上げたい。
又外の皆様に対してもお目出度いと。
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