戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年02月22日 
(昭和21年)
会議名
諮詢会協議会 1946年2月22日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔要望事項・軍民協議〕

  二月二十二日(金)午后一時。
  出席  志喜屋、又吉、山城、仲宗根、糸数、安谷屋、仲村、比嘉、平田、前門、護得久、大宜見、當山、松岡の諸委員。
  病欠 知花委員。
協議事項
 志喜屋委員長
  本日軍政府にお話申し上ぐべき件がありましたら。
 平田委員
  南部線の増車一台をお願ひしたい。
 仲村委員
  去る十五日署長会議を開きました。
  指示事項として、未成年者の飲酒喫煙を禁ず。
 憲兵司令官
  沖縄は従来何歳まで禁酒禁煙をして居たか。
 仲村委員
  二十歳未満であった。
 憲兵司令官
  飲む事のみ禁じて酒造の方は如何にするか。
  酒造禁止はニミッツ布告にある。
  軍政府の許可なくして酒造、所持、贈答、運搬等は出来ない。
 前門委員
  久米島の登記所に法律関係の本があるとの事で法務部の職員を遣りたいが軍政府の証明をお願ひしたい。
 仲村委員
  離島に巡査派出所を作りたい。
 憲兵司令官
  作ってよろしい。
 仲村委員
  離島は交通の不便等から小さい独立の警察署を設けたい。
 糸数委員
  軍から汽船を出すから乗組員を集める様に(大島に行って杉材を積む)との事であるが容易に見当らないからローレンス少佐と協議の上新聞紙上で募集広告をしますから其時は可然御了承を願ひます。
  伊志峯、仲門、川平の三氏を本部渡口の工場長、機関手、運転手に採用したいと思ひますが御了承を願ひます。
 全委員
  異議なし。
 當山委員
  去る火、水、木の三曜日ポール少佐の命に依り田井等、本部、今帰仁、名護方面で講演会を催しましたが私は「新沖縄建設」に対する講演をしました。
  屋我地島民と愛楽園とはトラブルが起って居た。
  園長も愛楽園のために愛楽園精神を以てやって居る。園長と屋我地村長との間に意志疎通すれば問題は解決すると思ふ。
  暫く此の問題は當山、仲村委員、大宜見委員の三人に委して貰って諮詢会ではお控を願ひます。
 志喜屋委員長
  昨日石川市の石新氏外二名が来て毎月曜日の清潔検査の時諮詢会の役職員が反抗的に出て来て困る。
  今後は順序を経て来るべく云ひませうか。即ち市長から注意すべき事を。
  昨夜の罹災者(火災)の役職員の救済方法を如何するか。
  皆様の御考慮置きを願ひます。
 大宜見委員
  各部で対策をしたら如何。
 仲宗根委員
  今日中に罹災者も分るから明日対策をしたら如何。
  (午后二時)
  軍政府 ワッキンス少佐。
諮詢事項
 軍政府
  本日最高指揮官バックマスト少将が諮詢会事務所に見えるかも知れない。
  石川市の昨夜の火事は気の毒である。
 志喜屋委員長
  諮詢会職員の罹災者は約二十家族程である。
 軍政府
  罹災者は。
 松岡委員
  約二、三〇〇人程である。
 軍政府
  死傷者はなかったか。
 大宜見委員
  死者はありませぬでした。
 軍政府
  家屋は如何にするか。
 仲宗根委員
  カンパン、学校に収容し、伊波にも移動させる事になって居る。
  建築資材は中央倉庫に相談して出す事になって居る。
 軍政府
  仲宗根委員の配給機構を提出して貰いたい。
 仲宗根委員
  提出す。
 軍政府
  屋我地島に當山委員が調査に行ったが小委員会は開きましたか。
 當山委員
  調査して小委員を開きました。
  大きい問題ではない。園長と村長に反省を促せば解決出来る問題である。
  二人共石川市に出て来るから其時小委員会を開いて話合ふ事にします。
 軍政府
  食糧関係は。
 當山委員
  園ではいくらか不足である。之は村長と園長が解決すれば出来る。
  入園者と住民との間にはトラブルの起る問題ではない。
 軍政府
  軍政府直轄との話があったが如何なるものか。
 當山委員
  愛楽園は日本政府の直轄であったから今度も米軍政府の直轄にして貰ひたい。
 大宜見委員
  私も可然思ふ。
 軍政府
  テンプルトンに可然話した方がよい(公衛係将校)。
 大宜見委員
  現在の食糧では不足であるから増配して貰いたい事をテンプルトンに話した事がある。
 軍政府
