戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1946年01月11日 
(昭和21年)
会議名
諮詢会協議会 1946年1月11日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔言論の自由・部長人事・他〕

  一月十一日(金)午前九時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、護得久、平田、糸数、仲村、仲宗根、安谷屋、比嘉、前門、當山、山城の諸委員。
  公用他出 大宜見、病欠 知花委員。
  軍政府 ローレンス大尉。
協議事項
 ローレンス大尉と給料問題に対する協議。
  (ローレンス大尉帰府)
 志喜屋委員長
  一月八日(火)私(委員長)と松岡、仲村両委員と三人に対し注意を促された。
 松岡委員
  軍政府下に於ては言論の自由を認めず、法的には沖縄は未だ敵である。
  軍政府に於ても両立の意見がある。一方は沖縄人に委して行く方、一方は未だ沖縄人に委す事は尚早で制しなければならないと云ふ方である。
  軍政府で認めてない言論の自由、及び印刷物発行も認められて居ない。
  田井等市で発刊された新沖縄(新聞)は軍政府の認めてないものであったから停止された。隊長は其責任を以て免職された。
  石川市で然るべき新聞がある然も従来左傾思想を帯びた人々が居たと。
 志喜屋委員長
  社会事業部の週報を示したら軍政府(ワッキンス少佐)は然りと云った。
 當山委員
  文化部でも週報を発刊したいと思ふが新沖縄は何故停止されたか。
 仲村委員
  時機の到来する迄で待つことにしようではないか。
 護得久委員
  ウルマ新聞が公認されて若し意見があったら其れに発表せよとあったから時期を待つことにしよう。
 松岡委員
  記事の内容の問題でなく只許可になったかならないかの問題であると云って居る。
 糸数委員
  水産主任会議につき報告。
 仲宗根委員
  社会事業課長会議報告。
  労務課長会議報告。
 山城委員
  教育組織案につき説明。
 志喜屋委員長
  文教部長を選挙せよ又水産部長を選挙せよと云はれた時は山城、糸数両委員を推薦しましたら如何。
 全委員
  異議なし。

  (午后二時)
  公用他出 大宜見委員。 病欠 知花委員。
  二委員の外全委員出席。
  軍政府 憲兵隊長(中佐)、カールドウェル少佐、ワッキンス少佐及志喜屋委員長侍立。
 憲兵隊長より仲村警察部長へ部長辞令を交付す。
協議事項
 山城委員
  午前の引続き、教育案を説明す。
 軍政府
  文教部長に山城委員を推薦する意志ありや否や。
 松岡委員
  山城委員に暫く退場を願ひたい。
  (山城委員退場す)
 軍政府
  文教部長を選挙するのであるが山城委員の外に適任者があれば外の人でもよい。山城委員は軍政府の信頼を受け居るが、外に諮詢会で選ぶなら軍政府の信頼する人を選んで欲しい。
 文教部長の選挙を行ふ。
 ワッキンス少佐自身より開票す。其結果全委員山城委員に投票す。
 ワッキンス少佐より山城委員へ祝詞を述ぶ。
 山城委員謝辞を述ぶ。
 軍政府
  近く諮詢会は東恩納の軍政本部跡に移る(二月一日前に)。
  住宅は移動するや否やははっきりしない。
  事務所と住宅と別々にすると如何なる不便があるか。
 仲宗根委員
  委員の住宅まで移すと事務員も移さなければならないから住宅は今通りがよい。
 護得久委員
  住宅は今の通り石川に於て事務所のみ移した方がよい。
  (中途より大宜見委員出席)
 當山委員
  住宅も石川に置くなら事務所も石川の方がよい。
  (又吉、松岡両委員も當山委員の説に賛成す)
 護得久委員
  財政部中央部員会を延期したい(十二日の会を二十四日に)。
 當山委員
  宗教指導者の会合を二十六日に開きたい。
  理由は指導者は如何にしてよいか迷って居るから活路を開きたい。
 山城委員
  文教学校の食糧問題につき説明し且増加する事をお願ひす。
 仲宗根委員
  石川市に於る自十二月十七日至一月十日の食糧事情につき説明す。
 山城委員
  諮詢会の文教部には書記が居ないから平良仁一氏を採用したい。
 軍政府
  又吉委員で月曜日まで各部の事務分掌を調べて欲しい。
 安谷屋委員
  商工専門委員会の報告をなす。
 大宜見委員
  衛生部として各地区に監督者を置きたい。
 志喜屋委員長
  仲村、前門両委員に研究を願ひます。
 又吉委員
  各地区の視察報告をなす。
  當間重民氏及外二名の書記の採用の御了承を得たい。
  所属部につきては総務部の調査部に置く。
 松岡委員
  翻訳物は書記室に控へを置きたい。
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