戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年12月26日 
(昭和20年)
会議名
諮詢会協議会 1945年12月26日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔経済問題・配給機構〕

  十二月二十六日(水)午后二時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、護得久、仲村、安谷屋、糸数、平田、大宜見、仲宗根、當山、比嘉の諸委員。
  公用他出 山城、前門両委員。病欠 知花委員。
協議事項
 志喜屋委員長
  経済小委員会の協議事項は話合にしますか又全体会議にしますか。
 松岡委員
  話合にしたら如何でせう。
 糸数委員
  今朝ローレンス大尉と小委員会との協議事項を左の通り報告す。
  1、官公吏の俸給、手当は一本立にしたら如何。
  2、軍政府の労務者の賃銀は軍政府が支給する。
  3、市の役職員の俸給は何処から支給するか。
  4、一九四四年の賃銀は均整の取れたものか如何。
  5、労銀は日給制にするか、又時間制にするか。
  6、労銀は固定的にしておくか、又最低を定めて置くか。
  7、当分の間市に財源がないから、人事費は軍政府が補助するが、俸給者には課税する。
   其税金は市の財源に充つ。
  8、事業経営の資本は営業者が借りてやったら如何。
 松岡委員
  ドル制にするか又何でするか。
 全委員
  ドル制に賛成。
 松岡委員
  明後金曜日に海上輸送につき質問したいが如何。
  1、私としては当分見通しのつくまで官営にしたいと思ふが如何。
  2、貨物車は市の工務部でやり、客車は市と人民の半官民の株式組織にしたい。道路の専有権を許さず。
  3、電気は市営にさせたいが如何(デーゼル機)。
 全委員 賛成。
 松岡委員
  4、通信部で扱って居る車の責任は通信部か又は諮詢会が持つべきか。之をはっきりして置いて貰いたい。
 糸数委員
  ワッキンス少佐は車は平田委員が責任を以てし、平田委員の責任は私が持つことになって居ると云はれたから平田委員が責任を持つことにされたら如何。
 全委員 異議なし。
 松岡委員
  速度は三十哩以内になって居り、カーブは十五哩、十字路はストップすると云ふ事になって居る。
 又吉委員
  翻訳部を増員したいので、當間重民氏を採用したいが承認をして貰いたい、と諮って、同氏を紹介す。
 當山委員
  諮詢会事務所にラジオを設置したら如何。
 安谷屋委員
  物価の件につき。
  其決定はお話した通り物価と他の物価との均等は戦前昭和十二年のものを基礎とした。
  米国から輸入するものは日本の価額でよろしい。
  戦前米国から輸入した物価も参考にした。
  輸入品及主要生活必需品は統制して其外は自由生産にしたい。
 比嘉委員
  現に或地区では地区隊長を取入れて他人の家等を貰ひ受けて売買して居る者も居るとのことであるが之は如何なるものであるか。
 松岡委員
  例へば発電所があって之を地区隊長から個人が貰ひ受けた場合、軍政府は之を承認するや否やにつき明後日軍政府に質問を発したい。
 安谷屋委員
  配給機構につき説明す。
  市営、民営熟れにするや否やであったが、私は民営として立案した。市の産業組合(仮称)又は中央配給団(仮称)を通して配給す。
  中央配給団は消費都市に配給し当分官営にしたい。
 護得久委員
  此の機構と財政との関係を説明し尚此の機構の欠陥等を論ず。
 仲宗根委員
  此の機構に対し意見を述ぶ。
 糸数委員
  賛成意見を述ぶ。
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