- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1946年01月18日
(昭和21年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1946年1月18日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔各部報告・裁判〕
一月十八日(金)午前九時。
出席 志喜屋、又吉、山城、護得久、前門、仲村、仲宗根、比嘉、平田、大宜見、當山、安谷屋の諸委員。
公用他出 松岡、糸数の両委員。
病欠 知花委員。
協議事項
又吉委員
昨日軍政府の係将校バビエイ氏が来て翻訳部を置きたいと。
比嘉通訳
昨日バビエイ氏が来て翻訳部を設置したいとの事であった。
又吉委員
諮詢会としては承諾してワッキンス少佐の御意見を聞く事にしませう。
仲村委員
警察の人事につき許可を得たので直ちに発令し明日課長・署長会議を開く事になって居ます。
石川市は本部直轄にして独立の警察署を置く事になって居ます。
大宜見委員
各地区の衛生部機構に関し報告。
山城委員
文教学校の食糧問題に対し報告し及び父兄よりの援助方如何につき委員の御意見を徴す。
大宜見・當山・仲宗根の三委員
父兄よりの徴収方に不賛成す。
仲宗根委員
各部の書記長会議報告。労銀支払の時、不能働者及び失業者の対策、後二、三回程開催し原案を作製し諮詢会に提出する考である。
労務中央部員会の報告。
比嘉委員
名護試験場は着々進捗して居る。
安谷屋委員
労銀と物価との関係につき説明す。
志喜屋委員長
東恩納に事務所移転後、現事務所の処分につき如何。
全委員
単独者の合宿所に軍政府にお願ひすることにしませう。
安谷屋・比嘉・仲宗根・護得久の四委員。
物価と労銀問題につき意見交換す。
(午后二時)
病欠・知花委員の外十四委員出席。
軍政府 ワッキンス少佐。
協議事項
軍政府
工業学校生徒入学三人の超過は山城文教部長の許可があればよろしい。
前門委員は嬰児殺しの事件を委員に話したるや否や。
前門委員
未だお話してありませぬ。
軍政府
該事件につき私(ワッキンス少佐)が居ないものとして御意見を述べて貰いたい。
前門委員
宜野座に於ては被告に自由を許して居たとの事であり、前原の裁判に於ては厳粛過ぎ又、事実審理が詳細でなかった。
猶前門委員は事件の真相を語る。
軍政府
前門委員のお話を聞いて委員は如何感じたか。
又吉、仲宗根、護得久の三委員。
当時の被告の心理状態、環境及動機等を詳細に調査する必要があると思はる。
前門委員
沖縄の風俗習慣等に詳しく通じて居る裁判官が欲しい。
軍政府
国家を異にした時他国の人を他国に於て裁判する事は困難であるから公平に裁く事も困難であらう。
物の見方は国情の違った場合は難問題である。
正義観は国情によって違ふ。例へば日本の正義観と米国の其れとは違ふ。
其れは歴史が物語るのである。
此事件は米国では経験のない事で之は人口稠密と疎とによるものである。
米国では此事件はクリスト教上から見た個人、デモクラシーから見た個人、日本は仏教上から見た個人、社会団体から見た個人と見方が異って来る。
此事件につき米国と沖縄とが一致点を見出す事が出来なかった事を残念に思ふ。
此事件は最初の米国の裁判で沖縄人の印象に深く残るであるから重要性を帯びて居る。
米国では此事件に対し重罪に処せられるのである。
法廷に出た三人の裁判官は東洋の事情を知らなかった。
私(ワッキンス少佐)の考へでは通訳の云々で刑の云々をする事は出来ないだらう。
沖縄では如何なる刑であったか。
前門委員
悪性になると四、五年、精神によっては三年の執行猶予。
軍政府
沖縄では度々あったか。
前門委員
一年に一、二回程度。
軍政府
戦時の場合は如何に処理するか。
仲村委員
斯る場合は情状酌量するのである。
軍政府
裁判も時期が来たら人民の手に移るのである。
前門委員の説明を委員も熱心に聞ひて居る態度を見て感謝して居ます。
前門委員
沖縄の自治が一日も早く来るのを期待して居ます。
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