  之に対する陳情は大宜見委員から提出した方がよい。
  中央刑務所の設計は仲村委員から提出したのか。
 仲村委員
  山内所長が提出したものである。
 軍政府
  刑務所の永久的の建物は三〇〇人内外にしたらと憲兵司令官からの命令であるが、憲兵司令官の三〇〇人の理由は過去の囚人が其程度であったからの故で、此前は当分一〇〇人程度で間に合ふとの事であったが委員としては矢張り一〇〇人程度のものでよいか。
 仲宗根委員
  先の話の通り一〇〇人程度でよいと思ふが。
 仲村委員
  私も可然思ふ。
 軍政府
  憲兵司令官は何処に刑務所を置くかと諮って居るが。
 仲村委員
  私は石川付近によいと思ったが山内氏は元の刑務所がよいと云って居る。
 軍政府
  那覇は見通しがつかない。
 前門委員
  未決は毎日取調べをやるから結局軍政府、諮詢会と一所でなければならない。
  具志川方面もよいと思ふが。
  結局裁判所の在所に刑務所を置かなければならない。
 護得久委員
  抽象的でいけないから小委員会を設けて研究されたら如何。
 仲村委員
  来る月曜日迄でに報告します。
 軍政府
  教誨師は米人二人(クリスト教)要するが仏教は要れなくともよいか。
 護得久委員
  仏教も入れた方がよい。
 軍政府
  僧侶に適当な人が居るか。
 又吉委員
  元の教誨師金城氏が野嵩に居ます。
 軍政府
  本日ワシントンの誕生日ですが御存じですか。
 護得久委員
  ペルリが来た時、ワシントンの石碑材料として沖縄から石材を持って行ったとの事である。
 軍政府
  米国では死後も生れた日を記念日として居るが東洋では命日を記念して居る。
  米軍作戦部隊から風紀に関する厳命が出て居るが御存じですか。
  例せば米兵と沖縄女子との風紀関係等の如く。
  米軍将兵が住民地区に来て物の売買、物々交換や性的関係等の風紀問題で公的用務を帯びた者は住民地区との出入を許されるが其外の者は厳罰に処す事になって居る。
  此の法令は戦時法令で沖縄住民及び軍を保護するものとの両法である。
  目的を達成するために米兵が住民地区に出入するのを憲兵が取調べて居る。
 前門委員
  ペンス将校(法務係)は米兵が住民地区に入る時はC・Pが逮捕してよいとの事であった。
 軍政府
  現在では米兵が出入する事の出来ない住民地区が多い。
  世界で米軍が駐屯して居る地区で沖縄ばかりである。独逸で此法を施行せんとしたが失敗した。日本では全然して居ない。
  住民と軍との接触を禁じて居る。
  現状は不自然であるが此法を解く時は沖縄住民に被害がなければ解いた方がよい。
 松岡委員
  当分は現状がよいと思ふが。
 軍政府
  厳格に云へば私(ワッキンス少佐)も當山様と御茶を飲む事は出来ない。
  沖縄の住民と笑顔や手招き等をしたりする事も出来ない。
  軍は現在のまゝで取締り住民は戦闘部隊とのみ出入を禁じたら如何(住民は其外は解禁す)。
 護得久委員
  一方解禁よりも現在のまゝがよいのではないか。
 仲村委員
  禁止は解きたいが而し暫く現状維持がよい。
  其よりも早く移動をさせたい。
 志喜屋委員長
  現状の儘で暫く行きたい。
 軍政府
  現在の儘で行くと米兵と沖縄住民が離反して行くし如何にした方がよいか。
 又吉委員
  知識階級は交際してもよいが一般住民が未だレベルの低い者が多い。
 軍政府
  暫く現在の儘で行くのがよいか。
 當山委員
  性質の悪い米兵を早く帰へす事である。
 軍政府
  村制につき漸次研究をして貰たい。
 又吉委員
  村制の調査物を提出す。
  土地認定法は軍政府の案でよい、中央委員を略してもよい。
 軍政府
  公有地を如何に解決するか。
 又吉委員
  公有地とは、字、村、県有地で、国有は官有と説明した(アーレン少尉に)。
 軍政府
  簡易裁判は司令官に提出したが未だ回答がないから何時になるとは分らない。
 前門委員
  各地区から裁判所の要求があるから可成早くお願ひしたい。
 軍政府
  最善を尽す事にする。
 護得久委員
  作業夫が帰へりに板類其他の物を持たざる様白石氏より注意を促されたい。
 又吉委員
  戸籍簿用紙は二十万枚程要る。
 平田委員
  トラック一台下付の件。
 志喜屋委員長
  慶良間の件は済みました。
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