戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年12月31日 
(昭和20年)
会議名
諮詢会協議会 1945年12月31日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔裁判・演芸・美術〕

  十二月三十一日(月)午后一時。
  出席  志喜屋、又吉、山城、仲村、糸数、前門比嘉、平田、安谷屋、當山、護得久、大宜見、松岡、仲宗根の諸委員。
  病欠  知花委員。
協議事項
 前門委員
  各委員に「即決簡易裁判訴訟法」の印刷物を配布し之に対し説明をす。
  (中途より軍政府ワッキンス少佐臨席)
 軍政府
  昨日軍政本部で沖縄の演芸が催されたが結構でした。
  ハナ大尉が劇の説明をやられたが米兵も理解が出来て愉快の様でした。
  衣装が印象的で獅子舞、滑稽、喜劇等は人気を博した。
  二十九日にクリスマスパーティーを催したが其時の提灯の装飾はよかった。
  モーレー大佐の官邸も都合よく出来上って居た。
  モーレー大佐の官邸は立派で満足して居る。
  陸海軍の佐官級が大勢集った。
  邸宅で酒宴を張ったが提灯の飾が印象を深めた。
  沖縄宣伝に効を奏したと思ふと私は(ワッキンス少佐)非常に喜んで居る。
  モーレー大佐は一場の演説を試た。
  曰く「此邸宅は沖縄紹介のものであるから撮影してくれる様にと、博物館も記念すべき建物であるが此邸宅も亦沖縄を記念すべきものである」と。
  カールドウェル少佐の伝言としてクリスマスカードを戴き御礼を述べ尚幸福な新年を迎へる様にとの事。
  明一日は休む事になって居る軍政府は二日から執務する。
 志喜屋委員長
  久米島、慶良間、伊平屋、粟国住民から帰島陳情書を提出す。
 軍政府
  離島の住民は一緒に一島宛集めて輸送する。
  仲宗根委員のものは表から早く作製する様に。
  ムーリー大佐よりの伝言としてクリスマスカードを戴き感謝して居る事。
  幸福な新年を迎へる様にとの事。
  ムーリー大佐は来月頃帰米するだらうとのことを伝へてくれとのことである。
  同大佐は家族と分れて二年にもなるので再び沖縄には来ないだらうと。
  同大佐の後任には海軍大佐が来るだらう。Winek-offであらう(秘密)。
 志喜屋委員長
  諮詢会からムーレー大佐を御伺ひして御礼を申上ぐべきだが米国の風俗習慣が分らないで失礼して居ますからワッキンス少佐で折があったら御礼を申述べて下さい。
 軍政府
  出発する前諮詢会まで臨席さるべくお話申上げて見よう。
 志喜屋
  出発が決定したら二、三の代表がお伺ひしたいが如何なるものでせうか。
 軍政府
  調べてみます。
  ムーレー大佐はワインカッヒー大佐が来るのを喜んで居る。何故なればワインカッヒー大佐とは知合であるし又手腕力量のある人であるから。
  ワインカッヒー大佐が来ても政策方針等は其儘踏襲するものであると思はれる。
  一月になって各村を視察したいから又吉委員も一緒に巡って貰いたい。現に村として組織化したものが幾つあるか、村の組織等を調べたい。
  日程は又吉委員で立案して貰いたい。
 又吉委員
  何日からの予定ですか。
 軍政府
  来週火曜日から。
 又吉委員
  絵画については糸数氏よりも山田氏の方がよいが。
 軍政府
  糸数氏は軍の将校の紹介で始めて居るから之が終了したら山田氏を推さう。
 又吉委員
  若し山田氏が困難であれば大城皓也氏がよい。
 軍政府
  山田氏が来るなら壁に懸けるものをお願ひしたら如何?
  古典沖縄を表現するものを山田氏にお願ひしたら如何。
  表具師も居るや否や。
 又吉委員
  表具師の有無を努力して見ます。
 軍政府
  又吉委員で調べて貰ふ。
  (津嘉山書記中途から公用のため中央倉庫へ行く)
 前門委員
  先刻の簡易裁判法に対し説明を加ふ。
 當山委員
  従来の裁判は何故長延いたか。
 前門委員
  人権躙蹂のなき様細密な調査をするためであった。
 全委員
  該法案に異議なし。
 志喜屋委員長
  明元旦は午前九時より。
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